つれづれ

今朝、庭の梅の木に今年最初の一輪が。

 
 
いつみても空は奇跡。

 
 
行きつけのパン屋さんに
『ポンテケージョをスープに入れると
もっちもちの具になっておいしいよ』
と教えてもらったので
さっそく朝昼ごはんの蕪と酒粕のスープに投入!

もっちもちです*おいしいです*
 

地元の自然農の甘夏の皮を粗精糖で煮込んで刻んでスコーンに投入!
柑橘のピール入り焼菓子はあんていのおいしさです*
 
 
午後はヤマトタケルの湧き水のお山へ。

 

湧き水を汲ませていただき
お礼にうたをうたいました。
小さなお社の
小さな注連縄の紙垂が細やかにふるえて
ここにはもう愛しかないと思いました。
 

 
私には故郷といえるものがありません。
 
これまで一番長く住んでいた東京の江東区は
50年まえの昔から新興住宅地で、
それも賃貸物件のマンションが多くて
だいたい2年ごとの引っ越しで住む人が入れ替わっていました。
それでもまだ私が子供のころは、
古い家屋と高層マンションが混在している感じで、
古い地区には野良犬がいたり、
ガラスや鉄の町の小さな工場がいくつもあったり、
隠れ家にできるようなちょっとした空き地や
裏路地があったりして、よくそんな場所で、
顔見知りの犬たちとも遊んでいました。
しかしとくにここ10年くらいの間に、
みるみる高層マンションが立ち並び、景色は閉ざされ、
お店といえばみごとなまでに
全国展開のチェーン店ばかりに変わりました。
つぶれれば次の似たようなチェーン店が入り、
2年ごと似たようなチェーン店が入れ代わり立ち代わりして落ち着かず、
大型ショッピングモールがいくつもできて、
町の風景がなくなりました。
住民は望んでいないのに、区がそのような方針だそうで
殺伐とした町になりました。
それとともにアジア系の外国人があっという間に
大量に移住してきました。
町を歩くと、もうこの町は日本とは思えないような
外国語の会話ばかり耳に入るようになりました。
児童公園では外国人の子供とそのお母さんの集団しかみかけなくなりました。(大袈裟ではなく本当に。)
町も人も40年前の景色はもう見る影も無くなりました。
日本人の子供たち、親御さんたちは、
いったいどこへいったのでしょう。。
(塾や習いごとで手いっぱいで、
砂場やブランコ、かくれんぼ、缶蹴り、
毎日毎日暗くなるまで時間を忘れて思い切り遊んだりしないのでしょうか。。)
 
思えば私が唯一心の安らぎを得ていた
亀戸天神がありました。
ここはいまでも大好きな場所ですが、
けれどここも、スカイツリーができたことで
おだやかだった天空の景色が破壊されてしまいました。。
 
50年近く住んでいた町でしたが、
引っ越しするとき名残り惜しさのみじんもありませんでした。
思うことは、
外国人が住むことが悪いという事でも、
町の景色が変わることが悪いという事でもなくて、
「住んでいる人々に愛されていない土地はとてもかなしい」
江東区を去る時、これはひとつの大切なキーワードとなりました。
 

 
私にとって、故郷という定義はなんだろうと考えたことがあります。
 
それは「待ってくれている大地と人々がいる町」。
 
そう思ったのはスペインに住むようになったときです。
スペインに住み、最初に陶芸工房に行った日、
その工房の職人さんがこういいました。
『Majoが来るので、このテーブル開けたんだよ。
ほら、この赤い椅子、これはMajoの椅子だよ!』
とぽんぽんと椅子の座面をたたく職人さん。
 
「居場所」。
それは私にとってかけがえのない贈り物でした。
この赤い椅子が私の居場所なんだ、というえも言われぬ安心感。
工房初日にかけがえのないプレゼントをもらいました。
そして「居場所がある」ということは
私の人生の中でまたもうひとつ大切なキーワードとなりました。
 

 
今住んでいる逗子には
ひょんなことから突然引っ越してきました。
実はすぐに関西方面に越す予定でした。
 
しかしなぜか強力な足止めを食らいました。
台風での家の半壊。
家族の重度の病気。
並々ならぬ足止めです。
引っ越そうというその月に、そういったことが繰り返し起こり、
とても引っ越しできる状態ではありませんでした。
しかし、そういった足止めのおかげで
私が本来持っていたものが引き出されました。
それは、
うたうこととエネルギーのこと。
その二つができるようになったのです。
 
それまでは展示に、陶芸教室にと忙しくて
そんな時間もありませんでした。
それはそれでよい時間であった部分も確かにありましたが、
足止めを食らった意味をしりました。
可視の世界にばかりとらわれていたのが
みるみる解放され自由になりました。
そして本質につながりました。
それはまるで
スペインのカミーノ(サンティアゴ巡礼道)で
他に比べようのない至上の幸福感に包まれた、あのときの感覚でした。
今住んでいるこの土地と、
カミーノのときのように本質でつながった感覚がありました。
 
そうしてわたしにもう一つ、故郷ができました。
スペインの陶芸の村に加えて
そして今住んでいるこの町。
故郷がなかった私に
いまはふたつの大切な故郷があります。
待っていてくれる大地と人々がいる場所です。
 
すべての出来事に意味があった、というお話の
これはほんの一部をつれづれに書いてみました。 
 
 
 

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