24時間は僕のもの

ただいまひとつの宇宙システムにのっとって
早起き続いています。

どうしたってやはりものづくりの性質上
仕事をしていると静寂な深夜を外すわけにはいかず、
このまま早起きを続けて体を壊したら元も子もないので
生活パターンが確立されて馴染むまで試行錯誤は覚悟の上ではありますが
いまはまだ試行錯誤の段階。
 
とはいえ思っていたようなきつさはないです。
朝日とのコンタクトもひなたぼっこ心地よい。

ふっとここでひさびさに思い出したのはスペインのシエスタの習慣。
スペインの友人たちをみていると、
陶芸工房やオフィス、学校は
日本と同じ時間帯・朝8時半頃から始まる感覚ですが、
大人も子供もごく一般的な夕食の時間は22時くらいから。
寝るのはそれからだから日本に比べてかなり遅いです。
それで睡眠時間は足りているのかというと、
とくにわたしの故郷の村がある南スペインは、
文字どうり殺人的な日射の時間帯を避けるためにも
日中14時~17時の時間帯は
ランチタイム&シエスタを取ることとし、
外出は控えるようにします。
スペインの私の友人の一人が曰く、
『こどもはシエスタしなくても元気だけど、
大人はシエスタで少し寝なければ身体がもたない。』と。
実際そこに住んでみれば、シエスタは命を守る習慣。
確かに確かにです。
 
その土地の環境や習慣を知らずに
ただ日中のシエスタのみに注目して
『スペイン人は怠け者だ。アンダルシア人は働かない。』
というのは事実ではありません。
スペインは怠け者だ、というレッテル貼りは、
意図的に流布されたもので
世界を労働で縛る側の勢力による意図が
その根底に流れています。
すごいよね、レッテル貼りの力。
いまも世界のそこここにこのやり方は見られます。
歴史的にそんなこと繰り返し起きているので
パターンが読めると、出どころはほぼ明らか。
レッテルに左右されずに
いかに自分の視点・自分軸が大切か、
ひいてはそれは自分の生活習慣と命を守ることになるのが
大きな視野で視ればよくわかります。
 
スペイン政府はとくにEUと成って以降
このシエスタの習慣をアンダルシア地方から何度も奪おうとしてきました。
効率が悪い、として。
しかし怠け者とされたレッテル貼りも関係なく、
シエスタの習慣が南スペインにいまもちゃんとあること、
ある意味、名もないごく普通の人々の勝利ともいえるでしょう。
命をまもるためですから、本質を行っています。
 
そもそも日本人は8時間労働が普通に思われていますが、
全世界の平均労働時間がそもそも2時間だそうで、
日本人は働きすぎだという世界視野からの意見も聞きます。
一日2時間の労働時間だとしたら、
全体的に大変質の良い仕事が丁寧に集中して出来そうです。
そういう意味で
いまの日本の平均的な労働パターンは
いったいいつから誰がそうだと決めたのでしょう
誰が敷いたレールをこんなにも大勢の人が
疑問に思うことすら奪われて当たり前のように歩かされているのでしょう。
そもそも労働って??
西洋では宗教経由の位置づけから労働は罰なんですよね。
アダムとイヴのあたりで課せられた罰。
ざっくり書きますと西洋の宗教思想の中には原罪とやらもありますしね。
決して「夢中になってやる好きなこと」は労働ではない位置づけです。
日本に西洋パターンが入ってきたのはいつ頃か見てみれば
さまざまな日本のそれまでの独自の習慣が同じ時期に壊されていることが
それが今も続いていることが
一目瞭然ですよね。
そんな風に目覚めさせてくれたのが、
わたしにとっての故郷、南スペインに暮らしたことでした。
 
話がずれましたので、閑話休題。
 
スペインのシエスタの習慣を
今の私に照らし合わせて
早起きして日中にシエスタすれば、
深夜の仕事に差しさわりなく
一日全体の眠りが確保できるのではないか。
・・・そんなことを思った一日でした。
 
シエスタをまだとりいれてなかった現在は
20時から24時くらいの4時間の記憶が突然なくなり
(気絶したように眠る)
なんとかその気絶の時間を
日中に持ってこられないかと思っているところでした。
気絶したように眠った後はエネルギー充電されているので
あとは時間帯をすこしずらそうかと。
そういう意味で南スペインの生活習慣って
心身にとって、ばっちり完璧かもしれない。
実際に南スペインの日常習慣の中で生活してきたことは
今になってあらためて、
命のための大きな学びだったなあと思います。
 
肉体は繊細で壊れやすい物。
大事にしたいです。

『若水/おちみず』

本日のタイトルの「24時間は僕のもの」は
小学5年生くらいの時に担任の先生が授業の中で読んでくれた、
ある小学生が書いたという作文のタイトルです。
その作文の主人公の「僕」は、
毎日決まった時間に起き
大人たちの言うままに小学校に通い、食べ、眠るのを
なんとなく疑問に思い、
ある日、両親・大人たちに内緒で
真夜中にひとりで起き出して
家じゅうを探検する、という内容でした。
 
とっても印象に残っていて、
今日の気分にぴったりでしたので
タイトルにしてみたのでした。
ほんと、24時間は誰のものでもなくわたしのもの。
変革変容のときはいつも
一度これまでの習慣が壊されてわちゃっとするものですが
わたしも今は新しい習慣に合わせて
宇宙のシステムを利用しながら
いまやっていることは
宇宙と大地にダイレクトにつながるわくわくすることに変わりはないので
自分軸のままどこにも無理をかけない形にうまく操作します~*
 
こうおぼえがきすることがまた
どなたかのヒントや力にもなれば幸いです*
24時間は僕のもの*
 

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