サクラ、サクラ、サクラ、其ノ三

ここはかつて縄文人が住んでいた場所。

四月八日
さくらのシャワー*シリウスの郷にて。
 
この日の始終、この土地の産子の姫巫女さんのお心づくしのおもてなしに心震えました。
大地の力、天の恵みを余すことなくすべて受け取らせていただき幸せです。
忘れられない一日がまたひとつ心に降る。
 
ありがとうございました***
 

シリウスの郷の姫巫女さんとご家族の手による直会。
感謝の気持ちでいっぱいです!
珈琲豆のお店「双子の星」さんの
苗から大切に自然農で育てられた珈琲SAMURAIティピカ。
お茶派の私が唯一、自分で淹れてまで飲みたいと思うお薬レベルの珈琲です。
***ありがとう***
 
*また来年*


 

王様の古墳 0229

2月29日の若水
庭の梅はガクのみになり。
父親の東京土産、銀座のバゲットで
スペインの羊飼いの野外料理ミガスを
ひさびさに作りました。
ちょうどかぶの時期ということもあって、
ミガスとかぶの最高の組み合わせで美味しくいただきました*

 
朝昼ごはんを食べ終わってゆっくりしていたら、
さわさわさわと呼ばれて山へ。

まだちいちゃな雪の下の葉っぱたち。
王様 待ってくれていた。
これからうまれる「土の弦楽器」と
「すずとおまもり」のために
王様のお山の土をお分けいただく
お許し得ました。

エネルギーの存在とうたをうたい。
不思議な時を過ごし。

前方後円墳の方形の先の大きな山桜の木といっしょに海と島眺める。
野イチゴの花が咲いていました。
桜色の樹液が昇る。
桜色に香る樹皮。
仲間たち

そこから
碧き地上の海へ

  
*2/28~29の水の繋ぎのお話。
 
2月28日におとずれた目黒不動尊(祭神ヤマトタケル)にて
2024年旧暦明けて初の護摩焚きの火を
持参したようわん水に直接転写しました。
水火合わさりものすごい振動を感じました。
護摩焚きのあと、こちらお水を
目黒不動尊境内の湧き水にお繋ぎさせてもらいました。
 
2月28日の旧暦明けて初の護摩焚きは、
旧地球最後の護摩焚きでもありました。
新しい地球へ軽やかに移行するにあたり、
旧地球の最後の残りカスを燃やし尽くしました。
そのために私はこの日呼ばれたように感じました。
前回護摩焚きに参加させていただいたときのことを思うと
今回は大変明るく軽やかさを感じたなんとも不思議な感じがする
護摩焚きでありました。
ご住職までが『今回ここに来られたかたは呼ばれた方だ。』
と言われました。
「軽やか」というのは
単に「軽い」という意味とは異なります。
過去生の回収、輪廻の終わり、と言ったことから発する軽やかさのように感じました。
『いよいよ本当に終わり、新しく始まるのだ』
という高次元での実感が今回の護摩焚きにともないました。
 
護摩焚のあと、目黒不動尊境内の湧き水を汲ませていただき
水火のお水に合わせました。
水の浄化、火の浄化、ともに成された
「水火結びのようわん水」と成りました。
 
それから大鳥神社にこちらのお水を繋ぎ撒かせていただきました。
その後、梅まつりの亀戸天神にて
拝殿前にてお水を撒かせていただくとともに、
境内の御池と、
神楽殿裏手にある枯れた古井戸に沸き水の復活を願い
「水火結びのようわん水」を注がせていただきました。
 
最後に大変氣のよい境内の
亀の像の口から注がれているお水を汲ませていただき
「水火結びのようわん水」と合わせました。
 
このようにして統合されたお水
「水火結びのようわん水」を
2月29日の旧地球の最後の日に
王様の古墳に継がせていただいたのでした。
 
古墳のお山を登る道々にこのお水を撒きながら、
頂上の王様の前方後円墳まで登りました。
 
頂上では前方後円墳の円形に植えられた楠を通じて
王様とお話をすることができます。
この楠の根元にぐるりとお水を撒くと、
王様が曰く『これは”復活の水”』とのことでした。
 
山から海におりて2月29日の澄んだ海水を『復活の水』に加えました。
 
『復活の水』。
このタイミングですので、
土の弦楽器または
ビークルヤンメをご注文いただいている方に
添えてお送りさせていただこうと思います。
それだけこれからの地球が必要としているお水なのだとわかります。
浄化につかえますが
それだけではないお水ですから
懐かしくも新しい地球復活にあたり
ご縁ある方はいろいろとお試しください。
 
ビークルヤンメの詳細につきましては
こちらのおぼえがきをご覧ください。
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=19592
 
ビークルヤンメを使ってさまざま体験しており
なかなかここに書けないことも多いのですが、
自分軸をしっかりサポートしながら
高次元からの情報をピンポイントに絞って輪郭をはっきりさせて
受け取ったり感じ取るのに役立つものであることは間違いないです。
 
 

つれづれ 0224

頂いたキンカンを工房に飾らせてもらってます。
ちいさな太陽ワカヒルメがいっぱい*
陽々とします*
そしてお久しぶりな感じのお日様
若水のよこで日向ぼっこしました。

 
今日もヤマトタケルの湧き水を汲ませていただきに。
途中とてもすてきなカフェを見つけました。。

殻の付いたまま乾燥させた珈琲の果実の飲み物・・
これが珈琲なのかー!という初めてのお味。
さらに試飲にいただいたのはコーヒーの果肉のなんというのでしょう、
コーヒーのチャイのような初めての飲み物。
コーヒーの果肉は、ベリーのようです。
いずれもとても美味しくて、古民家のお店内も、オーナー氏の距離感も
どれも心地が良くて、今日のお天気のように心がぽかぽかとしました。

 
ほっこりとさせていただいて
それから湧き水のお社へ参りました。
少しだけ境内のお掃除をさせていただいて、
それからいつものように美しく美味しいお水を汲ませていただきました。

雨と寒さで汲みに来られなかったので
湧き水のありがたさが心身に染み入ります。

家に帰ると山で摘ませていただいた野草を使っての朝昼ごはん作りました。
ツバキとヨモギの天ぷらにフキとカラスノエンドウのお味噌汁。
それから地元農園さんのお野菜をたくさん*
ありがたく頂きます。

 

コノハナサクヤヒメ

 

水槽を見ていると泳ぎたくなる。

目の前に大きなまあるいお月さまが昇ってまいりました。
  
 

鏡に生まれて

きょうも王様の古墳の上に昇る朝日
若水


 
だんだんこういう時代に成ってますます
自分は鏡として生まれてきたんだなと理解しています。
 
左利きに生まれたことは
多くの右利きの人たちには気づかないことを
たくさん気づかされ学ばされてきました。
その学びと気づきは今になって
生きていく上での魂の高いレベルでの宝物となっています。
 
左利きとして生まれたという私の状況と同じように、
なにかしらのそういったツールをもってこの世に生まれて、
自分や周りに学びを気付きをあたえている人たちは多くいると思います。
わたしの場合はそれが「左利き」というツールでした。
 
左利きであるというそのこと自体は
自分軸であれば何の不便も不自由もありませんが、
状況や環境や出会う人々によってさまざまな現象を見せられます。
 

 
小学時代に、給食の時に無言で私の左手のスプーンを取り上げ
無理やりに右手に持ち替えさせた担任の先生。
 
学校のはさみが右利きのためにつかいずらいといったら
『わがままだ』とクラスメイトに言われたこと。
そう言われたことを母親に言ったら『あんたが悪い』と言われたこと。
後日はさみを忘れた友人が私に『はさみかして』というので
わたしのはさみ(左利き用)を貸したら
そのクラスメイトは大変気まずい顔をして
『ちょっとこれつかいづらい』といってすぐに返却されたこと。
 
ほんのこれだけのことでも、
右利きだったら気づかないような
さまざまな世の中の人間模様を知ることができます。
 

 
巫女舞の方が、
肉体という器に実体のない魂を縛り付けておくために
着物の回転が決まっているのだというお話をしてくれたことがありました。
左まわりは解放。
右まわりは定着。
 
ですから亡くなったらもう肉体に魂を縛っておく必要なくなり
解放してやるので左前に着物を着せるのだとわかりました。
 
これはだいぶん前におぼえがきに書いたことがあるのですが、
これから次元上昇して必ずしも肉体をともなう必要のない世界も顕れてくるわけで、
(高次レベルでの多様性)
そうなってくると三次元的な着物の着方も、
亡くなった場合に限らず
魂を解放する左前の着方が必要になってくる場合もでてくるのかもしれないな、
と思いました。
 
このことをかつて書きましたときに、
『西洋では昔から女性を貶めようとして
女性の洋服は左前にさせられたのだ。
日本に西洋が入ってきたときにそれを強制されたのだ。
日本女性の人権を取り戻すためにも右前・右回転の着物を着るべきだ』
という意見の人があらわれました。
 
左前が貶めることになるという発想の理由がわかりませんでしたが、
様々な物の見方があるなあと思いつつも
『~すべき』という考え方にまず違和感を感じた私でした。
それならばわたしは、日本女性解放のために我慢して
着心地悪く違和感しかない右回転の着物を着なければならない、
「着るべき」ということになる。なんだかそんな世界はへんな気がする。
 
それと、
ラテン語文化圏の言語学と民俗学のご専門のスペイン人の先生から
8年間近くスペイン語を学んでいたことがあるので、
西洋の近代に続く民族文化や習慣、言語などの源はギリシャ発であること、
そしてギリシャの服の文化はギリシャ彫刻にみられるように、
四角く織った大きな布をピンでとめて着ていたので右前も左前もないこと、、
西洋から強制された女性の洋服が左前、というのは
もしあったとしてもかなり近代の話ではないかとわたしが指摘したら、
その人は、
『ただ○○さんという整体の人が言ってただけだから・・。
そのスペイン人の専門家の人の話も聞いてみたいです。』
との返信で、
わざわざ
~すべきという強い言葉で他人を縛ろうとする割には、
自分軸のないふわりとした意見のようでした。
 
でも「左利き」という鏡のツールを持つわたしからすれば
昨今のさまざまな自分軸とはかけ離れた強制的とも言えそうな事象を見ても
そういうことってこの世の中に案外多いかもしれません。
 

 
ここ数年でご縁いただいて出逢う方々ってそういう意味でとても楽です。
先日ご縁いただいたあおぞら友里さんと着物の話になって、
わたしが左利きで回転が逆だというお話とともに
『それで左回転で着物着ると「逆だよ~」って言われる。』というと、
友里さんはすぐさま
ん!もう!という感じで真意を汲み取ってくださって、
友里さんは右利きでいらっしゃるけど
みんながそうするからとか・伝統とか・経験だとかにまったく縛られず、
もうすっかり時代が変わっていることを
はっきりと魂の深いところに受け止めて
肚を決めて自分軸で生きておられる方。
 
明晰で軽やかに今を生きている方々は
とても良く似ていると思います。
 
先日おぼえがきに書かせていただいた
シリウスの郷の姫巫女さんもそうですが
たったひとりになって自らの魂に訊ねながら
いつもアンテナを立てて高次の振動を選択する連続で
今を渡りながら固定されずに生きている方が周りに増えてきています。
 
そうやって波乗りのように高い振動を選んで自分軸で生きていくこと
ほんとうに、とても大切な時代になってきています。
 

 
夜、なぜか海に呼ばれて。

海にたくさんうたいましたら
なんだか雨と涙(感情の伴わない自動流出)で
ぐしゃぐしゃになりほんとうにすっきり洗い流されました*
奄美口伝の神ミキから起こさせていただいた豆乳ヨーグルトをお夜食に。
神ミキ豆乳ヨーグルト*ふんわりやさしく醸されててほんとうに癒されます*

 

1月つれづれ

昨年11月末、富士山からもどってから
とても濃密な振動高い怒涛の日々が待っておりました。
いろいろありすぎておぼえがきが追い付いておらず、
未だままならず、なのですが、
そんな昨今の中でも衣食住をベースにした日常を
見失うことだけはせず、
そこだけはなにも変わらぬ日常をすごすようにしていました。
そこに根本があると思っておりますので。
 
1月の密度の中で撮りためた写真がたくさんあったので
自分のメモと整理と、日常の俯瞰をしたいと思い、
元日から本日までをさっとまとめてみました。
 

グレゴリオ暦の元日って必ず晴れます。
元日にうまれてきた絵
『沙庭 コノハナサクヤヒメ』
餅粟ぜんざいつくりました。
梅の蕾が付き始めて嬉しい2日。
世は三が日でしたがそんな気にはなれず、
キャロブケーキをつくり、SAMURAIティピカを淹れました。
王様の古墳。
ひさびさにスペインのミガスを作りました*美味しい♪
金のうつわがうつくしくて、水で酔えそうです。
4日の産土神社。
コノハナサクヤヒメの祠
お稲荷さんですが弁天を感じる。
山茶花。
『沙庭 コノハナサクヤヒメ』
三種の神器は出雲へ。
魚の王。
地元野菜のランチが体に優しく
ほんとうにありがたい。
ツバキの開花が去年より遅いような。。
去年からのご縁で発酵専門家の和田陽子さんより 
奄美口伝の神ミキをいただき、
『これでヨーグルトが作れるよ』とおききして
さっそく醸した豆乳ヨーグルト。
ふわっふわでエネルギー体も喜ぶ。
あ、お米で醸しているのであちらの世界に届くんだと気づく。
米と塩と水はあちらの世界でも受け取れるのだと
昔、独学で古神道を学んでいたときに知りました。
(だから神棚におそなえするのですね)
数日前、庭の白梅の開花が始まり、メジロが来るようになりました*
星巡り茶会シリーズの茶海。
うつくしくてパワフル。
岩茶が本当に美味しいです。
パン生地を耀わん水で練ってみました。
すごいです。
この寒い時期でも発酵時間が短くなり
生地がしっかり粒だちました。
なんとなんと。。
スキッと背骨に一本通るようなきりりとした美味しさに。
王様の古墳。
イソラで友人とランチづくり。
ワンパンのショートパスタとビーガンチーズ。
地元農園さんのお野菜のサラダ♪
美味しくできました◎
本日の湧き水。
湧き水は、冬暖かく、夏冷たい。
身体優しい自然の温度のおいしいお水を汲ませていただきました。
うたをうたいました。