直感の世界で

ますます直感で生きることが重要になってくる時代に入ってゆきます。
 
一番信頼を置いているはずの自分自身をまず裏切らない・うそをつかないこと。
直感はその信頼をもとに働いてくれますから。
 


今日の朝昼ごはん。
柿の皮から起こした酵母でパンを焼き、
柿の実は、間引き大根とカブに和えるのが最近のブームです。
力があって本当においしい*
 
料理ってその時その時の瞬時の判断と方向性を決めることの連続。
レシピなどみて作る特別な料理と違って
とくに日常的な料理は、
心に訊いて、ひらめきを活かして
絶え間なく直感を磨く良い練習になると感じます。
 
食後、屋根に干した布団を眺めていたら
大きなカマキリのお母さんがゆっくりと目の前を横切ってゆきました。
お腹が大きくて、たまごを産む場所を探していたのかもしれません。

 
私に気づいて振り向きました。
 
このあと私の目から身を隠す動作が
なんとも着物を着た女性のような
嫋やかなたたずまいでちょっと感動しました。
手はお腹をかばって
顔はこちらをみたまま、
そそそそ・・と後ろ向きにさりげなく去っていったのです。
 
 
夕散歩はいつもの海へ。
 
川沿いに歩きながら海に近づくと
水面の揺らめきが
諏訪で感じていたエネルギーの揺らめきと同じでハッとしました。

 
諏訪ではなぜか『ここは海だ』と感じる場面場面がたびたびあり、
やはりあれは波のエネルギーだったのではないかと後で思いました。
わたしの陶芸作品を置いていただいて長年お世話になっている長野のお店が、
今回リトリートを行った場所と思っていた以上に近くにあり、
殊にもう大分前に訪れた白駒池が今回訪れた場所と近いことは
何故だか偶然ではないように感じました。
 
かつて白駒池に訪れたときは、
ぴたりと風が止み
湖面の揺らぎも枯葉が落ちることもなく
完全なる無音の世界で耳の鼓膜が痛みました。
(鼓膜って全く振動がないと痛むことをこの時初めて知りました)

今回はまるでその反転のようにして
海のない場所で絶え間なく揺らめきを繰り返す波を感じていました。
凪と波。
イザナギとイザナミ
   ・・と心に浮かぶのは自然なことでしょうか。
 

 
世界はほんとうに美しい。
 
 
 

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