ひなまつりとイエスのエネルギー 

3月3日のこと。
 
るんちゃんに誘われて
鎌倉のお寺食堂へ初めて訪問しました。

地元の学童の子供たちが握ってくれた梅のおにぎりいただきました*

お食事は和尚さんと同席のテーブルになり、
鎌倉がご出身なんですか?とお聞きしてみたら、
『言っても信じないかもしれないけれど』と前置きされて、
なんと鎌倉に来られる前は、ハワイのお寺におられたのだそうで
現地在住の日本人の方々のために建てられたお寺なのだそうで、
お食事中の短い時間ではありましたが、
興味深いお話いろいろお聞きすることができました*

お食事の後は和尚さんの読経と、それから紙芝居が始まりました*
 
本堂には雛段飾りがありますからどうぞ、と。

こちらの宗派は橘紋なのだそう。

お雛様よりもわたしはじつは・・
 
こちらの太鼓が気になりました。

太鼓にやどる霊的な力をおもうと・・このレリーフは気になります。
見えなかったのだけれどこのレリーフ、
向こう側がどうなっているのか見たかった。

お寺でも開かれたところが増えましたね。。和尚さん、ご住職、
世代交代もあってか、どんどんと開示され
かやろやかになってきていること、
先日の目黒不動尊に引き続き体感させていただけるようなことが続いています。

一円玉・・
お寺奥のお社は海洋民族が祭った形式でした。
お猿さんが三宝に乗せてるものは一体。。?
竜たち
ほんとうに繊細でよい氣の場所です。

本当に心地の良い日。
 
このあと山へヤマトタケルの湧き水を汲みに参りました。

この後帰り道。
HOUSE1891さんの傍を通ったので
ふと思い立ち、わかなさんに会いに行きました。
 
もう閉店間際ということもあり
わかなさんとご友人の2名様がいらしてて。
 
そこからの展開がなんだかすごかった。。
 
何がすごいってこれがまた言葉にあらわせない世界が顕れて。
そしてそこにいた全員が言葉なくともそれが感知出来て。
 
わかなさんのご友人のおひとりは、何度もここでお会いしている方で、
今日なぜだか彼女の人見知りのわんちゃんが、
積極的に私に飛びついて懐いてくれて、不思議でした。。
 
そしてもうおひとかたの男性は
わたしは初めてお会いする方でしたが、
瞬間『イエスのエネルギーだ。』と感じる方でした。
ですからそれをそのままお伝えしましたら、
その方、一瞬の迷いもなくそう認めました。
 
イエスの持つ波動エネルギーって
こんな風に軽やかだったという確信が私にはあって、
それがそのまま顕現したかのように感じました。
洗われ磨かれぬいた魂の持つ波動は軽やかです。
 
そのかたは、
世界中を波乗りして巡り巡っていまここにいるのだというお話されました。
世界中の海に洗いに洗われて
ほんとうに軽やかに成られたのだなあと感じました。
(文字どうりそのまま、波乗りして。
サーフィンというのはもともと漁師さんたちがされるものであるということも。。そう思うとサーフィンも現代では形骸化して本質からずれてしまっているところもあるのかもしれませんね。)
 
それからこの日偶然にここに集ったわたしたち四人は、
たくさんのことをお話しました。
抽象的なことや感覚的なこと、
目に見えない世界のこともそれに連動する見える世界のことも。
みんなでそういうお話をとても普通にお話していて、
これまでの見せられてきた世界の方こそが幻想であり、
いま顕れているこの次元こそ現実だったという実感ばかりがありました。
 
おりしも今月は
次の満月25日からスペインでセマナ・サンタ(聖なる一週間)が始まります。
ちょうど3月3日に日付が変わる深夜、
スペインの友人から連絡があって
今年のセマナ・サンタの日程を教えてもらったところでした。
(満月を基準に日程が決まるのでセマナ・サンタの日程は毎年異なります。
大概4月から5月の間になることが多いので、
3月から始まるのは日程的に早い方だと感じます。)
聖なる一週間というのは、キリストの受難と復活の祭事のことです。
日曜日にロバに乗ってイエスがエルサレムに到着し、
磔刑にかけられ、復活するまでの一週間の祭事(神事)です。
スペインカトリックではクリスマス以上の最重要祭事で、
復活祭を中心に取り上げるイギリスとも全く異なるイベリア半島の宗教文化です。
 
私が住んでいたアンダルシアの田舎の町ではこの祭事は
古来からの伝統形式が比較的そのまま引き継がれており、
わたしもこの町に住んでいた時は、
聖歌隊として各教会のミサでうたい、
セマナ・サンタの祭事に参加させていただきました。
(私はまったくカトリック信者ではないのになぜかそれが許されていました。)
セマナ・サンタの期間中は次元が変わり、
この田舎の町全体が宇宙船のようにエネルギーのひと塊となり、
地上からふわりと浮かび上がる。
この一週間のために町の人々はほぼ一年かけて準備をしてきているのです。
町の人々もちゃんと魂の世界のことを実感している。
この町に住んで初めてセマナ・サンタを迎えた時の
衝撃は忘れません。
 
この話をいまこうして書いているだけでも
次元の壁がどんどん薄くなり
あちらの世界の時空の入口が白く煙る向こうに在るのが手に取るように分かります。
(まもなくセマナ・サンタが始まるということもあって尚更ですが)
 
お話を3月3日のことに戻します。
このイエスの波動を持つかたと会った時、
HOUSE1891さんのギャラリーでは
(もはやもうこれは偶然ではきっとないと思うのですが)
イスラエルの手作りの靴のメーカーの企画展をしていました。
 
(余談になりますが、この靴、
砂漠の民の靴をモデルに手作りされていて、
試し履きさせていただいたのですが、
下駄と地下足袋しか履かない -靴で足を覆われるのが苦手な- わたしでも履きやすくて
細やかな職人さんの足への心遣いが感じられるつくりのものでした。)
 
この日は未明にスペインの友人とセマナ・サンタの話から始まって、
るんちゃんからお寺食堂にお誘いを受け、
ヤマトタケルの湧き水にうるおい、
そして夜はわかなさんのところでイエスの波動と出会った
何とも言葉にできない特別な3月3日になりました。
 
おりしも、
若水づくりの24日間つづいた朝日のターンを無事に終えたのもこの日、3月3日でした。
なぜだかそれをわかなさんたちに伝えたくなって、
そのことを告げるとHOUSE1891に集った三人みなさんが
わーおめでとうと拍手をしてくれました。
だれひとりとして
理屈で尋ねることもせず
ただただ祝ってくれました。
不思議です。
でもこの不思議がいまの日常です。
 
 

14日の朝日 ~日没 つれづれ

昨日農園さんでいただいてきたお野菜たっぷりの朝昼ごはん。
お芋は遠方よりお越しくださった
自然農をしている友人が
丁寧に焼いて下さった焼きいも!
親しく思っているよく知った大地と、
信頼できるご縁ある人々の
たくさんの愛がつまっているお野菜たち。
感謝していただきます*

散歩の途中で立ち寄ったカフェで
カフェのオーナさんと見知らぬお客さんと、
カミーノの話と
諏訪の森の奥の泉のはなしで
なんだかとっても盛り上がる。
 
カミーノも、諏訪の泉も、なぜかそこに行ったことがある人や良く知っている人々が集まっていた時空間。
もはや驚きません。
なかなかたのしいタイムラインを選んで今を生きているなあと思います。

カミーノ(サンティアゴ巡礼道)を歩いたことで
この数十年かけて、ゆっくりとわたしの人生の方向が
気づけばこのような不思議なタイムラインへ運んでくれていた。
 
今日の散歩の途中に立ち寄ったカフェでは、
わたしがカミーノで経験した大切にしている話を、
めをきらきらと輝かせて聞き入ってくれた
たまたま隣の席に座っていた見知らぬ女性。
なぜそんな話になったのか、
なんであんなに盛り上がったのか、思い出せない。
 
思い出せないけれど
『それで?それで?』とたくさん質問してくれて、
本当にきらきらと輝く笑顔で始終訊ねてくれて、
わたしも久しぶりにカミーノを近く感じて嬉しかった。
最後は「お先に」と帰る私に
元気いっぱいに手を振って『ありがとう』と言ってくれて。
自分の経験にありがとうと
見知らぬ人が言ってくれることがうれしくて。
みんな大地の子なのだと感じられて幸せだった。
『今の自分がそのまま鏡に映ったのが、
いま目の前に顕れている世界』だと、
彼女は”鏡の法則”というのがあるのだと話してくれました。
今日初めて会ったそのひとは、
もしかしたらきっとそのうちスペインに渡って
カミーノを歩くのかもしれないなあと思いました。
 
 
気が付けば外はもう真っ暗で。
海の向こうに江ノ島の光が見えていました。

 

24時間は僕のもの

ただいまひとつの宇宙システムにのっとって
早起き続いています。

どうしたってやはりものづくりの性質上
仕事をしていると静寂な深夜を外すわけにはいかず、
このまま早起きを続けて体を壊したら元も子もないので
生活パターンが確立されて馴染むまで試行錯誤は覚悟の上ではありますが
いまはまだ試行錯誤の段階。
 
とはいえ思っていたようなきつさはないです。
朝日とのコンタクトもひなたぼっこ心地よい。

ふっとここでひさびさに思い出したのはスペインのシエスタの習慣。
スペインの友人たちをみていると、
陶芸工房やオフィス、学校は
日本と同じ時間帯・朝8時半頃から始まる感覚ですが、
大人も子供もごく一般的な夕食の時間は22時くらいから。
寝るのはそれからだから日本に比べてかなり遅いです。
それで睡眠時間は足りているのかというと、
とくにわたしの故郷の村がある南スペインは、
文字どうり殺人的な日射の時間帯を避けるためにも
日中14時~17時の時間帯は
ランチタイム&シエスタを取ることとし、
外出は控えるようにします。
スペインの私の友人の一人が曰く、
『こどもはシエスタしなくても元気だけど、
大人はシエスタで少し寝なければ身体がもたない。』と。
実際そこに住んでみれば、シエスタは命を守る習慣。
確かに確かにです。
 
その土地の環境や習慣を知らずに
ただ日中のシエスタのみに注目して
『スペイン人は怠け者だ。アンダルシア人は働かない。』
というのは事実ではありません。
スペインは怠け者だ、というレッテル貼りは、
意図的に流布されたもので
世界を労働で縛る側の勢力による意図が
その根底に流れています。
すごいよね、レッテル貼りの力。
いまも世界のそこここにこのやり方は見られます。
歴史的にそんなこと繰り返し起きているので
パターンが読めると、出どころはほぼ明らか。
レッテルに左右されずに
いかに自分の視点・自分軸が大切か、
ひいてはそれは自分の生活習慣と命を守ることになるのが
大きな視野で視ればよくわかります。
 
スペイン政府はとくにEUと成って以降
このシエスタの習慣をアンダルシア地方から何度も奪おうとしてきました。
効率が悪い、として。
しかし怠け者とされたレッテル貼りも関係なく、
シエスタの習慣が南スペインにいまもちゃんとあること、
ある意味、名もないごく普通の人々の勝利ともいえるでしょう。
命をまもるためですから、本質を行っています。
 
そもそも日本人は8時間労働が普通に思われていますが、
全世界の平均労働時間がそもそも2時間だそうで、
日本人は働きすぎだという世界視野からの意見も聞きます。
一日2時間の労働時間だとしたら、
全体的に大変質の良い仕事が丁寧に集中して出来そうです。
そういう意味で
いまの日本の平均的な労働パターンは
いったいいつから誰がそうだと決めたのでしょう
誰が敷いたレールをこんなにも大勢の人が
疑問に思うことすら奪われて当たり前のように歩かされているのでしょう。
そもそも労働って??
西洋では宗教経由の位置づけから労働は罰なんですよね。
アダムとイヴのあたりで課せられた罰。
ざっくり書きますと西洋の宗教思想の中には原罪とやらもありますしね。
決して「夢中になってやる好きなこと」は労働ではない位置づけです。
日本に西洋パターンが入ってきたのはいつ頃か見てみれば
さまざまな日本のそれまでの独自の習慣が同じ時期に壊されていることが
それが今も続いていることが
一目瞭然ですよね。
そんな風に目覚めさせてくれたのが、
わたしにとっての故郷、南スペインに暮らしたことでした。
 
話がずれましたので、閑話休題。
 
スペインのシエスタの習慣を
今の私に照らし合わせて
早起きして日中にシエスタすれば、
深夜の仕事に差しさわりなく
一日全体の眠りが確保できるのではないか。
・・・そんなことを思った一日でした。
 
シエスタをまだとりいれてなかった現在は
20時から24時くらいの4時間の記憶が突然なくなり
(気絶したように眠る)
なんとかその気絶の時間を
日中に持ってこられないかと思っているところでした。
気絶したように眠った後はエネルギー充電されているので
あとは時間帯をすこしずらそうかと。
そういう意味で南スペインの生活習慣って
心身にとって、ばっちり完璧かもしれない。
実際に南スペインの日常習慣の中で生活してきたことは
今になってあらためて、
命のための大きな学びだったなあと思います。
 
肉体は繊細で壊れやすい物。
大事にしたいです。

『若水/おちみず』

本日のタイトルの「24時間は僕のもの」は
小学5年生くらいの時に担任の先生が授業の中で読んでくれた、
ある小学生が書いたという作文のタイトルです。
その作文の主人公の「僕」は、
毎日決まった時間に起き
大人たちの言うままに小学校に通い、食べ、眠るのを
なんとなく疑問に思い、
ある日、両親・大人たちに内緒で
真夜中にひとりで起き出して
家じゅうを探検する、という内容でした。
 
とっても印象に残っていて、
今日の気分にぴったりでしたので
タイトルにしてみたのでした。
ほんと、24時間は誰のものでもなくわたしのもの。
変革変容のときはいつも
一度これまでの習慣が壊されてわちゃっとするものですが
わたしも今は新しい習慣に合わせて
宇宙のシステムを利用しながら
いまやっていることは
宇宙と大地にダイレクトにつながるわくわくすることに変わりはないので
自分軸のままどこにも無理をかけない形にうまく操作します~*
 
こうおぼえがきすることがまた
どなたかのヒントや力にもなれば幸いです*
24時間は僕のもの*
 

故郷

スペインの私の故郷の村は国内で最も暑いとされる盆地地帯で、ここ数日摂氏43℃に至っているとのこと。

アンダルシア地方の盆地では年間で6月が最も暑いという体感と、
(6月はひまわり畑満開の月でもあります🌻)
あまりに暑い日は空が灰色になる、と言ったことを久々に思い出しました。

懐かしいアンダルシアの暑い夏🌞✨

 

セマナサンタ真っ只中

写真はスペインの私の故郷のセマナサンタ月曜日のお神輿より。
 
スペインカトリックに於いてクリスマスよりなにより最重要事項である
セマナサンタが先週末日曜日より始まりました。
この宗教的なお祭りは4月9日、次の日曜日まで毎日続きます。
 
semana santa/セマナサンタは
とくに南スペインで熱い伝統として今も生き続けています。
イエス・キリストのエルサレム到着から復活までの一週間を
毎晩お神輿の立体絵巻として語り継ぐ宗教的なお祭りです。

私が20代のときに初めてスペインに
約ひと月間のバックパック旅行したのも
偶然セマナサンタの時期でした。(いまやこれも偶然ではなかったと思っていますが)
その後、スペインに住むようになり、よりぐっと身近になったセマナサンタは、
私が住んでいた南スペインの村では、
イエスの復活よりも
磔刑までの行程(イエスのパッション/受難)に
重点が置かれていることが一目瞭然でした。
ですから、
英語圏の国のようにこのお祭りを「復活祭」と呼ぶには違和感がありました。
 
ところが。
去年のセマナサンタの毎年公的機関より発刊される冊子の表紙が、
この村で圧倒的な人気を誇る「ナザレーノ」と呼ばれる金曜日に運ばれるお神輿ではなく、
最終日曜日の復活の場面のキリスト像のお神輿のイメージであったこと。
これにはちょっと驚きました。
イエス復活の場面のお神輿に手が加わりより愛が深まっていました。
キリスト教世界のみならず、可視不可視すべての世の変化と
はからずも連動しているかのように感じられる出来事でした。
 
宗教というものによって意図的に分断されてきたものを取り払い
よりピュアな目で見てみると、いま世界で何が起きているのか、
今年のセマナサンタからも見えてくるかもしれません。
 
一昨日、スペインの友人から今年のセマナサンタの実況動画と写真が送られてきました。
ちょうどイエスがロバに乗ってエルサレムに到着する場面です。
今日は火曜日で、
イエスの死の予告をイメージしたスピリチュアルなお神輿が担がれる日です。
この一週間、スペインの友人からの報告でまたなにか感じ取れるところがあったら、おぼえがきするかもしれません。
 
セマナサンタの基本情報の一助として
2004年スペイン在住時のセマナサンタの記録を貼っておきます。
http://majo.moo.jp/foto/reportaje/04samanasanta/04samanasanta.html
2004年当時の私の、ほんとうにつたないながらも初々しい受け止めが、
今読むと恥ずかしくもあり・・の内容で、
認識不足などお見苦しい点も多々あるかと思いますが、
あえてその臨場感のままに貼っておきます。
近年は世界線で世の動向を見てきた視点から、
日本にこれが関係がないとは
もはや言えなくなっている感が自分の内にあります。
 
セマナサンタの始まる前には、
徹底的に家の中を掃除し、
町の通路という通路がお香で村中が浄められます。
とくに四つ辻は「サエタ」という神にささげる即興の歌
(神へのこの一年間の報告のような内容)がうたわれるので
特別な場所になります。
 
そしていよいよ最初の日曜日
(毎年満月から逆算するので日程がずれます。
今年は先週末の日曜日スタートです)
この田舎の陶芸の村が丸ごとぎゅいんと宇宙船にでも変容したかのような浮遊感覚。
これは何度もこの村で経験していますが、
異空間にいるような・・いつも必ずそうなります。
不思議な感覚です。
しかも私だけでなく村の人々も同じ感覚を共有しており、
幽玄世界のなかで共通意識を持てたのも
このセマナサンタが私の経験の中で初めてのことでした。
上記リンク先の最終日の記事にも書いていますが、
大地の鎮魂、やはりこれは大地との繋がりのお祭りであることが、
当時の実況からもうかがえます。
大地と深く繋がり
(最大のもので約1トン近いお神輿を皆で担いで最長9時間すり足で町中を巡る)
大地とより深くつながることで『超える』。
もとこのスペインの村の住民の私が言いますが、
一年かけてこの聖なる一週間/セマナサンタを
皆でこつこつ準備して、満を持して迎える、といっても過言ではありません。
スペイン各地の多くで失われてしまったこの伝統習慣が
この村では残っていました。稀有なことです。
たまたま陶芸を仕事としていたから、私はこの村に住むことができましたし、
信者でも何でもないのに、
このお祭りに聖歌隊のメンバーとして参加させていただきました。
こういった経験をさせてくださった
不思議なご縁とサポートに感謝しかありません。この村でうたうことは、私の感謝の印でした。
 
今年もいま現在この大切な生まれ変わりの一週間のただなかにいます。
私のスペインの故郷の友人の一人は今エルサレムにいます。
思い様々巡ります。