◆晴天且つ荒波(9.4,5)
◆チャレットでごはん(9.11)
◆またもや食べ物の話題です(9.12)
◆黄金の町(9.20)
◆川と海の境(9.21
◆ふつうの日常(9.23
◆まだ日常は続く(9.24



晴天且つ荒波
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「barcon de europa/ヨーロッパのバルコニー」と呼ばれる岩上から(Nerja)
この日の海は水平線が霞んで空と一つになっていました。


なんとラ・ランブラ町の老人会の遠足に参加しました。
友人の提案で、私の母にこの町の同年代の友達ができるといいね、という所から話は始まったのですが、友人と私も参加する事に。

午前中マラガのピカソ美術館やピカソの生家をまわった後、エル・パロという地中海の海岸へ。
お昼ごはんは、この海岸レストランで魚介類。
「ミゲリートカリニョ〜ソ/愛しいミゲルちゃん」という口にだすのも恥ずかしいような名前のレストランでしたが(現に友人は団体待ち合わせ場所でもあったこのレストランの場所を人に聞く時にためらっていた/笑)、しかし名前に反して(?)ほんとうにおいしい新鮮な料理をたらふく食べさせてもらいました。

昼食後、
せっかくマラガまでいくならと、途中から遠足を離れ、別行動で漁村の風情がいまだ残るといわれているネルハという町まで足を伸ばしました。

しかし着いてみれば、ネルハは漁村の風情どころかまったくのリゾート海岸の印象で、すこしがっかり。訪れるのが外国人ならば、町の中心から海岸まで続く道の両脇に並ぶ沢山の土産物屋や衣料店、飲食店の経営者はスペイン人ではなく外国人。

さらにスペインでは当たり前のバルが極端に少なく、レストランばっかり。しかもリゾート値段で高い!スペインでありながら、イギリス人経営の飲食店に行くと、モスト(ノンアルコールワイン。美味。)が置いてないんだよね。
そんなわけで、スペイン人の友人とお手ごろなバル探しに四苦八苦。こうなるとスペインのバルがなつかしい。地元で地元のものが飲み食いできないとは!意地でも探す。

結局この日の夜は唯一みつけた、スペインの魚貝のタパス立ち食い店でなんとか満足。エビの粗塩炒めが旨い。
この日はここで一泊です。(右上の写真は泊った宿でお風呂からでたら、煙った鏡に浮かび上がった絵。先客が描いたのかなぁ。わかります?)

翌日は「ネルハ洞窟」へ。
これが意外にすごかった。
全長800m。一巡りするのに約40分かかる。
アルタミラ洞窟と同じく、この洞窟にも先時代人の残した赤い染料で
描かれた魚の壁画が残っている。海の傍だからこそ、魚の絵、なんだろうなぁ。けれどもこの絵は保護のため一般公開はされていなかったのでした。魚の絵は結局写真でしかみられなかったけれど、何かの絵の断片(人の顔のようなもの?)は見られました。

洞窟のなかは、狭いトンネル状ではなく、おおきなホール状(天井までの高さ80m)になっていて、手を叩くとかなりの残響音。夏にはここでクラシックコンサートが開かれるとの事。アルタミラの洞窟でも、先時代人が洞窟のなかで絵のみならず音の反響をつかって何かしていた事が、調査されているそうだけれど、これだけの天然のホール、音を鳴らしてみたくなるのは、自然な心理のように思えます。

さらにネルハからバスで30分程の町、フリヒリアーナへ小旅行。ここはいわゆる「アンダルシアの白い町」として、ミハスとともにガイドブックなどでも知られた町。
そしてアンダルシアの白い町につきものなのが日本人団体客。日本人に限らないのだけど、外国人がよほど沢山くるのでしょう、お店に入ると、店の人は最初あまり話をしない。でも私達がスペイン語で話をしているのを聞いて、『あら、スペイン語がわかるのね。』と言ったとたん饒舌になっていろいろと商品の説明をしだすのでした。

フリヒリアーナには1時間程滞在したでしょうか、その後またバスに乗ってネルハへと戻ったのでした。
ネルハに戻るバスの運転手さん、聞けば地元民だというので、私達はさっそくネルハで魚貝の旨いタパスを出すバルを教えてもらいました。

観光通りとは全く離れた裏路地にそのバルはありました。昼食に満足(地元情報は大事だ!)したあとは海岸へ。ちゃんと水着をもってきていた友人は海へ。しかしこの日は晴天にもかかわらず、かなりの大波で監視台には遊泳禁止の赤旗が上がっていました。なので、誰もが波打ち際でちゃぷちゃぷ、、というより波の力に押されてアワアワしていました。荒ぶる風を見て『どこかで嵐があったらしいね。』と誰かが言いました。でも水着をもっていたら私も海に入りたかった。

何故か泳ぐ事を考えていなかったので水着も持ってこなかった私は裸足になって、浜で波に濡れつつ石さがし。ここの浜は以外と貝殻は少なく、砂浜いうより砂利浜です。

石・・といっても良く見ると、半透明。陽にかざすと透き通っています。これ、瑪瑙・・いやもしかして水晶じゃ無いかなぁ?(左写真)よくみるとそんな半透明の石が辺りにごろごろ。こうなると石さがしもさらに楽しい。一個一個陽に透かして眺める。
でも誰も拾って無いんだなぁ。長い事海を漂ってまるく削られヒビの入った石なんて何の価値もないだろうし。それにスペインには日本みたいな石ブームも癒しブームもないし。(そういうところがすごくスペインって健康体だなぁと思うのです)

さんさんと輝く太陽の元、海岸でずーっとしゃがみこんで下むいて何かほじくっている私は不審かもなぁと思いつつ、でもなんだかどうしても石の仕事をしてる日本の友人にみせたくなって(何の価値も無い石だというのはわかっているのだけれど)、おでこを日焼けでひりひりさせながら綺麗な石をいくつか選んで頂いて帰ってきたのでした。

(2007.9.4,5)


荒ぶる波。サーフィンできそう。



チャレットでごはん
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この町の人々は平均してお金持ちか、と言うと、大変失礼ながら、そうでも無いかなと思うのですが(陶芸の窯元はどこも同じだ。。)、「豊か」であることは確かだと思います。
では
何が「豊か」なのかと言うと、人とのつながりや日々の過ごし方など、お金にあまり関係のないところで豊かだなぁと感じることが多いように思います。

さて、この町の多くの人々が別荘というか、別宅を持っています。
別荘だなどというと日本人には金持ちのステータスのように聞こえそうですが、この町のチャレット(別宅)というものは、どうもそういう日本的感覚とはまったくちがった別荘なのです。

 何十年もかけて家族みんなで作ったとか、庭のプールのタイルは一枚一枚自分達で貼っただとか、入り口の扉は要らなくなった古い家のものをもらって来て自分で取り付けたのだとか、今度お金がたまった時に窓ガラスをいれるからまだ窓は素通しなの、とか、、手づくり感いっぱいの別宅には愛着がいっぱい。

週末になるとこの町の友人達が有り難い事にそれぞれのチャレットへ遊びに来ないかと誘ってくれます。たいていチャレットは町なかから車で5〜10分程度の近さにあって、ちょっとプールで泳ごうかとか、本をゆっくり読もうとか、美味しいものを皆で作って食べようとか、そんなときチャレットに出かけます。

左上写真はカジョスというモツ煮込み料理とエンパナーダなど。右上写真の、アンダルシアの典型的スタイルのチャレットへ友人からお誘いを受けた時にご馳走になりました。


チャレットで主に料理を担当するのは、私の知っている限りでは、男の人達。
プールで泳いでそのまま海パン姿でさっそうと大なべの前に立ちます。大鍋のパエージャなんて作っている間中熱いから、海パンでちょうど良さそう。

右の写真は、友人達14家族で一つの大邸宅をチャレットとして使用している、その邸宅の台所でのパエージャづくりの一場面。人数が多いから大鍋でわしっわしっと作っています。

左写真、パエージャ完成。
ナベの前に立っているのがこの町で一番のパエージャ名人、、というのはウソ。(そう言ってくれと言われた。)

ええと、この少年じゃ無くて、本当にこのパエージャを作った友人はこの町のパエージャ名人で(本職は軍人さん)、非常に美味しいパエージャを作るので、いままで食べてたパエージャは何だったんだ?と思うくらい美味!!
残りが出るとみんなタッパを持って来て家に持って帰りたがるので、こんな大鍋で作っても食事の後は米ひと粒も残らないのです。

 お食事あとのたのしみはポストレ(デザート)です。たいていみんなエラード(アイス)や果物などを持ち寄ります。

 先日、私達も何か日本の食事を作ろうと、日本的カレーライスをつくった日に、コルドバから遊びに来てくれた友人が、ポストレにとお手製のタルタ・デ・サンティアゴを焼いて持って来てくれました。(右写真)
これは本当に嬉しかった。
ちゃんとサンチャゴの紋の十字架の型も抜かれています。

タルタ・デ・サンティアゴは、北スペイン、ガリシア地方の、アーモンド粉をたっぷり使ったタルトで、4年前に私がサンチャゴ巡礼道を歩いた時に大好きでよく食後のデザートに食べていたものなのです。
今回の友人が作ってくれたレシピは、レモンの皮の摺りおろしが適量入っていたり、卵の量も絶妙で、適度にしっとりとして本当に美味しく、自分でも作ってみたくなったので作り方を教えてもらいました。日本に戻ったら作ってみよう。

そんなこんなでたいてい週末はみんなチャレットに集まって、美味しいものを作って食べて、ソファで昼寝したり、お喋りしたり、テレビを見たり、庭の畑でトマトやナスやレモンやらを採ったり、ミントやベンジャミンの花を摘んだり、プールで泳いだりして、帰りたくなったら家にかえって来る、、という東京の家では考えられない贅沢な週末の時間を過ごさせてもらっているのでした。

(2007.9.11)



またもや食べ物の話題です
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食べ物の画像がいつくかあるので、ご紹介。

左の写真はミガス制作中。
ミガスというのはもともと羊飼いの料理です。
いや、もともと料理というほどのものでもないのかもしれません。その昔、羊飼いはいちど羊を連れてカンポ(野)に出ると、数日帰って来ません。野宿をします。その際にお弁当に持って出たパンは翌日には固くなってしまっているので、その固いパンを再利用した料理がミガスなのです。
調理法はとても簡単で、固くなったパンを水に浸し、柔らかくなった所をオリーブオイルとひとかけのにんにくで炒める。味付けは塩のみ。最初、水気をふくんでもっちりしていたパンが、炒め続ける内にぽろぽろと粒状(migas/ミガス)になってきたら、食べごろです。チャーハンのパン版といえばわかりやすいでしょうか。
生ハムをのせたり、カブをかじったり、好きなおつまみと一緒に頂きます。(右写真)ほかにはデザートバージョンとして、ミガスのチョコレートがけなんていうのもあります。
 香ばしくて美味しいくて、けっこう癖になります。

お次は、アンダルシアの名産といえば、これもその一つ。「カルネ・デ・メンブリージョ」。
メンブリージョという柑橘系の果物の羊羹のようなお菓子です。
メンブリージョは日本語ではマルメロと訳されているようですが、あまり聞かない名前です。
私がマルメロという果物を知ったのは、スペインのドキュメンタリー映画「マルメロの陽光」です。

マドリッドの画家の日常をただただ淡々と映し出す、それは美しい映画でした。寡作な画家は自宅のパティオに植わっているマルメロの木をそれはそれは大切に育てています。実がなる季節にキャンバスを取り出して来て、陽光に輝く、もしくはまるで陽光そのもののようなマルメロの実を描きたいと願っています。マルメロの陽光の様子は日々違って見えます。そのどれもが美しい。どんなに願ってもそれをキャンバスには描き留める事ができないのです。ほんもののマルメロの陽光にはかなわないのです。
画家の愛情を受けて育つマルメロはとても小さな木です。しかしその小さな木に不釣り合いな程、沢山の実を付けます。まるで画家にありがとうと言っているように。。
とても静かな淡々とした映画ですが、大好きな映画です。
「カルネ・デ・メンブリージョ」を薄く切ると光に透き通って、またこの映画を思いだして、ささやかな幸福に浸るのです。

右写真はこれもスペイン名物のチュロス。
この町では土日の午前中のみに専門のお店で売られます。朝からみんなこのチュロスを買おうとお店の前に並びます。
ぴりっときいた塩味に、かりっと揚がった歯ごたえが、これまた癖になるのですが、食べ過ぎには要注意で、かなりオリーブオイルを含んでいるので、お腹がパンパンに膨れて、その日後は一日中何もなべられなかった、、という事も。

塩味のこのまま食べるのも美味しいですが、ブラックチョコレート(日本の様な砂糖がどっさりとは入って居ないもの)を熱したミルクに溶かしたものに浸けて食べるのもまた美味しいのですが、、ほんとに太りそうですねえ。

左は、夏休みにガリシア地方に旅行して居た友人から、お土産にもらったチーズ。カリシア名産のtetilla/テティージャ。”ちっちゃいおっぱい”という意味です。そんな形してます。
柔らかくてもっちりとした歯ごたえで、塩味は控えめ。臭みも無いので食べやすい。

ガリシア地方と言えば4年前にサンチャゴ巡礼をしたのですが、その時はお土産なんて気がまわらなかったなぁ。最近スペイン語版文庫の「星の巡礼」(作者パウロコエーリョが、サンチャゴ巡礼でのスピリチュアルな体験を描いたもの。私もこの本の影響で巡礼をしたのでした。)を読みはじめようとしたら、このスペイン語版へ、作者のパウロ氏が特別に序文を寄稿されていました。
大まかに内容をまとめさせてもらうと、「巡礼を歩く事で、何か宇宙の原理や、精神世界の解明の秘密などに近付けると思っていた。しかし実際にはその真逆で、そこにはだた日常があり、特別な事はないのないのだという事を思い知るのだった。いまでも私はカミーノを歩き続けているのだ。」というようなものでした。これを読んで全く同じ思いでした。巡礼というあの特殊な状況のなかでつかみ取ったものは、『日々の日常を歩く(生きる)こと』だったと思います。

カミーノのあの土ぼこりや、肥料の匂い、そしてテティージャではなかったけれど、毎日たべたチーズやハムの事。地平線まで広がる閑散とした風景の中でひとりぼっちだったこと。でも
不思議と怖く無かった事。忘れないと思います。

話が随分脱線しました。
食に戻って、右写真はシルエラ。私がスペインで一番すきな果物です。
辞書で「シルエラ」を引くと、梅、と出ていますが、日本の
梅とはちょっとちがうかも。
それでも今回は砂糖漬けにして梅ジュースを作ってみました。なかなか美味しく出来たので日本へこれを持って帰ろうかと一時思ったのだれど、何しろ重い!
そこで考えて、こんどはこのシルエラで、パンの天然酵母をつくってみました。現在発酵中。上手く行ったら、日本でパンを焼いてみよう。そうだ、こちらの強力粉も少し持って帰ってみようかな。

ついこの前までは、この町の大きな小麦粉工場の前には巨大なトラックが何台もスペイン中から集まって来ていました。小麦の収穫の時期だったからです。刈り取られたあとの畑野はとら刈りの模様になっていました。

さて今現在は左写真の葡萄の収穫の時期です。こちらの葡萄畑は木を低くつくるので、中腰になって、地平線まで続く畑の葡萄を刈り取って行く、というかなり腰に負担のかかる仕事です。


この地方の葡萄は、モンティージャ・モリレスという銘のワインをつくるのですが、地元でほとんど飲み干されてしまうとの事。あまり外にだなさいのだそうです。だれかが、『スペイン人は商売が下手だ。自分達が美味しいものを飲んで、美味しいものを食べられればそれが一番だと思っているから。』、と言っていました。このワインにもそれが象徴されているのかもしれませんね。この地方出身の私のスペイン語の先生(日本在住20数年)は、日本では絶対に味わえないこのワインをいつも懐かしんでいました。

という訳で、今回の食べ物のお話はここまでです。なんだかいつも食べてばっかりみたいだと思われるかもしれませんが、それだけれはないですよ。と、一応言っておこう。。

(2007.9.12)



黄金の町
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黄金の町、セビージャ(セビリア)に行って来ました。(左写真はカテドラル)
何度か訪れている町ではありますが、今回のこの町の変わりぶりには驚きました。

町中にはモダンなデザインのメトロ(といっても地上を走る市電)の試運転が開始されていて、カテドラル(大聖堂)周辺の景色は私の知っているセビージャとは別物になっていました。

私の知っているセビージャというのは、17年前に訪れた時の印象で、まだまだかなりレトロな雰囲気の残る古都、といった風でした。
 町の中心地の商店街に行ってみると、昔、見てまわるのが楽しかった、文房具屋さんや生地屋さんなどの小売店の面影は無くなり、全国チェーンの洋服屋や靴屋に様変わりしていました。どこも同じなんだなぁ。これが発展というものか。

今回訪れた中で、17年前当時の私の記憶通りの町並みをかろうじて残していたのが、トリアナ地区でした。中心街から少しはずれたところにあるのですが、黄色やレンが色の古い小さな建物、デコラティブな可愛いテラスのひしめく住宅街。生活に必要な、果物屋、教会、広場、バル、市場。。。

それからやはりカテドラル、そしてアルカサル(アラブ式の城)といった観光の目玉といえる建造物は、工事中だったのが気になる所では在りましたが、ほぼ昔のままで、とくにアルカサルの中に入ったときには、ほっとしました。(右写真はカテドラルのヒラルダの塔の上より)

今回初めてアルカサルのなかで、アウトギア(イヤホンがイド)を借りてまわったのですが、これはお勧めです。各所でかなり詳細な説明があるし、このアルカサルの城主だったドンぺドロ1世までもがガイド役として登場して解説してくれるのもまた一興でした。

13世紀当時、アラブ職人の技術を高く評価し、アルカサルの建築に着手したのが、このドンぺドロ1世です。アラブの建物の美しさを認め、その芸術性をとりいれたカトリック文化、、その痕跡が建造物に見られる町が、このセビージャのように思います。アルカサル然り、カテドラル然り。

コルドバのメスキータはスペインの今まで見て来た建造のなかでも一番すきな建物なのですが、このメスキータは完全にイスラム建築とカトリック建築が一つの建物の中で対立しています。しかし圧倒的に優勢なのがイスラム建築の部分です。私が好きなのも神秘的ななイスラム建築の部分。カトリック建築の部分はイスラムの素晴らしい芸術性に負けないように、という思い気負いが見られてどうも息苦しい。

このようなメスキータの2つの文化の対立性を思うと、セビージャのドンぺドロはかなり素直にイスラム建築の美しさを受け入れてこの城を建築したように思います。城に入るなり、ほっとしたというのも、何の気負いも感じないからかもしれません。

しかしドンぺドロ以降、後年になってアルカサルの中にも一部ゴシック建築が取り入れられます。その後年に増築した一部分は、やはり全体から浮いています。職人の技術による芸術性の高さというよりも、王侯貴族の権力の誇示が全面に押しだされているようで、見苦しく感じます。あくまで個人の
感想ですが。

それにしてもアルカサルをみていると、アラブ職人を養護していたと言う王の元で、職人達は、もちろん私などには想像できない部分に多々苦労はあったかと推測しますが、それでも、王の城だからこそ、時間もお金もおしまずにこれだけの装飾を手を抜かずに極める事が出来たということ、すこしうらやましいような。。。やはり芸術にはパトロンという存在が必要なのかとも思ったり。。


(2007.9.20)



川と海の境
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ヨーロッパ最大といわれるドニャーナ国立自然公園にいってきました。

この自然公園にはアンダルシアのいくつかの町からツアーが出ているのですが、今回参加したのは船でグアダルキビル川を遡るコース。河口の町サンルカール・デ・バラメダから出発する約3時間半のツアーです。グアダルキビル川はアンダルシアでも特に重要な川で、16世紀の黄金時代には通商の拠点でした。この川をずうっと遡って行くと、セビージャ、そしてコルドバへと繋がって行くのです。


川を遡り、決められた地点で上陸して自然観察をします。上陸したとたんものすごい蚊の大群の猛攻撃。蚊がすごいと聞いていたので、事前に殺虫スプレーを用意して行ったのでまだ被害は少なかったのですが、それでも顔や服の上からなど数カ所指されました。私の前を歩いていた男性は背中じゅうに蚊がとまって、オレンジのポロシャツがまっくろ。おそろしい。自然になるがままの状況とはまさにこの事である、と体感。
『蚊がそんなに嫌なら船に戻って待っていれば良い。』と、ツアーのガイドは至ってクールです。こういう方って絶対に刺されないのだよね、不思議。

ここの群生する野生のフラミンゴは有名なのですが、果たしてみることができました。こちらもまた豆粒のように遠くからですが。
特にこの自然公園のなかで有名なのが絶滅危惧種のリンセ・イベリコ
成獣の生息数、約30頭とのこと。白いおひげが特徴のオオヤマネコの仲間です。が、もちろん見る事は出来ませんでしたが。
他には立派な角を持った牡鹿、数頭の牝鹿たち、真っ黒い猪を、「プランチャ」と呼ばれるこの公園内に住む人々の伝統的な茅葺き屋根の小屋(日本昔話に出てくるような)の中からそっとのぞきました。


動物達はどれも豆粒のように遠くにしか見えないのですが、それでも見られてうれしかったなぁ。今回はのツアーは午後5時発だったのですが、お食事時間だったのでしょうか、サバンナでは皆草をはんで居ました。あたりまえのことですが、動物園とはまったく違う自然の状況でここの動物をまぢかに見たければ、ここの調査員かカメラマンにでもなるしかないのだろうなぁ、と思います。

サンルカール・デ・バラメダの町を特徴付けているのは、やはり河口の町だと言う所のように感じます。川でもあり、海でもある。海は大西洋でコロンブスもここから出発したそうですが、荒く野性味を感じます。海に出ると潮の香りがするのですが、河口に入って行くとそれが急になくなります。
 古事記や日本書紀などにでてくる
イザナギノミコトが黄泉の国から戻って来て禊祓いをしたのは、海だと言う記述と川だと言う記述と両方あるそうですが、この町のように、川でもあり海でもある場所というのがこの地上にもあるのだなぁ、となんとなく思いました。なんとも不思議な感じのする場所です。

(2007.9.21)



ふつうの日常
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皆でもぎ取りまくった別荘の庭のレモンの木。それでもまだまだ鈴なりです。

日本へ帰る日がだんだんと近付いてくると、いま私はここに居るのに、、と非常に複雑な気持ちになる。帰りたく無い、と言うのとも違うけれど、ここを離れ難い気持ちは間違い無く強い。3年弱前に帰国した時は、とても寂しかったけれど、今回はその気持ちを上回って寂しいような・・3ヶ月は旅行には長いけれど、住むには短すぎる。

今年のコルドバの夏は涼しくて、動けなくなる程暑かった日は3日間程。そんな日にはひんやりとした石の床に直に布を引いて眠った。でも大概朝方や夜は涼しくて長袖でも良いくらい。ここ数十年でもこんなに涼しい夏はなかったそうだ。ブエナ・スエルテ。

朝起きてカンピーニャ(なだらかな丘々)の葡萄畑やオリーブ畑などを眺めながら工房へ歩いて行き、ろくろを引いたり陶器に絵付けをしたり、お世話になっている工房では最近絵画の販売も始めたとの事で、100号くらいのキャンバスに何枚も絵を描いたり。

お昼どき(午後2時)には一度家へ帰って昼食。そのあとまた午後工房に出かけたり、あるいは家で友人に頼まれた水彩画を描いたり。日本から持って来た神道の本で勉強をしたり。

夜になってずっと涼しくなると、お風呂に入ってから、友人といつものバル「ボティホ・ブランコ」でモスト(ノンアルコールワイン)を飲んでお喋りしたり、夕食をとりながら友人宅で映画を見たり。。。たいてい午前1時ころに家に帰って眠る。


毎週水曜日にはコーラス隊の練習に行って、たまには友人と隣町の蚤の市に行ったりバルに行ったり。

そんな普通のこの町の毎日が大好きです。
友人を見ていても感じるのですが、心身共に健康というのはこういう事だなぁと。悩みや怒りはあってもすべてとても健康な範疇で起こっている。忘れちゃいけない大事な事がたくさんここには当たり前のように日常にちりばめられている気がします。
また、人と人との距離感が近く親しいといっても、とても心地よく感じられるのは、おそらく「自分と他人は別者」ということを完全に認めて個人個人が独立した精神をもっているからこその親密感から来ているからでは無いでし ょうか。

帰国の直前、最後の日曜日に友人の別荘をかりて、日本食パーティーを開きました。母が3食ご飯を作り、私は手巻寿司とアサリのお吸い物。。日本食、、といってもこんなものしか作れなかったのですが、親しい友人達が来てくれました。また来年もここに来られると良いなあ。

(2007.9.23)



まだ日常は続く
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書いても書いても書き足りない滞在記なのですが、今後は日本での
生活のなかに今回の経験も自然と溶け込んで行く事と思います。

日本へ帰国してからも思いだすごとに
ちょこちょこっとスペインの出来事を引き続き
おぼえがきさせてもらいますね。
---->>> 陶芸ブログ おぼえがき

(2007.9.28)