きのうきょうと

デジタル展示会の方の更新ができずお待たせしております*
 
明日までスズメのおひなさまの制作の世界にかかっておりますので
更新再開までいますこしお待ちいただけますとありがたいです*
 
隔年販売させていただいております
スズメのおひなさま。
今年2022年は、2種類のイメージが浮かび正直なところとても迷いました。
両方作るのか、
どちらかを選んで作るのか、
そして選ぶならどちらを選ぶのか。。
 
締め切りに追われてきちんと腑に落ちないうちに決めてしまうのも
心もとないものがありました。
それがひとつ前の記事に書かせていただきました昨晩のエネルギー体感にふれて
迷うことなく自分らしいと言える方を選べと言われたように思いました。
 
おひなさま、というには少し違うのではないかと、
保留にしておきました方を結局選び顕現することにいたしました。
迷いのもとは、
おひなさまという既成概念
スズメという既成概念にとらわれて
いたものだとわかりました。(実は昨日の昼間まで最終的に選ばなかったほうを
選んでおり、途中まで型紙も制作しておりましたが、、取りやめにいたしました。
そうしたことで心が軽くなり、より自由になりました。。)
 
いまはもう既成概念とは関係なく、作りたいと思った方を選びましたので、
おかげさまですっきりと制作にかかれます。
 
そんなわけで今日は
工房をきれいに清め、
制作の机をきれいに清め、
大掃除の日となりました。
 
なんとなく「一年遅れの3月」というのがときどき浮かんでくるので、
なにかの切り替わりと感じています。
2月いっぱいこれまでの流れを大切にしながら、
新しい動きの3月は、新年をお迎えするような気持ちで
今日は年末の大掃除のような一日となりました。
工房の空気感が軽いです*
 
写真は昨日と今日の家の窓から。

楠のお姉さまたち*葉がもりもりとしてきました*

 

 

 

 

 
あさひるご飯にスペインの郷土料理ソパイパをつくりました。
生地におからを入れてみたら香ばしくてさくさくな仕上がりに*

 
 
 

「アルケミストの夜」

昨晩シリウスの郷で
とても不思議な体感があったので、
言葉にできることと
できないことがありますが、メモ。
 
こちらの公演をみに行きました。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=4905969722864909&id=100003557887244
 
*
*
 
みう とは肉体の死であり根源的な意味として魂の移行をあらわす言霊。
その名を持つ井上ミウさんの即興の体顕。
 
 
導入は
地上に降りたがった天使あるいは天女。
頭部に高次の音が鳴り響く体感。
 

 
ヤマトタケルは微笑んでいたのだろうか。
 
草薙の剣で燃える草原を薙ぎ払うとき。
 
この先どうなるのかという未来の心配などではなく
目の前の今に剣とともに舞う。
 
燃える草原を祓い舞う仕草の連鎖は恍惚として
そのときヤマトタケルは魂からの微笑みをうかべていたのかもしれない。
 
 
真菰の二房を手に取り舞うみうさんをみていたら
そのようなヤマトタケルの魂に導かれていました。
 

 
やがて天女は羽衣を脱いで地上に降り立つ。
 
衣をまとう、布の重要性。
布とは大いなる根源宇宙のエネルギーが宿るもの。
(神社のような場でなぜカミに和妙や荒妙とよばれる
絹や麻が納められるのかという話にも通じます)
穢れがあれば宿ることができない。 
 
地上の穢れ、忌みごと。
苦しみ悲しみすべてはたましいの滋養となる。
 
『おまえはそれを経験したくてここ(地上)へきたんだろう?』
男神の声が聞こえる。
 
ちいさな絶え絶えの息遣いがやがてひとつのうたとなる。
 
ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」第2楽章。
天女絶え間の息の下よりこのメロディーが紡ぎだされたとき
理由もなく何故か
あ、宮沢賢治だ、と思った。
 

 
地上の穢れや忌みごとは、
地上で生きていれば絶対に避けては通れないことばかりが指定されていると、
古神道を学んでいた折にそのことに気づいたとき、
忌み事と指定して最も重要なことがそこに隠されているのではないか、
と氣づきました。
確信的なことに気付かれないよう、
そこに近づかないようにされているのではないか、と。
平田篤胤系統の古神道では宇宙にふれることはタブーとされていた。
いまでこそ、何が、なぜ、タブーとされていたのかその理由もある程度はよく分かる。
ある目的をもって封印したものが、
直感で宇宙に通じられて開かれてしまうと様々都合が悪かったのだから。
 
忌み穢れによって磨き抜かれた魂は
地上でしか味わえないアトラクション(あえてこう書きます)を
味わい尽くしたとき終わりを告げる。
 
遠き山に日は落ちて・・
 
 
ミウさんの口からこぼれ出したとぎれとぎれの言霊は
やはり・・・賢治の「春と修羅」でした。
 
『わたくしといふ現象は
 
仮定された有機交流電燈の
 
ひとつの青い照明です
 
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
 
風景やみんなといつしよに
 
せはしくせはしく明滅しながら
 
いかにもたしかにともりつづける
 
因果交流電燈の
 
ひとつの青い照明です
 
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)』
 
 
天女が衣を失い、地上の忌み穢れを味わい尽くしている間
私の体感はおなかの大地のエネルギーに集中していました。
 
 
この物語は
ここでこの重い重力のまま終わってしまうのだろうか?
ミウさんはどのようにされるのだろうか?
 
私の頭でふとそんな思考が働きました。
 

 
人間は人間界より下に
もっとひどい界があると信じ込まされていました。
しかし「地獄」というものは、
天からみて下にある界=地国のことなのでした。
地国とは魂のピラミッドシステムの底辺にある人間界のことでした。
(このへんは言語化するのもとても難しいのですが)
 
古神道を学んでいた時、
人間界に干渉してくるあまりよろしくないが霊力の強いものたちが、
人間よりも上の界にいると学んで、なんだか不思議に感じていました。
人間界が一番下の階層=ここが地獄 だというのならそれもよくわかります。
20年ちかく学んできた古神道に感じていた矛盾点の辻褄もそれなら合います。
 

 
やがて天女は目から清らかな水をながし、
発酵されつくし
すべて放心したとき
そこには浄化されたのちの空間しかありませんでした。
 
目が清らになった天女は
かつて渦まくように脱ぎ捨てた衣を見つけ
ゆうるりとそれをふたたび身にまとう。
その動作の一つ一つ。
 
もとの天へと還るが
還るのではない。
 
同じ場所へ還るのだが、
同じ場所ではない。
 
なぜならわたしの魂は昔とは違っているから。
磨き抜かれたわたしの魂を
天の母なる根源へお土産に持ち帰られるふかい輝きがあるから。
 

 
 
終演後、おもわずミウさんに駆け寄って
そのとき心に沸き上がったことをお伝えしました。。
それをこうしてまとめていま改めて書き直してみています。
 
ミウさんはカーテンコールで『即興です』とおっしゃいました。
即興、すべておまかせにできるかた。
だからこそ意図せず、こうしてシリウスの郷に
かつての記憶を失いながらも遠い星々からたくさんの
魂たちが集まってきていました。。魂が懐かしさに震えています。
ありがとうございました。。
 
 
古来の音階にもどし調整された楽器で
この空間に降りてきていたものと共振共鳴されていた
美夕紀さん
彩音さん
ほんとうにありがとうございます。
 

 
家に戻る道々ふと、
これはかぐや姫の物語そのものではないかと思いました。
 
かぐや姫、乙(音)姫、織姫、瀬織津姫。
 
もう何年も前のことになりますが
この4人の女神が
私の住む地元の海岸に顕れたときのことを思い出しました。
 
そしてその時に生まれた絵皿が
おとといの深夜、思えばちょうど満月の日にアップしました
「セオリツヒメ/瀬織津姫」の絵皿になります。
http://majo.moo.jp/mov/sirena/12_seorituhime.mp4
 
 
総てすべてが綿密に計算されつくして織り成された錦の織物の物語。
それがいったいどういうものだったのか、
はっきりといま顕れ始めています。
 
総てすべてつながっていました。