音と歌  

先日アップした
ヤマトタケルのお社にて藤色の蝶に歌う動画について
意外(?)にも、何人ものかたからご感想いただきました。
ありがとうございます。

音(声)も歌もエネルギーだと思うのですが、
普段海や山と一体化して歌う場合と、
この蝶に歌った場合とでは
エネルギーの質がけっこう違うことが分かって
個人的には面白い体験でした。


私はちょっとBGMが苦手で、
特に仕事中にかける音楽は
メッセージ性のない音楽や歌でないと
作品制作に支障が出てしまうのですが
唯一大丈夫なのがいまのところ、雅楽だけになります。

そういった意味で、
雅楽って何だろうと思い調べたことがあるのですが、
図書館で借りてきた分厚い雅楽関係の本によると
(かなり昔のことなので本の題名は忘れましたが)
奏者が特筆されず、うまい下手も関係なく
ただただ世襲的な年功序列で成り立っている世界で、
たんたんと演奏を受け継いでいくことが最も大切だ、
と書かれてありました。

たんたんと、個人がなくなる、という感覚は、
私が海や山にうたうときに
不可視の世界のエネルギーと一体化して
自分がなくなる感覚と
似ている状態なのではないかと感じました。
作品制作中も訪れるエネルギーと同化しているので
雅楽に親和性があるのはそういった理由からかなと思いました。

そんな視点でいえば、
先日の蝶にうたうというのは、
個人や歌う対象が固定されたもので、
焦点が個人(この場合は1匹の蝶)に定められたゆえに、
メロディーも明確なうえ、
私の声も、縄文人の音ではなくもっと個人的な声、
だったように感じています。
多くのかたがたが、この歌にご反応下さったのも
そういったわかりやすさがあったからかなと感じています。

対象によって自分のエネルギー状態が変わる。
当然のこととはいえ、
エネルギーのパイプ(楽器としての身体)が、
このように顕著に音に顕れるのが面白いと思いました。


 
今日は屋根の上書斎ですごしました。
 
ふと見上げるといらかの波の上に白い半月。

 
 
書斎で赤しそを干したりもしました。
午後はしその香りにつつまれてすごしました*