podcast航海の護符『エネルギーの世界』配信しました

『第十五回配信 エネルギーの世界』
http://majo.moo.jp/podcast/2024/05/03/第十五回配信-エネルギーの世界/
 

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番組へのご感想やご質問、楽しみにお待ちしています*
 
 

水から火そしてまた水

 
その日の朝から、愛用している地下足袋の右足のこはぜが何度も外れるので
なんでかなあと思いながら三島の待ち合わせ場所へ向かいました。
 
『この日は電車で行きます』と言っていたRさんから、
前日にメールで『「車で」と来るので車で行きます』との連絡。
 

3月25日のマナの泉での祝いの儀の翌日、
一之宮、瀬織津姫とのメッセージを受けました。
今日集う三人もマナの泉の祝いの儀のご縁からの道行きでした。

息をのむほど美しい湧水に気を取られ
側溝に足が挟まり転倒しました。
 
足の感覚がなくなり
同行のお二人も「足折れた!?」と吃驚されて。
 
わからないけど痛くて起き上がれない。
 
その後のお二人のサポートがすごくて。。
アトランティス由来の痛みとショックを解放するヒーリングを間髪入れずに施してくれたnさん。
天に繋がり祈りのエネルギーを送ってくださるRさん。
痛みのなかようやく体を起こすも、微動だに出来ないわたしでしたが
少し時間をおいて、痛みが軽減したのを機にようやく体を起こすことができました。
お二人のすぐの処置に感謝の気持ちでいっぱいでした。。
 

とても冷たい湧水の流れに感覚がなくなるまで十分に足を浸しました。
やがて、だんだんと、痛めたのがくるぶしなのだとわかりました。
大難を小難に。
まさにこの機会にRさんにお手渡し叶った「こぐま鈴」を
わたしの足への祈りとともにRさんがすぐさま振り鳴らしてくれたのでした。
 
ありえないほど右のくるぶしが膨らんでいましたが、
その部分に問いかけヒーリングを施すと
「感謝」しかでてきません。
 
きらきらと繊細に美しい粒子のエネルギーとともに感謝ばかりが溢れていました。
 
倒れた時、私の体内の全宇宙のすべてが私の体を救うべく
間髪入れずにまるでアンパンマンのように
さっと全力で稼働し救ってくれたのだとわかりました。
 
柿田川の湧水に小一時間ほどでしょうか、足を浸し、
一緒にいたお二人も靴を脱いでいっしょに流水に足を浸し
いつの間にやら言葉にならない満ち足りた時空に身を置いていました。。
 
今年1月に「足」のワードが来ていました。
ここ数年で身の回りの方々がつぎつぎ足の骨折をされていたことも
現象として受け止めており、いよいよ私のところへも、と思いました。
 
特別な柿田川の場所での足の負傷は最上の治癒を受けることができ、
これは生まれ直しであり、
肉体レベルでも、もはや古い地球でのグランディングとの明確な別れだと、
とろりとした玉のような湧水の流れに足を浸しながら
これからはこの湧水の流れのようなここにグランディングすること、つまり足はもう地面につけなくてよいことを
身をもってしっかりと教えられました。
幸せな新しい生まれ直しの顕現でした。
 
川のほとりから地上へ登っていく階段のところで
へびが日向ぼっこしていました。
なんとなくへびと出会うような、会いたいような
氣がしていたところだったので、心湧きました。
わたしたちの姿に気づいたへびは
びっくりして草むらにさっと隠れたので、
ポカポカしていたところごめんね、と思いました。
 
 

その後のこの日の予定は、
私の足がままならなくなりましたから大幅に変更となり
車で訪れることができる瀬織津姫の生誕の地へ移動しました。
私の足首は見た目は大仰な腫れ方でしたが、不思議と痛みは少なかったのです。
 
この神社に関わりの深いnさんが
この日、朝から下見に来てくださっていて
ご案内して下さるということで楽しみにしていましたし、
わたしにとってもこの地球に生まれた理由の一つともなる大切な場所ですから、
足がこのようになってもみなさんのサポートにより訪れることができて幸せでした。
 
Rさんがとっさの直感により車で来てくださっていたことにも感謝です。
お社の間近まで車を寄せさせていただくことができましたから。
 
nさんが竹林から切り出した竹の葉を払った長い竹筒を
杖の代わりに持ってきてくれました。
それまでRさんが傍らで支えて下さり歩いていましたから、
nさんに竹筒の杖を頂けたことで
一人でもゆっくり境内を歩くことができるようになりました。

境内をわたしが竹の杖を突きながら足をかばうようにして歩いていると、
農作業のような格好をされているお二人のご年配の方より
『どうしたの?』と声かけられました。
『ちょっとこっち来なさい』というのでそばに行くと、
私の背面から霊視されて体躯の状態をお伝えくださり、
祈祷と真言で調えて下さったのです。
 
御祈祷が終わって『ちょっと歩いてみなさい』というので歩いてみると、
杖なしでも歩くことができるようになっていました。
左足の裏がぽかぽかしています。
けがをしたのは右足でしたが、
左が弱っててかばって右に負担が来てる、とのことでした。
そのほか間接の弱っている場所など調えて下さったのでした。
 
あとでnさんにお聞きしたら御祈祷くださったのは、
先代の三島大社の宮司さんとのことでした。
その傍らにおられたのは、滝川神社の産子総代さんで、
『よかったじゃないの。』とお言葉かけて下さいました。
『なんで治ったのかなという風にうたがったら全部元に戻っちゃうからね。』と
先代の宮司さんからアドバイスいただき、
『大事にしなさいね、よかったね。』とおっしゃってくださいました。
 
滝川神社を後にするとき
ちょうど鳥居の外で畑仕事をされていた先代の宮司さんにご挨拶したら、
『普段は午前中に来るんだけどね。
今日はこんな時間に来たから、よかったね。』と、
爽快な笑顔をむけられてお声かけてくださったのでした。
 

まるでご褒美のような一日でした。
ここ数年、私の周囲で足を骨折されたかたがたも
『幸せでいっぱいの気持ちだった』
『満たされているのを感じた』とおっしゃっていたことの意味が
こうして私も実感としてようくわかったのでした。
 

 

Rさんが、その足で電車では帰せないとおっしゃって
家の前まで車で送ってくださいました。
 
沢山の方の祈りとサポートをいただいてほんとうに感謝しかないこと
感謝に満ちてこの地球にいまいることを
しっかりすべて受け取らせていただいて実感しています。
 
私が足首を痛めたことを口伝にお知りになったかたがたからも
お見舞いのご連絡いただいておりまして、
現在腫れはありますが、徐々に収まってきており
ゆっくり平地を歩く分には痛みがほぼなくて、
無理せずゆっくりであれば日常生活も普通に行える状態です。
たくさんのお心づかいを本当にありがとうございます*
 
最後までこれをお読みくださっている方にも感謝します。
ありがとうございます***
 

 

こぐま鈴のこと

『MAJOさん、鈴が必要な人がたくさんいるのよ』
と、
先日あるお世話になった方からお聴きしたその前日に、
すでにこぐま鈴の成形が終わり手元に顕現されて在りました。
時系列がまた逆になってると思いました。
 
もはや「偶然」などという生易しいもんじゃなく、
ここ数年もう何度も作品において、出逢う人々において、
逆転した時系列で物事が進むことが多くなってきています。
先に本質があり、その理由付けは後から。
これこれこういう理由があるから
それにともなって作品をつくるのではなくて、
それを必要とする人や物事が現れるより先に、もうすでにその作品ができて手元にある、
ということが何度も繰り返し起こっています。
 
自分はそういう世界に生きてるのだと
今回もまた「こぐま鈴」で思わされたのでした。
こんな風にこれまでの世界とは真逆にものごとが進むのは、
天地結び故のオーダーなのだと認識しています。
そこに私個人の意図や意識はまったくなくて
自動的にそうなっている、としか言いようがない。。
だから天地結びのオーダーなのだと。
必要なものしか顕れない宇宙のシステムに乗っている
と言い換えても良いかもしれません。
 
あまりに、未来が先に来て過去が後からついてくるような時系列を目の当たりにするので、本当は時間なんてないのかもしれないね。。
 

 
こぐま鈴をつくっていたとき
沢山の情報が降りてきていましたから
それをそのままこの世界に顕すようにおつくりしました。
 
こぐま鈴の音(ね)は『火の浄化』だとまず降りてきました。
この世界において火というのは、
小さなものは例えば「怒り」であり
大きなものは例えば「戦争」であり
それら未浄化のエネルギーを細かく砕いて浄化する。
大難を小難に。
音で。
響きで。
振ることで。
そのためのツールとして生まれてきたこぐま鈴。
 
いつからか人はあたりまえの日常から「火」をとりあげられました。
調理に火を使うことをとりあげられ、
庭で焚火をする自由すらままならない世界と成りました。
そうすることで人の力は退化してしまいました。
 
どんなエネルギーもただのエネルギーであるだけで良いも悪いも無いのですが、
エネルギーに貼り付けられた「意図」や「念」が重すぎて滞る。
 
なぜそのような世界が顕れたのかとひとことでいえば
火に対する「恐れ」や「不安」からだったのではないか。
「畏れ(かしこみ)」ではなく「恐れ」。
その恐れやあるいは不安から顕した行動は、
結局はもっと大きな本質的な問題=火の穢れを起こし、
その浄化を妨げることと成ってしまいました。
抑えられた火(エネルギー)は必ず流れだす。
本来エネルギーとは流れているものだから。
強く抑えられれば強く噴出する。
本質を避けようとしても
それは決してできないのだと
宇宙の真理が教えてくれています。
 

もしピンとくる方がいらしたら、
録画したものではありますが
(生の音と響きがもっともなのですが)
こちらの動画をご覧になってみてください。
火の浄化がわからなくても心寄せてご覧になるので構いません。
 
可能でしたらリラックスしてかるく目を閉じ、
後頭部でこぐま鈴の音を聴くようにしてみてください。
音や響きは耳だけで受け取るものではないことが感覚的にわかるでしょう。
 
二回目にこの動画を見るときは、
同じくリラックスして軽く目を閉じて後頭部で鈴の音を聞き、
動画の後半、複数のこぐま鈴の音が一つのこぐま鈴の音になったあたりから、
後頭部から首の後ろ~背骨を通って仙骨まで
聴いている音をゆっくりと下に降ろしていくようにイメージしてみてください。
後頭部で繊細な振動に変換され浄化されたエネルギーが
そのまま気持ちよく背骨を通って仙骨まで降りていき
その通り道を滞らせていたものを粉砕し流すとイメージします。
こぐま鈴の音と響きのエネルギーが後頭部から背骨を通じて仙骨までとおるときに
トルネード(回転)するように通過していくのをイメージするとより良いです。
 
二回目以降を何度でも繰り返してかまいません。
そのときに感じた感覚や、色、光、ビジョン、雰囲気、などありましたらそのまま受けとって大切にしてください。
 
たった数分のこぐま鈴の音と響きのワークですが
どこかしら楽になる方がいらしたのであれば幸いです。
 

 
七つのこぐま鈴を現在点滴堂さんに出展させていただいています。
タイミング合いましたら、よかったらお手にとってご覧くださいね。
  
◆点滴堂企画展
 『こぐま座ピクニックact.4』
4月10日(水)~21日(日)
12:30~20:00 月・火定休
会場:点滴堂
東京都武蔵野市中町1-10-3 2F
tel.090-6796-5281

**点滴堂HPより**
三鷹駅 北口 歩いて5分、
「点滴堂」はギャラリースペースのあるブックカフェ。
ちいさな店内にぎっしり詰まった書棚の古本はすべて販売してます。
作品の展示を楽しみつつ。
お気に入りの1冊を選びながら。
おいしい珈琲・紅茶をご賞味ください♪



 

シエスタ ~土づくり

日の出を待つ若水
日の出を待つ梅

 
昨日おぼえがきしたシエスタシステムを
今日、自分の新しい生活習慣に合わせて導入してみました。
まだ何とも言えませんが、
表層的には思うように睡眠時間帯の移行の操作はできました。
身体は機械ではないので新システムの睡眠習慣に慣れるのに
まだ時がかかりそうです。
 

 
今日の午後は土づくり。

この土では楽器をつくりたいので粒子の大きさを
なるべくいい感じになるようにそろえたいと思いました。
それが楽器の響きにとどくものとなるので。

臼で何度もくりかえし挽いて

ふるいになんどもかけてはまた挽いて

細かくなるほど土の振動が変わっていくのが分かりおもしろい。
挽きながら、なぜか今日は888hzの音を
工房イソラに、土に、私に、聞かせていたので
その影響もあるかもしれません。

かなり繊細なパウダー状になりました。

作業しながら土が細かくなるほど
土のパウダーを吸ってしまうなあと思ったら
それを吸うのがいいのだそうだ。
体に必要なものがこの土の中にはあるのだそうだ。
たしかに
むせたり喉が痛くなるということは何もありませんでした。
ただただすんなり身体がこの土のパウダーを
まるで栄養のように吸収していたようにも感じます。

誰に教わらずともそのつど作るものに合わせた工程が
全部降りてくるのは(ある意味ダウンロードされる感覚)
やはりこれまで
何十年も土に深くかかわり
安心な太いパイプで高い次元の土の源の世界と
繋がっているからかなあと思います。

上記工程を繰り返し・繰り返し・して
使用できるようなったパウダー状の土を
使う分まで増やしていきます。
一度にたくさんはできなくて
次に細かくする土の塊を
すり鉢に入れるたびその土が
語り掛けてくるようなエネルギーを放っていて
そんな土ひとつひとつを親しく思う
自分の心の動きにも
ここち良さを感じます。