フォンセバドンの廃虚


雨が降ったり止んだり、うっとうしい天気が続いている。山の尾根づたいに延々と歩いているが道はどろどろで靴に張り付く土。歩きにくいことこの上ない。次の村はカミ−ノのガイドブックに”フォンセバドン(アバンドナード/廃虚)”と書かれていた。

フォンセバドンの村は石造りで、家々はかなりひどく崩れている。屋根もなかったり。かろうじて石畳の痕跡をとどめている路地を歩く。この小さな村もまた山の尾根づたいにあり、ときどき霧の晴れ間から遠くの山脈が見隠れして絶景。清浄な空気が谷間から吹き上げてくる。
もっとよく谷間の景色を見ようとカミ−ノからそれて脇道に入ろうとすると「ウ〜」と背後から唸り声がした。ハッと見るとシェパードの雑種だろうか?気がつけば四方に4〜5匹の大型の野良犬がこちらを凝視して唸り始めた。どうやら彼等の縄張りに入ろうとしてしまったらしいのだ。

こんなとき野犬は狼より危険だと言う。なぜなら狼は人間を恐れているのでよっぽど空腹でない限り襲ってこないが、野犬は違う。人間を恐れていないのでこちらが不用心な行動を取れば遠慮なく襲い掛かってくる。
一気に緊張。目を合わせないように気をつけて、さっさと撤退。この村は野犬の群れのねぐらになっているのだろうか。また降り出す雨。今回はかなり激しい。寒い。

雨宿りといっても屋根のないような廃屋ばかり。そんな中に小さな教会をみつけてかけ込んだ。幸い扉には鍵がかかっていなかった。木のベンチが4つ程、祭壇をかこむようにして並べられた質素な礼拝堂。ロウソクには火が灯り、花は十字架の前に供えられて、ここはまるで表の廃虚とは別世界の、清貧で生き生きしているような空間だった。この無人の村の教会に誰かが毎日花を供え、掃除をして、そして祈りに来ているのだろうか?「ちょっと休ませて下さいね」と心の中で唱えて濡れた服を乾かしがてら休憩。モーレツにお腹が空いている事に気付き、用意していたボカディージョ(スペイン風バゲットのサンドイッチ)を黙々と食べる。廃虚の村の教会の静寂の中、たったひとりだったけれど何故か恐いとか寂しいとか言った気持ちは全くなく、この時ほど教会ってありがたく、あたたかく、安心できる場所だと思った事はない。サンチャゴのカミ−ノ中のどの教会よりも、最終目的地のサンチャゴ・デ・コンポステーラの大聖堂よりも、今となってはいちばん心に残っている教会。

のちに家に戻ってからパウロ・コエーリョの『星の巡礼』を読み返した時、このフォンセバドンはパウロが大きな野犬と格闘した村だった(この本に出てくる野犬はパウロにとって大きな意味があるものだったのですが。)。妙に納得。彼の予言ではこの村は今後再興するとの事。確かに廃虚の村でありながら寒々しさや陰鬱な感じがなく瑞々しい空気を感じたので案外そうかもしれない、とあの教会を思い出しながら思った。