◆マドリッドのパロマおばさん (7.1)
◆こわれたカバンのてん末 (7.12)
◆何から書けばいいのやら/再会(7.15)
◆バスの車窓から 〜カピタル・コルドバへ(7.16)
◆メスキータ(7.17)
◆フライパンで焼かれつつ(7.28)
◆アンダルシアの犬達(7.31)



マドリッドのパロマおばさん
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日本から飛行機に乗ってスペインに最初に着いた町は約15年ぶりのマドリッド。

マドリッドのバラハス空港に降り発ち、預けた荷物を受け取るや、いきなりカバンがぶち壊されていた。即、イベリア航空の窓口へクレームに。窓口の場所がわからず右往左往したため、宿に着くのが遅くなってしまった。壊れたカバンの
てん末についてはまた後日に。


ここでの宿の予約は、友人から仲介して頂いた事もあって、現地在住のコーディネーター氏の奥様(仮にKさんとします)にずうずうしくもお願いしてしまいました。
コーディネーター氏とは、私が以前住んで居たスペインの窯元の町でTV番組「ぽちたま」の取材があった時に一度お会いしたきりだったので、まことに図々しいお願いだったにも関わらず、快く対応して下さいました。

さて、その奥様がとって下さった宿、なんとなくあやふやな約15年前に泊った記憶の宿の名前と似ている気がする。しかも場所も同じような・・?その宿のとても親切なおばさんの記憶だけは鮮明なのだけれども、住所も何ももはや覚えていなかったので、現地にいってみるまで確かめる術はなかったのでした。


そして空港からタクシーで夜中に到着した母と私を迎えてくれた宿のおばさん。『まぁ、気の毒に!』と迎えてくれたそのおばさんは、果たして、15年前のパロマおばさんでした!(宿の名前が「パロマ」/鳩の意味/なので、勝手にそう呼ばさせてもらいます。)

その事を告げると、パロマおばさんもよろこんで下さり、感激の再会とあいなりました。15年前当時はスペイン語もまだ習ったばかりで言いたい事も言えなかったのですが、(今回もブランクがあるためスペイン語ペラペラとはいいませんが・・)なつかしいパロマおばさんと意志の疎通ができたことが嬉しかった。


約15年前のあの時、初めてのスペイン旅行のマドリッドでお世話になったのが、このパロマおばさんの宿でした。

『私は歳をとったでしょう』というおばさんでしたが、仕事をてきぱきとこなし、細やかな対応とおちゃめで明るい雰囲気は記憶のまま。本当に本当に嬉しい再会でした。

南スペインに住んでいたので、いつもセビージャ空港を利用していた為、マドリッドに疎い私は、今回宿をとって頂いたのですが、こんな偶然ってあるんですね。

コーディネーター氏、奥様のKさん、そしてこのお二人に繋いで下さった友人には本当に感謝でした。

(2007.7.1)



こわれたカバンのてん末
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あまり面白くない話かもしれませんが、飛行機の旅でカバンをこわされたという初体験。もしどなたか今後同じような体験をされた場合にご参考になる??かどうかはわかりませんが、事のてん末を記させてもらいますね。

日本からスペインへの直行便は無いので、今回は英国航空を利用した故、ロンドン・ヒースロー空港でマドリッド行きのイベリア航空に乗り換えをしました。乗り換え時間は2時間半。しかしヒースロー空港に1時間遅れで到着。実際は1時間半の乗り換え時間となりました。
さて、ヒースローへの到着が遅れて乗り換え時間が1時間半しかなかったので、果たして預けた荷物の積み替えが間に合ったかなぁ?という心配もよそに、すぐにマドリッド・バラハス空港で預けたカバンを受ける事が出来た・・のはいいけれど、さあ行きましょうとカバンのハンドルを引っ張ると、見事にぶち壊されていた。

悪い事が起っている一方で、かならず良い事が進んでいるはず。物事は常にそのように動いている、と気を取り直し、入国ゲートの所に居た係の人に『これはヒドイから、クレーム申し立てをするべきだ』と言われた事もあり、「ああ、こういうクレームも受けてくれるんだ。」と思いつつ、イベリア航空のカウンターへ。イベリアのカウンターの人は迅速丁寧に対応してくれました。(他にもカバンの把手を引きちぎられていた人なども来ていた。乗り換え時間が厳しかっただけに荷物運搬の殺伐とした痕跡が感じられるというものです。私は初体験だったけど、きっとよくある事なのね・・・。)

カウンターのおねえさんから、クレーム受付番号の付いた書類を渡され、後日改めて指定の電話番号に連絡するようにと、言われました。

さて、2日間のマドリッド観光を経て、コルドバ郊外の懐かしの窯元の町に到着、町の友人達とたっぷり再会を喜びあい、荷物もほどき、ほどよく落ち着いてから、教えられたクレーム番号へ電話をする事にしました。しかし電話をかけるも常に話し中で繋がらない。保証とか保険とか込み入った話になってくると(しかも電話で)、私の語学力では不安な部分もあるかも、と思ったので陶工房の親方にも手伝ってもらいローリング作戦(?)で電話をかけまくるもいつもいつもお話中。

電話をかけ続けて3日目。親方の努力のおかげでやっと電話が通じる。
今回の一件で一番苦労したのは電話をかける事だったかもしれません。

さてさて。
電話での指示によると、現在私がコルドバ県内に居るという事で、コルドバの中心地にあるイベリア航空と提携している指定のカバン屋で修理もしくは修理が不可能の場合は同等品との交換になるとのことでした。持って行くものは空港カウンターで渡された書類とパスポートのコピー、こわれたカバン。

友人の弁護士がコルドバで仕事(裁判)があるとのことで、車に便乗させてもらいコルドバへ。中心地までは私が住んでいる窯元から40分ほど。
指定のカバン屋はすぐに見つかり、さすがコードバンを始め馬具などの革製品の産地だけあって年期の入った職人さんのお店でした。馬具をはじめいろいろな革製品がさほど広く無い店内に並んでいます。

職人のオヤジさんにイベリア航空から渡された書類とこわれたカバンを見せると、『これは直せないなあ。新品と交換になるよ』とのこと。すぐに同じクラスの旅行カバンをいくつか見せてくれました。(残念ながら旅行カバンは職人仕様の革製品ではないので、まあ、ふつーのよくあるキャリー付きの旅行カバンです)こわれたカバンにほど近い使い勝手のよさそうなものを持ち帰る事にしました。(それが上の写真)

さてここまでが、カバンが壊れてからちょうど2週間。
とりあえず私には3ヶ月という滞在期間があるので私自身もノンビリ手続きしてきましたが、各都市数日間滞在の観光旅行でスペインに来ている人にはかなり厳しい保証手続きなのではないかなぁと思いました。事実上時間と根気のある人に対しての保証・・のようになってしまっているのはなんともなぁ、という感じではありますねぇ。。

追記
この日、コルドバの中心地へ行った序でに銀行へ寄って、当座の生活費に当てる為トラベラーズチェックを現金化して(つまり大金を持って)、コルドバの繁華街を新品の旅行バックをごろごろ引きずりながら歩く、という泥棒さんにとっては非常に鴨ネギな状況になってしまいました。『私、日本人旅行者。お金もパスポートも持ってるよ!』と看板かかげて歩いてるようもんです。私の居る田舎町の銀行ではトラベラーズチェックを扱ってくれない故の無謀な行動とあいなったのですが、田舎では現金第一でクレジットカードもほとんど使えないし、こういう点ではちょっと不便です。
                                        (2007.7.12)



何から書けばいいのやら/再会
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窯元の町、ラ・ランブラに戻って来てからはや2週間。
まったく何から書いたらいいのか。。
とにかく町の人々が再会をとても喜んでくれたと言う事。
そしてそれがとてもうれしかったという事。

この町に到着した時はかろうじてひまわりの花はまだ咲いていました。いつもの空き地にはアマポーラもなんとなく咲き残っていて。

そうそう、以前もこうやって毎日野花をぼんやり眺めながら工房へ通ったのだった。

ひさびさの里帰り、道の途中途中で出会う友人たちが再会を喜んで挨拶してくれる。





まったく、本当に、
人々にも草木にも『ただいま』という感じです。
                             





町に着いた初日には、バスのルート変更のせいで到着が1時間近くも遅れてしまったにもかかわらず、停留所で待っていてくれた陶工房の親方(マエストロ)と、なんだかそついでにの場にいた知らないおじさん達も(親方が私達の事を話題にしていたのか)遠い国から来た私達を笑顔で喜んで迎えてくれた。早速懐かしく思いだした、この町らしい人と人との距離の親密さと暖かさ。

母が初のスペイン滞在ということで親方とコーラス隊の友達がバルの屋外席でアンダルシア地方の郷土料理をつぎつぎに注文してくれた。
そういえば2年半前の帰国時に空港まで送ってくれたのはこのお2人。今回最初に出迎えてくれたのもこのお2人でした。


さて、早速数日後にコーラス隊の練習があるというのをきいて、当日、楽しみに日本から持って来た重たい楽譜一式を抱えて練習場へ。

練習場に向かう道すがら、車道を挟んで反対側の歩道にコーラス隊指揮者のフェルナンドをみつけ、びしばしと手を振ると、向こうもびっくり、あわや車に轢かれそうになりつつ道路を渡って感激の再会!
練習場にそろ〜りと顔を出せば、私を一目見るや音楽教師でとっても男前な性格のモニカ(女性)が強烈な一言『!!!Hombre!!! (オンブレ!!!/あんたねえ!!!)
』と叫んで再会を喜んでくれる。徐々に集まって来たメンバーもとってもとっても喜んでくれて、懐かしいナンバーをまたみんなと一緒に歌ったのでした。
ああ、戻って来たんだなぁ。


スーパーに買物に行けば行ったで陶芸家の友人と再会したり、工房で早速エキスポに出す作品の制作を始めていると、友人達がひとづてに聞いたとの事でわざわざ会いにきてくれたりして、本当にうれしかった。みんな相変わらずで、2年前まだ小さかった子供達だけが大きくなっていてなんだかフシギだ。



最初の1〜2週間は畳込むような再会・再会の嵐で、改めてみじみと有り難い感謝の気持ちになる。ほんとうに暖かくむかえてもらって幸せこの上ないです。  (2007.7.15)





バスの車窓から 〜首都コルドバへの道のり
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コルドバ県の郊外にある窯元の町から首都コルドバまではバスの平日ルートで約40分かかります。(土日はルートが変更になるので1時間半かかる)
このコルドバまでの道のりの車窓の景色が大好きで。。コルドバの中心地(カピタル・コルドバ)に着くまで飽きもせずに、大地と空を食い入るように見つめてしまうのです。

そんな風景を写真に撮りまくってみたのですが、車窓からということで未熟なカメラの腕前ではなかなか思うようなショットが撮れていないのがじれったいところです。実際の景色はこの10倍くらい壮観だと思っていただければ・・・と思います。。








うねる小麦畑、すでに枯れ始めた地平線までのひまわり、四角にまとめられた牧草が点々と置かれていたりと、カンピーニャ・スールと呼ばれる南スペインのこの地方のなだらかに続く丘の景色はいろいろな表情を見せてくれて、とにかく難しい事を考えずにぼ〜と眺めるのが、綺麗な絵本でも見ているように楽しくて飽きる事がありません。

(2007.7.16)



メスキータ
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世界で七つの素晴らしい建造物”の選考に、グラナダのアルハンブラ宮殿がノミネートされたとかでTVでは大騒ぎになって居ましたが(結局選ばれなかったそうですが)、私にとってスペインで最も好きな建造物はコルドバのメスキータです。

15年以上昔、初めてスペインへやって来ました。そのときはひと月かけてのいわゆるバックパック(貧乏)旅行。時は春、4月だったか。スペインの4月は暑い。

初めてコルドバに着いた日も良く晴れた暑い日で、コルドバの駅からメスキータまで約30分の道のりをふらふらになりながら辿ったのでした。

熱も頭に登りきった頃、やっとの思いでメスキータに到着。石造りの建物の中はひんやりと涼しく、またその建造の独特の風貌から一気に別世界へ入り込んでしまったようで、その印象はとにかく強烈なものでした。

改めて今回も大好きなメスキータへ訪れました。
イスラムの祈りの場であるモスクのなかに、キリスト教会がまけじと改造に改造を重ねた痕跡が見られます。(ちなみに現在キリスト教会部分が一部改装工事中)
キリスト教会→モスク→キリスト教会と最征服されてきたこの建造物。歴史・宗教等、いろいろな意味においてこのような場所は他にはないだろうなぁ、と圧倒的な存在の前に思わされます。なぜこの建物が好きなのだろう?上手く言葉に出来ないのですが、やはりここの空気に圧倒されるものがあるからでしょうか。

こちらの友人から聞いた話。
先日アルカイダがメスキータの爆破計画の声明を発表したとの事。イスラムとカトリック、2つの宗教の象徴的な建造物として、そして現在はキリスト教会の手中に在る事から、ターゲットにあげられたらしい。

そんなことをしても何にもならないのにね。  (2007.7.17)



フライパンで焼かれつつ
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窯元の町に着いてから、初めの一週間程は住居を整えるのにばたばたしていて、2週間目くらいから本格的に自分の制作を始められたのでした。
制作に取りかかり始めてからの数週間はどういうわけかとても良い気候でして、朝晩はジャケットを着ても良いくらい冷え込んでいました。(友人から冗談で『毛布をかけて寝てるんじゃ無いの?』と言われたが、そのくらい夜は冷かったのだ。)

このまま9月にむけてどんどん涼しくなれば良いなぁ・・・なんていうのは甘い考えで、今週後半(7/25辺り)から”アンダルシアのフライパン”の面目躍如、まさに地面でフツーに目玉焼きが焼ける熱さ(暑さ)に突入したのでありました。

陶工房は暑い。
窯を焚いた日には、室内温度は50度越えてるんじゃ無いのか?
(それでなくとも日中の気温は46〜48度。あちー。)
アフリカから風が吹いてくる日は、息が詰まる程暑い。工房のラジオから、この熱風で心臓マヒをおこして亡くなった方のニュースが毎年のように流れる。日中、部屋の窓は閉め切って風が入らないようにする。石造りの家はそのほうが涼しいのだ。そうそう、この地方では不動産屋などで物件を探す時、日が当らない部屋ほど善しとされる。(そりゃそうだ。)

午前中に工房に行く時は、暑いけれどもまだましで、午後になるとかなり暑さが厳しくなる。シエスタの時間帯(午後2時〜5時頃)に表に出るのは自殺行為なので、私は、午後はいつも5時を過ぎた頃に家を出て8時くらいまで制作、というパターンにしてもらった。(ここの職人さん達はシエスタの時間帯も働き、午後6時くらいで閉めるのが普通。)

午後5時とは言え、それでも表に出るにはかなり暑い。(ちなみに日没は午後10時ごろ)家から工房までの道のりは歩いて15分。15分間の灼熱地獄だ。そして毎日この灼熱地獄のなかを歩き、呼吸困難な程に熱した工房で制作をしていていると、いやがおうでも思いだすのが、サンチャゴの巡礼道を歩いた日々。
そして同時に思う。あの巡礼道での苦しくて、そしてその苦しみと同じ分だけ精神的・神秘的だった日々は、特別な事では無く、今でもちゃんとこうして目の前の日常へと続いているのだなぁ。自分の手のひらの上で眺めるようにまざまざとそう思うのでした。
(2007.7.28)



アンダルシアの犬達
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日本の町ではおそらくほとんど見られなくなってしまった光景の一つをここでは見る事が出来ます。
それは、町なかを自由に歩き回る犬の姿。颯爽と街路を駆け抜ける姿や木陰でのびのび独り遊びをしている姿、飼い犬と野良犬が入り混ってチームを組んで徘徊する姿。みんな逞しい。

日本のようにきっちり管理されているのは衛生的、また野良犬の増加を防ぐのに役立っている事は否めません。でもあえて書かせてもらうと、ここの犬達の表情の豊かな事。到底人間には入り込めないような犬社会の中での豊かな表情に出会う事が出来ます。そんな姿に出会うと、そうだ犬の祖先って狼だよなぁ、と思いださせられます。

先日友人の犬の散歩について行ったのですが、町外れのカンピーニャ(平原)に着くなり、犬は喜び野を駆け回り・・帰る頃には、思いきり泥々、ぼろぼろ、枯れ草やら埃やらで滅茶苦茶に汚れまくってそれはそれは清清しい程(?)でした。時には野うさぎを捕ってくる事もあるそうで(本能だなぁ)、東京住まいの感覚からすると、かなりすごい散歩。散歩から帰る道々、市役所前の噴水に飛び込んで、泳ぎつつ水を飲みつつ、笑っちゃう程ワイルドでした。でもちゃんと飼い主の言う事を聞くので、これもやっぱり集団で生きる動物の習性なんだろうなぁ。お日さまのようにキラキラとした犬達を見て、こちらも嬉しくなったのでした。
(2007.7.31)