終わりと始まり

もうずいぶんと長いこと
私にとって日常の中のオアシスの一つだった場所のともしびが
先月の末、あまりにもひそやかにその火を消しました。
 
先月25日の走水からの帰り、
逗子に戻ってお茶でも飲んでから帰ろうかと寄ったいつものカフェ。
ひと心地ついてお会計を済ませたところでオーナーさんが
『じつは・・』と切り出されて。
『今月いっぱいで閉店させてもらいます。』と。
『あまりに急に決めたので営業日はあと5日ほどで、
常連さんにだけ口頭でお伝えさせてもらっています』と。
 

あの奥の窓のそばの席によく座らせてもらいました。
テーブルや椅子は、ここが以前洋品店だった時のご主人、
つまりこのカフェのオーナーのお父様が
手彫り手作りされたものだそう。
そんなお話も、時々お話ししてくれました。
またある時は、友人と記紀の話を夢中になって話していたら
オーナーさんも『その話興味ある』ってテーブルのそばで会話に加わられたり。
楽しかった日々。
 各テーブルに置いてある呼び鈴をチン!と鳴らすと
この階段をオーナーさんが昇って来られて注文を聞き、
そしてコーヒーや美味しいおやつを運んでくれました。
このカフェの店名は「カミーナ」さん。
三人のお子さんの頭文字を組み合わせたのだそう。
2002年に私が歩いたスペインの
サンティアゴ巡礼道の愛称が「カミーノ」でしたので
勝手にこのお店のお名前にも愛着を感じていました。
先代の洋品店の店名は「ひつじや」さん。
なので愛称として私たちは『ひつじやさん』って呼んだりしていました。
営業最終日の2月28日に
ついつい流れで図らずも
特別なメニュー無理を言ってお願いしてしまいました。
普段そのようなことはされないのですが、
苦手な食材お伝えしたら
即興で『最高のものを』とおっしゃって作ってくださって。
出てきたものは
『アヒージョ風にしてみました』。
旨味たっぷりのしじみとエビとのサラダクレープ。
大好き。
本当に美味しくいただきました。
この日は特別。
特別だからいつものように
チョコバナナのクレープ、そしてコーヒーをいただきました。
美味しくて夢中になってペロリと食べてしまいました。
閉店されることは告知はされず
たまたま来られた常連さんにだけお知らせくださったとのこと。
閉店をお知らせすると急に混み合ってしまったりして
大変になってしまうからかもしれません。
全てお一人でされているお店ですので。。。
お知らせくださってありがとうございます。
最後のタイミングで伺うことができてよかった。
お別れを言うことができてよかった。
2月28日撮影
 

最終営業日の翌日お店の前を通りかかると
お店の中が全く見えないように
きっちりと四方のシャッターが閉められていました。
貼り紙もなくて、
きっと多くの人はしばらくしてから
なんだかこの頃お休みしてるね、ってようやく気づくのかもしれません。

そんな風に何も言わないまま
ふっと消えるようになくなってしまう町の景色があるのだと
今回のことでしみじみ感じました。
よく通ったお店でしたから。。
 
この夏は私のオアシスがなくなってしまいさみしいけれど
終わりは始まり。
オーナーさんに感謝を込めて
『ゆっくり休んでこれからの人生楽しんでください。
心ささえてもらいました。ありがとうございました。』
そんなふうにお伝えさせてもらいました。

 

亀戸天神の梅まつり

ちっこい頃から47年のあいだここの近くに住んでいました。
初めてこの亀戸天神さんに来たのは小学2年生くらいの頃、
クラスの写生会で学校から歩いて来ました。

その当時二つの太鼓橋は木製で、階段はなくツルツルに滑る木の曲面を
クラスの男の子たちは勢いつけて一気に駆け上っていて
私もそういうのが大好きだったから
みんなと同じく駆け上がって太鼓橋に昇っていました。
 
その日からもう何度となく、
こうして今日のように引っ越してからも
折りに触れては大好きなここ産土の亀戸天神に
数え切れないほど足を運んでいます。
 

道真さんの奥様の北の方の花園神社では
いつも大切で具合的なメッセージを受け取ります。
今日はこのように語りかけてくださいました。

『世界が反転・・そのスピードが速い。
その影響を受けない生き方を選ぶ、
それが道真(まことのみち)。』
 
鳩と仲良しのおじさん
とても素敵でした。
おじさんが持っていたパンを
何度も渡してくれて
そしたら鳩が私の手に乗ってきて。
嬉しかったなあ。

幸せに満ちた時と場。

数十年前に植えられたばかりの小さかった梅の木の苗も
私の身長よりも大きく育っておりました。
紅梅殿もとても好き。
いつもメジロがいて。

境内に突然流れ出した「とおりゃんせ」の歌。
先日、響人(ゆらびと:魂で響きあう人)たちとこの歌の謎解きが出来ました。
 
そもそもが菅原道真が、地上に神という形で残ることを決めたことに由来します。

道真さんは政略的にはめられて失脚しました。
その際に大切な人々の命も犠牲になってしまいました。
道真さんはその致命的な出来事が実際に起こる以前から
自らの直感で、おかしな動きを察知していました。
しかし世の常識に従って、自分の直感に従わずに居りました。
その結果が出遅れとなり
自分のみならず大切な方々をも陥れる策略に
嵌められることになりました。
『あの時、自分の直感に従っていれば』
悔やんでも悔みきれない道真さんの思い。
 
人生の大切な岐路に立った時、
常識や経験者など他人からの意見を採るのではなく
自分の直感を信じ、自分の直感にしたがって行動するように。
人々が大切な岐路での選択に決してもう二度と自分のような後悔をさせないように。
直感に従って生きるということに覚醒するように。
それを伝えるため
サポートするために
道真さんの魂は地上に残ることを決めました。
それが天満宮という現象がこの地上に現れた由縁です。
 
「とおりゃんせ」の歌詞を思い出してみてください。
 
とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
ちょっと通して下しゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ
このこの7つのお祝いに お札を納めに参ります
行きはよいよい
帰りはこわい
こわいながらも
とおりゃんせ とおりゃんせ

直感で嘘のない本質の道を生きるという覚醒の道は細い道。
まだまだその道を行く人々は少ない。
7歳までは神という。
7歳を超えて覚醒した者には本質を行く道が用意されている。
それは覚醒しない者には縁のない道となる。
一度覚醒したらもう元には戻れない。
人生の大切な岐路に立った時、
例えそれまでの常識や他人の意見とは異なっていても
自分の直感を信じ、選び間違うことなく人生を歩んでほしい。
 
「とおりゃんせ」はそういった道真さんの想いが溢れている歌なのです。
 
 

うつわの力


ここでは土で作る矛も玉も劔も鏡も弦楽器も
全て『うつわ』と表現します。
 
** その1 **
 
今季の冬の前半は晩秋から引き続き小春日和がずっと続いていて
庭の植物たちの中には季節外れの開花を始めるものたちもおりました。
 
中でもトマト。
ついに数個は結実までして、青いトマトが冬の庭でだんだん育って行きました。
 
やがて年を越して2026年の冬がやってきて
トマトの樹勢は止まり、枯れ始めました。
結実していたトマトは地面に落ちました。
 
それを拾って純金彩のうつわに入れておきました。
2025年の夏、庭のトマトたちは一つも結実しませんでした。
花が咲いてもあまりの暑さに全てポトポト落ちてしまっていました。
ですから種取りすら叶わず、うちの庭のトマトたちから
次世代へと種を継ぐことはできませんでした。
 
ですから秋の暖かさから再び季節外れの開花の流れになり
とうとう2つのみでしたが実がそだち始めたのを見たときに
一筋の希望を見出したのでした。
種が採れるかもしれない。
 
**
 
純金の器の中に入れた青いトマトたちは
少しずつ色づき始めています。

2月16日
2月18日

金のうつわの中で雪の日も越えました。
このまま順調に命を継ぐ小さな種たちが育つのを待っています。
 
 
** その2 **

オーダーメイドでおつくりさせていただいている『三つ矛』。
 
自分用にも持っていて
使い方はオーダー主さまそれぞれなのですが
最近私は部屋の隅三箇所にこの『三つ矛』を置いて快適に暮らしてます。

このような感じに部屋の隅三ヶ所に。
うちでは古道具屋さんで見つけた糸巻きの上に三つ矛を置いていますが
直置きでも同じです。
(以下ちょっと生活感ある感じの写真になっております)

部屋の三隅に置いたその三角形の内側にいると
個人的な体感としては
体内に蓄電した静電気がすうっと抜ける感覚がありました。
今年これまでにないほど静電気がすごくて
圧迫感を感じながら生活していたものが
瞬時にその圧迫感が消えました。
電磁波の影響も緩和されました。
眠る時も、こうしてパソコンを使っている時も
かなり楽になりました。
不思議なのですが、そういった目に見えない振動エネルギーの影響を受けやすい体質なので、
端的に調えてくれるうつわの力に日々とても助かって居ります。
 
 
『ミツホコ/三つ矛』
https://majoceramica.cart.fc2.com/ca32/320/p-r-s/

 
 

復活

ここしばらく変容の状態を迎えており
それに伴い制作も止まっておりましたが
時空の壁を心身ともにようやく乗り越えて
『復活』というワードが浮かび上がりました。
とともに制作も復活。
同時進行で様々なそれぞれの作品の工程が動き出しました。
一斉に大地から生命の氣が立ちのぼり一斉に様々な花が咲き出す時のよう。
なんだかとてもワクワクしますし
余すことなく十分なエネルギーを丁寧に創造にそそげることに
ものづくりの幸せを感じています。
 
まるで子供の時の
純粋な状態のままに
いつまでもいつまでも次々に
夢中で絵を描いていたときのよう。
白い紙を見るととてもワクワクしました。
あの頃の自分が蘇ってきています。

『白と黒は同じ。』だと来ています。
つまり『陰陽ひとつ』。

下絵付け直後と
焼き上がり後の印象はかなり変わると思います。
思えば陶芸は窯に入れることで大きな変容を起こします。

こちらの絵は『九頭竜』なのだと来ています。

絵付け後、釉付けをしました。
「独特ですね」
 そんなふうに客観的に思いました。
各原料に合わせて各回焼成温度を変えながら何回か焼成を重ねて
最終的に金、銀、プラチナで彩り700度以上の温度で焼き付けします。
 

技法だとか焼成温度だとかメッセージで具体的に降りてくるので
もうそのままに宇宙と共同創造していて
自分という小さな個がなくなり枠がなくなってしまう感覚です。
これが、子供の頃にワクワクしながら絵を描いていたときの懐かしい感覚です。
ずうっと忘れていた感覚。
一番大切な感覚だったのかもしれません。
思考や経験などみじんも顔を出さず
とにかく生まれてくるままに。

嬉しい。
 
あちらから言ってくるのは
『意図して何かしようとしないで。何もしないで』
 
私はただ筒のようにして

エネルギーを降ろして通すだけ。
 
心が とても楽 心地よい ワクワクする。
 
私の筒はただの筒なのではなくて
私の筒を通すことで地上に放射線状に広く広くひろがっていくのだそう。
よきあたらしき地球創造に必要とされる物実たちが。