意思がある道
カミ−ノには「意思」があるという人がいる。道に意思があるなんて変な話かも知れないが、この感覚は歩いてみてなるほどと思う。
毎日酷暑(しかし朝は寒い)や雨の中を苦労して歩く訳で、しかしこれは誰に強制されている訳でもないはず。途中途中の美しい村が気に入ればそこで旅を終わりにして良い訳だし、疲れたらもうバスに乗ってとにかくサンチャゴ・デ・コンポステーラまで行ってもいいんだし、早めに旅を切り上げれば残った期間で途中マドリッドの美術館による事だってできるのだ。でもできなかった。そんな考えは頭に浮かびはしても、見えない鎖に繋がれているような、個人の意地(「最後まで歩きとおしてやる」といったような)とは全然違ったなんとも説明し難い『歩かされている感じ』。こういうの『道に導かれている』と言っても良いのかも知れない。「もういいや、道の言う通りに歩いて行こう」と思った。 カミーノ2日目で知り合ったパリの女性が「サンチャゴに到着する事が目的ではない」と言っていた。そう目的はもっと正確には『歩かされること』なのかもしれない。
ある日、私が歩くと何かの気配(?)を感じた事もあった。
エル・ガンソの村をでてしばらく歩いてた時のことだったと思う。どこまでいっても平原でこの地球上に私1人しかいないんじゃないかと思えるほど。ぽつーーーんと居る、ってこんな感じなんだ、と思った。しばらく歩いていると後ろから「ふーふー」歩く人の息づかい。私は歩くのが遅いので、どんなに地平線まで180度人がいないと思っていても、1時間もするとずっと後から歩いてきた人に追つかれることがよくあった。今回もそうかと思った。「ふーふー」と息を切らす声と「ちゃりちゃり」と何か金属が当たるような軽い音も聞こえてくる。すぐ傍まで近付いてきたので挨拶しようと振り返ったが誰もいない。「あり?」。見渡す限り私一人ぽつーーんと平野にいるだけ。私のリュックには音の出るものなど何もぶら下げていないのだけど気になったのでその場で自分のリュックをぶんぶん振ってみる。やっぱりちゃりちゃりなどという音はしない。また私が歩き出すと「ふーふー」「ちゃりちゃり」。なんですかこれ?微笑がこぼれた。だって私と歩きながら一緒に「ふーふー」「ちゃりちゃり」「ふーふー」「ちゃりちゃり」拍子とってるんだもん。何だったか分からないけど、ひとり木陰もない平原の中、暑くて疲れて、いったいこれがどこまで続くのかとうんざりしてきてたので、ちょっと気が軽くなったよ。その後もたまに傍で「ふーふー」「ちゃりちゃり」が聞こえた。「おや、また来たね」という感じだ。
北スペインはケルト民族でケルト神話にでてくる精霊の伝説が沢山残っている。何かそういう要因がちゃんとあっての伝説なんだろうなとこの体験で少し思ったりした。
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