◆エキスポ出展作品のこと(8.9)
◆守護聖人サン・ロレンソの日(8.10)
◆いよいよエキスポ開催! その1(8.9)
◆いよいよエキスポ開催! その2(8.10)
◆グラナダ 〜「ニューヨークの詩人」(8.23
◆カピレイラ(8.22)



エキスポ出展作品のこと
-----------------------



この作品の制作にあたっては、いろいろ野を越え山を越えしての完成となりました。ある意味で、これほど悩んだ作品もないかもしれません。

モチーフは日本の霊獣たち。それもその赤ちゃん達。龍を作っていた時はたのしかったなぁ、、まるで手のひらのなかで産声が聞こえてくるようでした。狛犬は正直言ってまだよそよそしく、慣れないように思えましたが、快活さを一番に心して作りました。
作る前から頭の中で一番ハッキリと完成のイメージが浮かんでいたのは朱雀。雅楽がすきなのですが、笙の形は朱雀が羽を休めた姿から来ているとの事で、あの音色を自然と思いながらの制作となりました。

今回も、いつもお世話になっている親方の工房で制作させて頂きました。制作中は何度となく床に座って(その方が私には制作しやすい)いたのですが、見兼ねた(?)職人仲間が、”畳”をつくってくれました。”畳”といっても段ボールや梱包材を何重にも重ねただけのもので(柔道をTVで見た時の畳の印象らしいです)、ほんものの畳には似ても似つかないのですが、冗談でなく真剣に作ってくれたその気持ちが嬉しかったなぁ。

土そのものの白さに透明の釉薬を、と最初から決めていました。が、スペイン陶器は絵付けをした物が多く、ここの職人さん達の目には、真っ白、というのは、すこし奇妙に映ったようです。また、3年前にエキスポに出品した私の作品が、下絵付けばりばりの作品だったので、職人仲間にはその印象も強いのかもしれません。絵の具で色づけしないの?と親方以外の職人さんには何度か聞かれました(親方は人の作品には、致命的造形的な欠陥以外は口出ししない人です)。でもこの白さは大事なもののように、私には感じられていたので初志貫徹。

その後、作品に文字入れをしたのですが、悩みに悩んで悩みぬいたのがこの部分。書いて良いものかどうか心底悩んで、試行錯誤しつくして、天津祝詞を書かせて頂きました。しかしあれほど悩んだのに、完成してしまうと、どういうわけか作品はすっかりさっぱり自分の手を離れた感があり、不思議な感じでした。

いよいよ搬入締めきりの8月4日、エキスポ会場に行くと、沢山の作品を陳列中で、とりあえず作品の入った段ボールを係の人に渡して、仮展示をお願いして来ました。

搬入の翌日は雷雨。すぐに上がってしまいましたが、この時期、アンダルシアのフライパンと呼ばれるこの地方では珍しいことのようです。雨女の面目躍如だなぁ。ちなみに私が前にここに住んで居た2年間は、乾季である夏には一度も雨は降りませんでした。
雨が降るといいなぁ、と、じつはスペインにきてから望んで居たんですよね。だからとても嬉しく思いました。

この日は昨日頼んだ仮展示を確認しに会場へ。
会場にはすでに沢山の作品が整然と並べられており、私の作品はどこかな、、と見渡せば、すぐに見つかりました。初めてきちんと
展示された自分の作品をみた瞬間まず思ったのは『なんて瑞々しい』。
これは自惚れととられてしまうかもしれません。でも何のてらいもなく自然とそう思いました。窓から入る光の加減なのか、真っ白で、透明の釉薬がつやつやしていたからなのか、そのように思ったのでした。

無事搬入も済み、ああ、この約ひと月の制作三昧の日々も終ったなぁ、と思いました。

(2007.8.9)



守護聖人サン・ロレンソの日
------------------------------


ここ窯元の町の守護聖人はサン・ロレンソというローマ人。ローマ時代、新興宗教だったキリスト教は迫害されていたにも関わらず、ローマ人でありながらクリスチャンとしての活動を讃えて聖人となった人物・・・らしい。
この窯元の町、ラ・ランブラにはもともと守護聖人がいなかったのだそうで、それがペストの流行で多くの人々が亡くなり、その為、守護聖人を切望した町の人々が選んだのが、この守護聖人。最初3人の聖人をピックアップして、その名前を書いた紙を帽子の中にいれてくじ引きで決めたらしい。。

守護聖人の決め方にもいろいろあるようで、コルドバ県の守護天使はアルカンヘル(大天使)ラファエル。大天使ラファエルがコルドバに降り立ったという伝説から町の守護天使となったそう。そのため、コルドバにうまれた男の子はラファエルと名付けられることが多いのだそう。

スペインにはそれぞれ毎日365日、守護聖人の日というのがあり、今日はこの町の守護聖人サン・ロレンソの日だと言う事で、この町は祭日となっています。
夜9時からプロセッション(宗教的な祭事のひとつで「パソ」という守護聖人の像を乗せたお神輿を教会から担ぎ出し、町中を練り歩く行列)があるというので、見に行きました。


教会に到着したときにはすでにサン・ロレンソの像を乗せたパソ(お神輿)は教会をでて町中をゆっくりと進んでいる所でした。最初は騎馬隊(上写真)、そしてパソがやって来ます。そのパソの後ろをセビジャーナスという民族衣装をつけた女性と子供達が物凄い人数で行列を作ってパソについて行きます。

なんだか、こういうカトリック的及び土着的な祭事は、どんなアトラクションよりもわくわくしてしまうんですよね。
日本でもお神輿には、その神社の現在のご奉神ではなく、昔からのその土地の産土神が居られるといわれていますが、この町のお神輿にもやはりラ・ランブラの産土さまが鎮座されているのかな?などとふと思うのでした。


今日はいわゆる「ハレ」の日。
偶然なのかどうかわかり
ませんが、スペイン語では「ハレ」のことを「ハレオ」といいます。
ここでは神様と話す言語としてラテン語が用いられますが、日本語の祝詞と同じように、天界に通じる”音=コトダマ”というものについて思ったりするのでした。





----------------------------------------
おまけ

アトラクションといえば、このお祭の期間中に、町の広場に移動遊園地がやって来ています。(右写真)

いつもとがらりと様子の変わってしまった広場に驚きますが、さらにちょっと驚いた事が。。



ざます?

  
     おそ松くん・・だよね?






(2007.8.10)



いよいよエキスポ開幕! その1
----------------------------


いよいよ明日からエキスポの開幕です。

開催前日のオープニングパーティーには、ゆっくり作品を鑑賞出来る余裕も無い程に沢山の人々がつめかけ、盛況なものとなりました。

エキスポはコンクール会場と見本市会場とに別れており、まずは、コンクール会場からのご紹介をさせて頂きます・・・が、しかし、紹介、とはいえ、かなり個人的趣向の入った、偏ったご紹介になっている事をまずはお断りしております。どうかご了承になって以下をお読み下さいませ。

コンクール会場には、スペインを始め、イギリス、ドイツ、イタリア、フランス、トルコ、オーストラリア、アメリカ、日本、中国、等々世界各国からの参加者の作品が一堂に集められています。
大きく、3つの分野にわけられており、ビスコーチョ(無釉・焼き締め)部門、装飾部門(絵付けタイル、絵付けをメインとした大壷、大皿など)、デザイン・自由造形部門となっています。

下の写真はビスコーチョ部門に出展されていた作品のほんの一部。
この窯元の町の伝統的な焼き締め陶器は、非常に高い技術を要する為、やはり地元の職人さんからの参加が多く見られます。それでも年々技術が失われているそうで、この部門は、この窯元の高い技術が失われて行くのを留まらせるために、一役買って居るようにも見受けられます。


装飾部門の出品されていた作品群の中から、
個人的に一番気になったのが、下の作品。
写真では少し分り辛く撮れてしまっているのが残念です。
稲穂でしょうか、小麦でしょうか、収穫の風景を
アラビアの影響を受け現在ではスペイン独自の
「クエルダ・セカ」という技術を駆使した、
ゆうに1mは超える大作です。
クエルダ・セカも非常に手間がかかる技術の為、
今日では実用陶器に使われることは
ほとんどなくなってしまいました。
スペインの陶器に興味をもたれている方なら、
憧れの技術ではないでしょうか、クエルダ・セカ。


そして、デザイン・自由造形部門です。
直訳するとこんな長たらしい部門名ですが、いわゆる現代陶彫刻の部門だと思っていただければ間違い無いかと思います。3部門の中でも技術的な制約がないためか、一番国際色ゆたかで応募者も多く、他の2部門とはまたちがった意味で楽しませてもらえる展示です。

そのバラエティにとんだ作品を少しでも感じていだけたらと思いまして、ランダムに出展作品の一部の写真を掲載させて頂きました。

いずれの部門にしても、ここに紹介させて頂いている写真は全展示作品のごくごくほんの一部。特にここ近年は国際色も強まり、このエキスポは、世界に向けてこの窯元の町が力を入れた一大イベントになっているようです。
機会が在りましたら、陶芸に興味のある方にはぜひとも現地の会場に足を運んでもらいたい催しだと思います。普通の観光では絶対に見られない作品や作家との出会いがあります。

最後になりますが、今回出品させていただいた拙作が、デザイン・自由造形部門にて準グランプリを頂く事が出来ました。
(ラ・ランブラ陶芸協会のサイト>>>リンク

私の陶彫刻
作品の制作においては、なるべく自我を排除して、自然に降りて来る直感のようなものを大事にしてつくっています。ゆえに、今回の作品も自分自身の力というより何か大きなもの、、、自分の周りを取り囲む自然とか、日本という国に無意識の内に深く息づいている文化とか、、、に与えて頂いたものによるところが大きいように思います。

いつもお心遣い、応援してくださっている皆様に感謝の気持ちをこめて、ご報告させて頂きます。


 (2007.8.9)



いよいよエキスポ開幕! その2
----------------------------


こちらはラ・ランブラの各窯元のブースが並ぶ見本市会場 ”naves de ceramica”。古い回廊(naves)式の建物を会場に使って20社以上の窯元が参加展示して居ます。
見本市会場内は写真撮影禁止のため、特別に許可を頂いてほんの数ブースだけ撮影させて頂きました。

会場入口を入ってすぐ、このエキスポへゲスト参加されている他の町の窯元のブースがありました。
スペインで非常に大切な地位を占めておられるJAENハエンの窯元「TITO」のブースです。(左写真)

まず目に入るのが、先代親方の等身大の陶人形。(この人形には、毎回会場に入る度に、本当にだれか座っているようで、ついどきっとさせられます。)
そして、等身大の人形と大きさを比べて頂くと分るかと思いますが、強大なランプ壷。このくり抜き技法の見事さには言葉も在りませんでした。これだけ大きな壷の壁面を、土が生乾きのうちにこれだけ細かく沢山の窓をくり抜くというのは、至難の技。くり抜く程に壷の壁面は弱くなり、その重さを支え切れなくなって崩れる恐れが大いにあるからです。・・おそらく陶芸経験者にはこの大変さが、わかって頂けるのでは無いでしょうか。。そして、そういった技術的な事にういてわからずとも、展示された作品には迫力と美しさがあるように感じられました。ほんとうに、「凄い・・」の一言です。

もともと無釉薬の焼締めの水瓶の生産地だったここ窯元の町ラ・ランブラでは、約50年前にスペイン各地で水道が普及しだした時、その生産スタイルを変えざるおえなくなりました。

現在では各窯元が独自のスタイルで現代的な実用食器をはじめ、タイル装飾、ガーデニング製品などを、生産し続けています。

古来の先細り形の壷を
植木鉢にアレンジしたもの。→


↑陶と共に室内装飾用の絵画の提案も。絵画を飾る文化あってこそ。

ここの窯元で生産される陶製品を見てると、生活の中での「陶」というものの活躍の場の広さを感じずに入られません。
もちろんこれは、日本との生活習慣の違いに寄るものが大きいからですが。
噴水、タイル絵、飾り皿などはここでは一般家庭における実用陶製品になります。
これらものは、アンダルシアの家には涼をとる為に必ずある、パティオ(中庭)あるからこその陶芸文化といえるかと思います。

それらの一般実用陶製品にも現在は、モダンな装飾が多く求められているように思います。実用性は高く、しかしデザインは新しく、、という感じで。


↑伝統的技術、ロクロでの実演。
老舗の窯元の職人さんの技がまぢかに見られる貴重な機会。

この町では伝統的な焼締めの水瓶を生産する窯元は姿を消しました。(この町に120件以上ある窯元のなかで、現在2件だけが土産品としてこの水瓶を生産しています。)
しかし、伝統的な「技術」と「経験」は受け継がれています。

日本でも同じだと思いますが、日常生活が急激に変化している現在(必ずしも良い方向に、、かどうかは正直わからない部分もあるのですが。。)、生きた窯元群にとって「伝統を守る」という生産体制だけは、すでに”日常生活のなかで価値のある陶芸”にはなりえません。
保護され、守られた時点で、それらは日常を離れ、非日常的な別の価値を持たされます。(かつての実用陶器だった焼締めの水瓶が、いまは土産物として在るように。)
そういった意味では、この町の窯元は現代に生きる手づくりの陶芸を生産しようと挑戦し続けている、新しい形態をもった窯元の町であるように感じるのです。
(2007.8.10)



グラナダ 〜「ニューヨークの詩人」
--------------------------------


エキスポも無事終了し、5日間ほどばかり旅に出ました。ここコルドバからバスで2時間半ほどの所に在るグラナダです。

グラナダを訪れるのは3年ぶり。そして、アルハンブラ宮殿内には17年程ぶりに入りました。
じつは3年前の夏に来た時もアルハンブラ宮殿を見たかったのですが、入場券の予約が取れず、泣く泣くあきらめたのでした。

アルハンブラ宮殿のなかでも観光の要といわれるナサリ宮殿の入場は、さらに細かく時間指定の入りの入場券が必要となります。今回はインターネットと電話を駆使して、友人の助けも在り(感謝!)なんとか訪問日の数日前に入場券の予約を確保できたのでした。

見学当日の朝、チケット売り場に行って長蛇の列を目の当たりにして(当日入場券を購入するのに6時間待ちだそうで、しかも必ずしも入れるとは限らない)、時間の限られた観光客には事前予約は必須だなという事をさらに思い知ったのでした。ああ、よかった。

右写真はおそらくアルハンブラ宮殿といえばここ、といわれる場所のひとつではないでしょうか。ヘネラリフェ宮にあるアラブ式噴水。

このヘネラリフェ宮はアルハンブラ宮殿の庭、ヘネラリフェ庭園の中程にあるのですが、今回わたしは、この庭園がいたく気にいってしまいました。午前中の早い時間だっということもあるし、アルハンブラ宮殿が山の上にあるという事もあって、清涼としてすがすがしい気持ちで散歩させてもらいました。

青空にすっくとのびるこの庭園の杉林は17年前にここを訪れた時に、やはり強く印象に残っている場所です。杉の木のてっぺんからのぞく青空は、まるで空色のいろ紙をハサミで切ってぺたっとのりではりつけたように奥行きすら感じさせないくらいの単純でこれ以上ないと言うくらいの青さだったのを思い出だします。
今回、この杉林が相変わらず(いやおそらくあの当時よりも大きく伸びて)そして、空も相変わらず青く、それがなによりも嬉しいことでした。

実は17年前にヘネラリフェの庭に来た時の印象は、もっと枯れ荒んだものだったように思います。
10年程前になるのでしょうか、世界文化遺産に指定されて後、アルハンブラの宮殿の方は、現代的なエントランス、観光向けにと要領よく切断されてしまった順回路、土産物屋の充実、そしてなにより入場券の確保の煩雑さに閉口するものがありますが、ヘネラリフェの庭に関しては、きちんとした庭師の確保もあってか、以前よりもずっと手入れがされていて、草木も喜んでいるようにかんじられたのでした。

さて、ヘネラリフェの庭が気に入った私には今回、どうしてもみのがせないものが一つありました。それは、アルハンブラ宮殿のあちこちに貼られていたモダンダンスの公演のポスター。。タイトルは「POETA EN NUEVA YORK」(ニューヨークの詩人)。会場はヘネラリフェ庭園内とありました。

今回のグラナダ滞在で大変お世話になった現地在住の友人Mちゃんは、すでにこの公演をみたとのこと、そしてなかなか良い出来だった事を聞き、見に行くことにしました。

開演は午後10時。場所はヘネラリフェ庭園内の特設野外劇場。
なんて贅沢。

内容はストーリー性のあるモダンダンスで、主人公はグラナダ出身のかの詩人ガルシア・ロルカ。
彼が実際にニューヨークに滞在して居た、その時の心情をモダンダンスで表現しています。
フラメンコ的表現は彼の故郷グラナダを象徴し、ジャス的表現は当時のニューヨークを象徴しつつ舞台はすすみます。
所々カンタ・フラメンコ(フラメンコの歌)やロルカの詩のナレーションが入りますが、スペイン語がわからなくとも分かりやすい内容展開。

死すら当たり前のように飲み込んで行くニューヨークの中で、人を信じる事が出来ず、ひとり孤独のなかに落ち込んで行くロルカ。何度も壁にぶち当り、血を流しつつも尚、壁に体当たりし続けるしか無い異邦人・・・・。
我をも失い、これ以上行き場が無い所まで突き詰められた彼の精神は一転して浄化に向かいます。

浄化、、その象徴は「水」でした。

舞台の上方から落下する大量の水のカーテンのなかで踊るダンサーたち。
水は身体に当って跳ね返り、その細かな水しぶきは、まるで体から光を発しているかのように白く輝いてみえます。また腕の下から幕をはったようにこぼれ落ちる雫はまるで腕から生えた薄い羽根のよう。ダンサーは舞台上の水しぶきの中、空に向かって羽ばたきます。
何度も何度も。
その水でできた羽根を動かして。

ロルカの心情を表すこの水の演出は見事というほかにありませんでした。
圧巻です。

最後にロルカは新天地、キューバのサンティアゴにむけて旅立ちます。かれのニューヨークでの生活はここで幕をおろすのでした。

終演後、時計を見ると深夜の12時ちょっと前。スポットライトに妖しく浮かぶアルハンブラ宮殿を後にして、市街地行きの臨時バスにギュウギュウ詰めになりながら帰宅したのでした。
(でもスペインでは深夜の12時なんてまだまだ宵の口なんですけどね。)

(2007.8.23)



カピレイラ
--------------


スナフキンみたいなカピレイラの煙突たち


せっかくグラナダまで行くのなら、と友人カルメンの勧めもあり、グラナダ市街からバスで約2時間半、シェラネバダ山脈を登って登って登ったところにあるアルプハーラと呼ばれる地帯にぽつんと在る小さな村、カピレイラに行きました。 左写真が村の遠景。

中世のスペインでは、カトリックに追われたアラブ人が山奥に逃げ込んで作ったのがこの村だそうです。この近辺には歩いて数十分程の所に同じように小さな村が他にも2つあります。いずれも追われたアラブ人の隠れ郷です。どの村も
小さな家々が身を寄せあうようにして険しい山中にひっそりとたたずんでおりました。

到着早々の雷雨もなんのその、ひとまず雨があがれば暗雲は残っていたものの早速村の散策へ出かけました。1時間程もあれば充分ひとまわりしてしまえる程の小さな村です。私はこういう小さな村の方がどうも好きなようです。

現在の村の産業としては、織物が有名なのでしょうか、ガイドブックなどにはそう書いてあるようですが、町を実際に散策していて産業と言える程の活発さは見えて来ないように思えました。

となり村のブビオンまで散歩した折に、機織り作家さんのアトリエを覗かせてもらいました。彼女はスペイン国内のみならず いろいろな国で活動されているとの事で、作品とともに活動ファイルなどを見せてくれました。けれど、やはりこの村の中だけで生計をたてるのは大変厳しいと話しておられました。かつてこの村に住んで居た多くの工芸家(彫金師、陶芸家、織物作家、木彫家等々)は村を出いってしまったとの事でした。


カピレイラで泊った宿のご主人は、25年前にこの村に日本人画家が住んで居たというお話をしてくれました。
(いや、そもそも私が宿のお風呂場を水浸しにしていまい、あわててモップを持って駆け付けて来てくれたのが宿のご主人で、そんなこんな事から会話をする機会を得たのですが、、)

話してみると宿のご主人、日本語が少しだけならわかるそうな。その日本人画家は彼の親友で、彼自身も日本へは3、4回程、長くてひと月の間、旅行したことがあり、その旅行の度に日本の友人が増えて行ったとの事。その宿には彼の友人の絵画が、そして1階にあるバルには陶の狛犬などが飾られていました。

彼の友人の画家は日本で亡くなり、それでも彼は日本にいる大勢の友人に会いに、東京、横浜、大坂、京都、奈良、、、などなどに行くのだそう。そして『大きな町より小さな村が好き』という私の意見に賛同し、彼も東京といってもいつも奥多摩に行くのだというお話をしてくれました。
スペインでは一度もしたことのない釣りを奥多摩で初体験して以来、日本でも自然のなかに居ることに嬉しさを感じているそうです。なんだかわかる気がします。

カピレイラにはたった一泊しかしませんでしたが、印象に残る村でした。
そうそうここは有名な生ハムの産地でもあり、村の飲食店のメニューにはメロン・コン・ハモン(生ハム付きメロン)もしっかりあります。生ハムのおつまみ、私も宿の御主人のバルでnonアルコール・ビールと共に頂きました!

帰りのバス、ねうねの山道に気分が悪くなりつつも、車窓からみえた風景は壮観!


(2007.8.22)