夢の話

今朝見た夢の話です。
 
私以外の登場人物
仮にAさん、Bさん、Cさん、Dさん
とします。
 

  
富士山に向かって
Aさん、Bさんと歩いて行くのだけど
もう夕方になっていて
そんな私たちを見たCさんが、
『今日中に富士山まで行くのは無理でも
(この時点でもう暗くなり富士山の方角に見える町の明かりを指して)あの町まで車で送るから、
あの町で宿探して泊まったら?』
というので
Aさん、Bさん、私は
その町までCさんに車で送ってもらい、
Cさんとはそこで別れました。
 
その町で見つけた宿は
満室ギリギリで
三人で一部屋なんとか一晩泊ることができました。
 
私たちがその晩泊まる部屋に行くのには、
(ここが夢なので不自然なのだけど)
狭い通路の左右に木の格子はまった廊下を行き、更に木の階段を降りていくのだけど
(宿は木造で廊下にも階段にも灯りがともってて階下(地下?)も明るい雰囲気でした)
その左右の格子のある通路が顔ギリギリの幅なので
顔に格子の木がこする感じでずずずーーっとかなり息苦しい嫌な感覚になっていました。
 
格子が続く通路を抜けて階下に降りると
AさんもBさんも、
顔を擦るのが嫌でモタモタしていた私を待たずに、
もうすでに先に行ってしまっていました。
たくさんある宿の部屋部屋から
いろんな宿泊客の話し声が賑やかに漏れてくるのだけど
私は私たちが泊まるはずの部屋がどこなのか、
AさんとBさんがどの部屋にいるのか見つけられませんでした。

仕方なく今通ってきた格子の通路の息苦しさを
嫌だなと思いながら、(地下のフロアは明るく暖かく伸びやかな雰囲気なのだけど
あの格子の通路が狭くて本当に嫌だなと思いながら)
もう一度、
その嫌な、格子が続く狭く息苦しい通路を
頭、顔の両脇をずずずーーっと
左右の格子に擦りながら、
宿の玄関がある広いたたきに戻りました。
 
玄関のとても広いたたきのところには
カフェのような丸い木のテーブルと椅子が置いてあり
そこにぼんやり座っていたら
Dさんが来ました。
Dさんは、ここに泊まろうとしたのだけどもう満室で部屋はないと言われたところだ』と言いました。
 
そこでしばらくDさんと話しているうちに
Dさんは自分がガンになっているのだと言いました。
 
私はそう話すDさんのエネルギー体の様子を視ていました。 
 

 
こういう夢でした。
 
この今朝の夢、
すっかり忘れていたのですが
胎内記憶のある子供たちの動画見てたら
急に一気に詳細まで思い出したのでメモに残しておきます。
 
この夢別次元のリアルなのかも。
ちょっと気になるところもあるので、
これを読んでなにか感じたかたは
よかったらコメント
もしくはメールでご感想ください。
 
この夢シリウスが見せた夢だと感知しています。
 

製鉄、しゃーまにずむ、
 
め、うけ、とは うつわのこと
かごめ

いんようむすぶ風
剣いんようとうごうスサノオ

とさ、とみ、
ながすねひこ、繋がる、たけみなかたへ。

いわとひらき、ふういんをとく、ふつぬしはいわいぬし、ふ。風

クナドをかくすしま 隠岐の島

 しゃーまにずむ、さいしおう
 いわいびと、
 おおほおり、はふり
 羽を振る、語源
 ちょうふ鳥巫
はぶき、はばき、

製鉄、しゃーまにずむ、

はふる、
はらい、
風を用いる

はらいとは、羽を振ること、芸能、振り付け、はふり

(以上メモとして)

地球創生と誕生の音

リラ経由で
宇宙から元来私自身の持つテンプレートを
地元の産土神社にて信頼できる方より
もう3年ほど前に降ろして頂いたことがあるのですが
それには現在の三つの土の弦楽器についての詳細が含まれていたのだと
今になって分かります。
 
ライアーというリラ経由の竪琴がありますが
こちらは皆が良く知っている
既存のドレミの西洋音階に基づいて
作られています。
基準となる音が定められて
調音されて、演奏されるもの、とされています。
何故ならリラの特性がそうだから。
音階を整理してきちっとしたい、という特性がリラ星人にはあります。
 
分かりやすく比べて話しますと
シリウス人は
そういった既存の音階に縛られなくても良い、
という性質がありますから、
彼らの音はドレミには縛られない自由な音で調和されて行きます。
 
こういった話を松村潔さんがお話しされているのを
興味深くお聞きしたのですが、
これは、シリウスは、
まさに現在わたしが製作している
土の弦楽器のことだわ、と思うのでした。

リラから降ろしたテンプレートで
現在シリウス人の特性の強いわたし(渡し)が作っているわけですから
音階に縛られずにオリジナリティー甚だしくも
地球の自然と調和するものとなるのは当たり前ですよね。
 
『誕生と幸せな幼年期』を担当するために
この星(地球)に生まれてきたわたしからの視点では、
コノハナサクヤヒメ及びその姉妹である三女神は
地球創生の原初のいわば自然神なのだと
先日の富士山の泉にてその源のお姿を顕してくださり、
またそのすぐあとの答え合わせの数々が顕れましたことで
ようやく理解することができました。
 
根源の姿も
人の想う姿も
どちらも本物のコノハナサクヤヒメ。
千穂さんがそうおっしゃっていたことにものの道理がありました。
根源の姿では人が畏れてしまうから。
(そんな神話も古事記をはじめ多く日本には残されています。)
 
昨今の様々な経緯を経て
コノハナサクヤヒメの顕れる泉で奏でるための
土の楽器が求められて新たに生まれそうです。
 
コノハナサクヤヒメのことについては
富士山から戻ってきてから解ることが日に日に増えて行っており、
地元の亀ヶ岡八幡宮にても、
富士山のおびん水についてのメッセージ受けまして
詳しくはまだ書けませんが、
来年からいよいよあらゆる意味において明けて行くのを感じます。

 

つれづれ メモ

海に呼ばれて海水を汲み
森の古墳におつなぎする
 
森で 天地結ぶうたうたう
天ノ川の鹿や精霊たち あつまってくる
 
木の葉の音
確かな気配と鳴き声
 
響き合い
さっぱりと洗い流され
生まれ変わる音開き
 
海でふたたび今度は自分のために
汲んだ海水を
今夜のお風呂に入れるのがたのしみです。
 
そんなささやかで大切な日常のひとこま。
 
 

機織り

杼で通した糸は
とんとんとするから
とんとんとした布は
ちょっとやそっとではびくともしない
糸のときはあんなに心もとなくとも
 
そうやって

持ち寄った糸で
好みの糸で

自分のセンスを活かしながら
とんとんしながら

世界を織り上げていく
 
 
(昨日潜在意識に降りてきたのでメモ)