老女とクレープ

カミ−ノ巡礼中は遅くとも午後1時までには次の町のアルベルゲ(巡礼者用宿舎)に到着するようにしていた。なぜなら私が歩いた夏場は巡礼者が多く、遅く到着するとベッドが確保できないのだ。ベッドが確保できず床に寝る事を考えてパッド(敷きマット)を持ち歩く巡礼者もいるが私は荷物を軽くする方を優先してパッドは持たず早めに到着してベッドを確保する方を選んだ。
早めに次のアルベルゲに到着するには当然毎朝出発も早い。まだ日の昇らない朝5時半起きで6時前にはアルベルゲを出ていた。(スぺインでは朝7時すぎにようやく空が白んでくる)朝5時半ではアルベルゲもまだ消灯しているので懐中電灯でリュックの中を手探り、なんとか林檎の欠片やビスケットなどを探り当て、それらを頬張ってから歩き出す。当然すぐにお腹は空いてくる。たいてい途中でパン片や生ハム(こんな時には良い保存食。巡礼者の多くが持ち歩いていた。)を再びつまむのだ。

あれはどこだったか。 たしかガリシア地方の山あいの小さな貧しい村。
いつものように早朝アルベルゲを出てそろそろお腹も空いてきた頃にさしかかったこの村は、 どの家も畜産農家のようだった。村に踏みいると強烈な家畜の匂い。道にはおびただしい牛の糞。しかしレンガが崩れかけたような石垣の家々の風景一面に霧がかかっており、その匂いとは裏腹に幻想的な印象をかもし出していた。
そんな幻想的な石造りの家の前で一人の痩せ細った小さな老女が巡礼者を待っていた。私が彼女の目の前を通り過ぎようとすると引き止められ、ちょっとここで待ってろと言い残しその崩れかけたような家の中に入って行った。戻ってきた時には手にクレープのような菓子が山盛りの皿を持っていた。早起きして作ったから食べろと言う。
なんだかあまりに唐突な展開にとまどいつつもちょうどお腹も空いていたのでその冷えたクレープをいただいた。落ちついて石段に腰掛けて食べろと言われたがどの石段も牛の糞まみれ。老女は糞を拭き取ってくれ、また座れと言う。通り過ぎようとした数人の巡礼者達がそんな私の様子を見て近よってきた。彼等も丁度お腹のすき時で、次々にそのクレープをごちそうになった。なんだかおとぎ話のなかに迷いこんだようなシチュエーションだったが(なんとなく「ヘンゼルとグレーテル」を思い出していた)、今度はその老女は寄付金をくれと私達に言いだした。みんな何となく悟って1ユーロとか2ユーロ程の心づけを渡した。この村は本当に貧しく、その老女はすこしでも小遣い稼ぎにとこうして早起きしてクレープを作り巡礼者達を毎朝待っているのだと誰かが言った。みんながクレープを食べ終わると老女は挨拶もそこそこにそそくさと牛小屋に本来の仕事へと戻って行った。彼女は今日も巡礼者を待っているのだろうか。もうろうとした霧のかかる早朝のある村での思い出。