日本人の女の子

巡礼中いちどだけ東洋人の巡礼者を見かけた。十字架の塔が立つ丘、クルス・デ・イエロでだった。
その時の私は巡礼2日目で全く歩き慣れておらず(巡礼する前に多くの人がジョギングやスポーツジムなどで鍛えてから来ているという事も全く知らなかった)へとへとでそのクルス・デ・イエロの丘の芝で休んでいた。そこは巡礼道のひとつのポイント地点でもあるらしく十字架には多くの願がかけられていて、各人の願いごとをしたためた手紙や写真、髪の毛などが十字架の柱におびただしく貼り付けられていた。
十字架の横のほこら(?)には古いイマーヘン/像 が奉られており、そのほこらの周りでは巡礼中のキリスト教団体の信者達が輪になってミサを行っていた(この集団とはしばしばアルベルゲ/巡礼者宿 で一緒になったけど、どうも信者仲間以外とは口を聞いちゃいけないの?という閉鎖的な印象だったが何かそう言う修行なのだろうか)。

そんな風景を眺めつつ腹ごしらえをして休んでいた私の視界に東洋人の女の子がひとり、足を重く引きずりながら歩いて行くのが入ってきた。「あれ?日本人かな」と思い声をかけようかと思ったが、彼女はこの十字架の丘で休む様子もなく、重い足取りでそのまま通り過ぎて行った。なんとなく声をかけそびれた私は「きっと次の町で会うだろう。その時に声をかけてみよう」と思った。しかし次の町で彼女に会う事はなかった。

それから何日も後、ビジャ・フランカという山あいの山小屋風アルベルゲに泊まった時の事。アルベルゲの主人は白いおひげの気さくな人でカフェ・コン・レチェ(ミルクコーヒー)をおごってもらいながらサロンでおしゃべりした。『あなた日本人?』『うんそう』
『昨日も日本人の女の子がここに泊まったんだよ。・・・でもね、彼女、病気みたいで足を引きずってて、熱も高いようでね、かわいそうだった。そんなんじゃあ、重い荷物を背負って歩くのは無理だから、私の車で次の町まで送ってあげると言ったんだけど、彼女スペイン語がぜんぜん分からないんだよ。あれで巡礼を続けるなんて無茶なのに1人で歩いて行ってしまったんだよ。友達もいないみたいだし誰とも話をしないし孤独な感じだった。』
私はすぐに、あの十字架の丘で見た子だ、と思った。そしてあの時声をかけなかった事を後悔した。ちょうど一緒に私と歩いてここに泊まっていたパリのクララ
(「ピクニックの歌」参照)にこの事を話した。『明日から私達はその女の子が見つけられるように注意して歩きましょう!』とクララは言った。しかしとうとう最後まで私達が彼女を見つける事はなかった。

会えたらよかったなとは思うものの、今になって思えば逆に彼女と会えなかったという気持ちによって学んだものもあり、カミーノがそう企んだのかもしれないしそういう自然の流れだったのかもしれないし。彼女も独りで歩いて何を思ったのかなぁ。。