火の浄化

火の浄化とのメッセージ受けて
これは髪を切る合図、と悟りました。
 
そうしましたら
なんともスッとかろやかに!
 
物理的にも20cmも切ったので軽くなったのですが、
これまであちこち一緒に旅してきた切った毛先は
『おつかれさま』とたいせつにまとめて紙にくるんで
さようならしてきちんと終わらせました。
 

 
この冬は空気中の湿度が高い。
乾燥していないので粘土がなかなか乾きません。
 
粘土が乾いてくれないので作業がはかどりませんがそのぶん、
お日さまが出た日には、縁側で作品たちを日向ぼっこさせたり、
天候に添った歩みを味わいます。
急いでも何の意味もないことを私は陶芸から学びました。
 

 
ようやく乾いた土たちを
舞うような手つきで釉がけし、
ようやく今夜は窯焚きです。
 
太郎くん(窯の名前)よろしくお願いいたします、と
先ほど火入れしました。
 

 
窯番の夜の遊び。
 
精油を取り出して
寒い夜にはすこしもったりとした重めの香りもいいかなと。
冬山椒は単体でよく使う好きな精油ですが、
きょうはチュベローズを混ぜました。
冬山椒の透きとおるような甘さとはまた質が異う
チュベローズの甘い香り。
肚に来る香り。
 
窯番の宵話し。
2016年に展示でスペインに行ったとき、
長いご縁でお世話になっている陶芸工房の親方の家の庭に咲いていた花が
あまりに素晴らしい芳香で、これは何の花?と聞くと
ナルドだと親方は言いました。
水仙のような雰囲気の柔らかな白っぽい花がいくつかついていました。
あまりに良い香りでずっと忘れられずにいました。
 
のちにこれが、日本ではチュベローズと呼ばれていることを知りました。
スペインでナルドといえば、マグダラのマリアがイエスに施した精油です。
 
それより遡った遥か昔、アロマセラピストの知人が、
スパイクナードはマグダラのマリアの精油と言っていました。
日本語で検索すると確かにそういう情報がいくつも出てきます。
しかし、そのセラピストさん曰く、変な。。カビのような香りだとも。
私も実際手に入れてかいでみると、
そのものを香るよりも隠し味につかわれるような癖のある香り。
 
その時は、直感でしかなかったけれど、
でもこれがマグダラのマリアの精油だなんて変だな、と素直に思いました。
まず価格が・・まあ手に入るような感じでお手頃です。
聖書と言ってることが違う。
聖書では、マグダラのマリアに精油を施されるイエスを
ユダが批判する場面があります。
そんな高価な精油より、その金額で一体どれだけの人を救えると思うのか?
というような感じです。
 
スパイクナードがマグダラのマリアの精油だとしたら
変だなあと長年思っていたことが、
スペインの陶芸の親方の庭でナルドを見て、
その芳香をかいだとき、氷解しました。
 
最初は直感でしたが、、日本でいう海外の文化というのは
ほぼ英語で英語圏の国から入ってきます。
ラテン語で直接入ってくることは少ない。
 
それで自分でもその当時ラテン語からアプローチしていろいろ調べたら、
やはりナルドは、スパイクナードではなく、ナルドはナルドでした。
日本ではナルドのことをチュベローズと紹介されていたのです。
そしてどこでねじれたのか、
マグダラのマリアの精油はスパイクナードと紹介されてしまっています。
親方の庭でかいだあの花はチュベローズ、
あるいはチュベローズの一種でした。
 
チュベローズなら、上記したユダのご意見も納得です。
フローラル系で最高峰といわれるチュベローズの香りは、
価格もそれに見合っていますし、
イエスに施したいと思う特別な香りならぜひこれを、という
マグダラのマリアの気持ちも伝わってきます。
 
個人的には、親方の庭でかいだナルドの香りが
ほんとうにみずみずしくて素晴らしい芳香で忘れられず、
帰国後、チュベローズの質のよい精油を、
あまりに高価なので10%に希釈したものですが・・購入しました。
 

今夜は、精油で遊びつつ、こんなお話を思い出したのでした。
窯番のつれづれに。

写真右の瓶が、愛用している冬山椒の精油。
左がマグダラのマリアのチュベローズです。
マグダラのマリアのイメージがなぜか月なので、
(写真では見えにくいですが)瓶に月のシールを貼っています。
 
 
 

朝焼け

庭も染まっていました。

そのまま海へ・・

カモメのジョナサンと海を見つめてる。

いつも海はほんとうにうつくしいなあと
ころんと砂浜にあおむけに寝転がって空を眺めておりました。

海のそばにあたらしくできていた地元のおにぎり屋さんで
天むすを買って帰りました*

 
*おやつにキャロブケーキを焼きました*

 
***
 
19年前の今日8月13日、
私はサンティアゴの道カミーノを歩き始めました。
私は巡礼中、とても守られていたと思います。
アウトドアな知識など皆無でしたから、
いつも履いてるスリッポンのズック、
千円で買ったファンシーな綿のリュックで歩いていましたから。
毎日雨が降る北スペイン特有の気候のカミーノで
歩いていた時には一度も雨で深刻に困ることもなく、
宿についたとたん降りだす、
その日歩き出す直前まで降っていた雨が止む、
雨が降りだすとちょうど教会が目の前に現れる、
という日々の連続でした。
これまでが恵まれていたのだと気づいたのは最終日で、
カミーノで初めてものすごい暴風雨にあたり、
自分が履いている靴やリュックでカミーノを歩いてきたこと、
それらが最終日まで一度も濡れなかったことに感謝できたのでした。
最終日にびしょぬれになった靴は、数日間乾かず、
巡礼の終着地サンティアゴ・デ・コンポステーラの町で
(大きな町ですからたやすく新しい靴を買うことができたというべきでしょう)
結局他の靴を買ったのでした。
 
なぜかこの8月に入ってから
カミーノのことを話したり聞かれたりすることが多くなっていて、
きっと何かあるのだろうとも思います。
たとえいまわからなくとも。
 
当時の巡礼の記録が少しだけ残っています。
必要とされている方のために
しばらくのあいだここに昔の記録のリンク先を貼って置こうと思います。
http://majo.moo.jp/foto/reportaje/camino/camino.html
 
カミーノを歩いて19年も経ったとはとても思えず、
優に時空を超えて
いまこそより一層鮮やかによみがえっています。
あの道を歩いた意味が、
あのときよりも今、はっきりと
見えてきているからかもしれません。
 
カミーノの大地と出会えたことが
そのままこの地球と出会えたことでした。
 
ほんとうにありがとう。
言葉では足りないくらい感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 
 

León

ひとつまえのおぼえがきの続きになります。
 
レオンのカテドラルのステンドグラスから床にこぼれ落ちた光の粒子の振動が
セオリツヒメのエネルギー振動と同じなら、
やはり本当に
『アマテラスの神格が変わるときに一度粉々になり、
地上に光の粒子となって降り注いだ。
その光のかけらの粒子は
地上のあらゆる場所から光を照らし返した。
その状態をセオリツヒメと呼んだ。』
と伝わるひとつの神話と合致するように思う。
 
こんなにもずっと前から
セオリツヒメの振動を感知させられていたとは・・と、
今朝届けてくれたスペインの友人からの
レオンのステンドグラスの写真に心震えました。
 
 
私がカミーノ(サンティアゴ巡礼道)を歩いた当時は
レオンのカテドラル内は撮影禁止だったようで、
さっき写真を探したけどありませんでした。
けれど写真に残ってると勘違いするくらい鮮明に
カテドラルの床にこぼれた光の
色とりどりの粒子のことを覚えている。
 
それからここレオンのカテドラルで手に入れた
木のパーツで作られたロザリオ(写真)を持って、
私はサンティアゴ巡礼を始めたのでした。

 
  
León/レオンの元々のスペイン語の意味は、ライオン。
私の人生に於いて幼少の頃より顕れている
キーワード「ライオン」が
ここにきてまた再び立ち顕れてくることも
決して偶然ではないと私の魂は知っています。
 
 
 

渡り~リセット

 
スペインの友人が数日前にレオンにいたと
カテドラルの写真をネット上に投稿していて。
 
私がサンティアゴの巡礼道を歩こうと決めて
当時住んでいたアンダルシアから列車とバスを乗り継ぐ長旅で
まず最初に到着したのがレオンの町でした。
  
レオンのカテドラルに到着したとたん
ドラマチックにパイプオルガンの演奏が始まり、
スペインの聖堂のなかでも特に屈指の美しさと言われる
ステンドグラスの色とりどりの光の欠片が
礼拝堂の床のあちらこちらに散りばめられるようにこぼれ落ちていました。
 
 
こう書いていて氣がつきましたが
この光の感じは
私が視ているセオリツヒメのエネルギー粒子の振動と
とてもよく似ている感じがします。
 
私が「セオリツヒメ」と表記するときは
宇宙エネルギーとしてのセオリツヒメ。
漢字で「瀬織津姫」と書くときは
地上の人による意味付けの神格化された瀬織津姫を表します。
書き分けは私の内に降りてきているひとつのルール、約束のようなものです。
 
 
更にいまこれを書いていて強く降りて来るのは
『これまでの次元からは同次元の問題は解決しない』と言うこと。
「リセット」「解体」と言うキーワードも、
5月末に神戸六甲山の磐座から戻ってきてから来ています。
 
もっと具体的にはっきりと書くと、
『”瀬織津姫”の解体』と来ています。
 
神戸から戻ってしばらくの間
このメッセージについて探求していましたが、
アクセスしてみると
根元宇宙のセオリツヒメのエネルギー粒子には変わりはないので、
地上の人が作り上げた「瀬織津姫」という念のようなものの解体
と言うことのように感じています。
そのように実際示唆される事もありましたので、
例えば
人の念のようなエネルギーが作り上げた偶像に成った瞬間から
自分が信じたいもの(=本来のエネルギーとは別物のもの)へと
変わって行くことを思います。
それもまた宇宙視点から見てみてると、
そういったことも善し悪しだけでは言い切れない部分も
あることにはあるのですが。
 
地上ではエネルギー粒子そのままの根源的な本質よりも
目に見えるように具象化している方が
分かりやすく真実だと思われやすかったりしますが、
この地上の瀬織津姫が解体されていく、と言うことは、
もう時代的には次の段階へ進み、
すべてエネルギーで視る事の重要さを言っていると感じられます。
 
要はひとりひとりができることとして、
自分軸であるか
自らの内宇宙にアクセスしているか
に尽きると思います。
そこから新しい世界が顕現・共同創造されますから。
いつも同じことを書いていますがとても大切なことです。
特にこれからの時代はそういう世界に成って行きます。
いえ、もうそう成っています。
 
 
さらには神戸から戻ってすぐの頃、
おぼえがきにも少し書かせてもらいましたが、
「弁天ライン」が浮上してきています。
日本地図で確認すると
逗子、六甲、明石から、最西端は壱岐島でした。
具体的に書くとやはり変質してしまう感じがあって
ここに書かない方がよいような気もしますので
9月の鎌倉での個展の頃には土や水、火に顕れて来ることと思います。
この個展についてはタイトルテーマも来ています。
ここ数年いつものように個展となると
高次からの頼まれごとの顕現に成ります。
 
 
また、水の繋ぎ・浄化も大切なことになってきています。
いま全国でそれぞれのかたちで
日々たいせつな水のお繋ぎ・浄化をされている方々がおられます。
 
今年4月1日から来ているの私の担当地は、
都内の水のお繋ぎのようですので、
場所も指定してきているので繋ぎと浄化(=音開き)に近々参ります。
 
瀬織津姫が解体されたのちの玄の女神のエネルギーが顕れてきているので
そういう物事の順番、システムが働いているのでしょう。
これまでの次元はリセットされ、
新しい高い次元で調和していく流れが大切です。
なにより高次元の大地とつながりながら。
 
今朝起きぬけにサンティアゴ巡礼道のレオンの町から
現地の友人からのその土地の写真が入ってきたことには
とても深い意味とつながりがあったように感じています
 
 
 

水無月

庭の土の中から
コガネムシが生まれ出でてきました*
 
まだうまく飛べないみたいで、
干していたシーツにつかまっては飛びつかまっては飛びを繰り返して
そのうちようやく屋根の上まで高く飛んでゆきました。
 
生まれたてのコガネムシが
もう夏が来たことを知らせてくれたように思いました。
 

 
『人は生まれてから三か月間の気候に合った体質に生育する』
というのをむかし本で読んだことがあります。
だとすれは7月下旬に生まれた私が
夏の暑さに滅法強いのも納得。

スペインで住んでいた村は、
イベリア半島で最も気温が上がる盆地地帯で
別名「アンダルシアのフライパン」と呼ばれる地域でした。
夏は40℃越えは当たり前で、
この地方の人たちは、命を守るために
「シエスタ」という、最も日差しの強い時間帯は外出しないという
地域的風習がいまもあります。
日本は熱中症を恐れますが、
こちらは心臓麻痺で無くなる方が夏にとても多い。
車の窓をうっかり開けてしまい熱風を吸い込んで心臓が止まり。。
というようなニュースが夏場ラジオからよく流れていました。
『そっと呼吸しないと肺がやけどする』と地元ではよく言われていましたが、
あながちウソとも言えません。
初めての夏をスペインで迎えた当時、
気温が46℃に上がった時、
私は朝から耳鳴りがして
陶工房のみんなに
『今日は朝から耳鳴りがするんだけど』
というと
『暑いときはみんなそうだよ~。』
と、そんなのあたりまえじゃん的に答えが返ってきました。
人間って気温がここまで上がると
耳鳴りがするものなんだ~、と
新たな人体機能を知ったのでした。
 
 
ちょっと話がそれますが、
日本の今年の6月はちゃんと朝と夜は涼しくて、
小学生時代の夏の始まりを思い出します。
これで毎日夕立が降るようになったら完璧な日本の夏!
ここ数十年、天気予報がよく当たるようになってから、
気候がおかしくなりました。
毎年の異常気象、猛暑とあおるやり方は、
昨今の伝染病のやりかたと同じ意図的な手法です。
私はマスコミが数値で出されることは信用していないので、
これには関連があるように感じています。
 
 
ともあれ
閑話休題。
 
6月のたのしみのひとつは「水無月」。
なんだか毎年買いそびれていて
今年は久しぶりに手に入りました。
地元の和菓子屋さんのてづくりです。
 
今日久しぶりに「水無月」をいただいていて
気付いたことがありました。
 
スペインの有名な夏のデザートに
arroz con lecheというのがあるのですが、
お米を甘い牛乳でとろとろに煮込んでから
それを容器に入れてよく冷やして、
シナモンパウダーをかけて頂きます。
各家庭でも作りますが(私もスペインの友人におそわってよく作りました)
スーパーでもヨーグルトのような感じでに本当に普通に売っています。
 
スペインに住み始めた当初は、
お米を甘い牛乳で煮るなんて~・・と敬遠していたのですが、
翌年の夏くらいからでしょうか、
これがなんともおいしく感じるようになって、
自分でもよく作るようになりました。
 
上記しましたように過酷なスペインの夏に、
食欲のないときでも
arroz con lecheなら
のどごしよく
胃腸に負担をかけずに
手っ取り早く栄養補給が出来るんです。
それもおいしく。
一種の食す点滴・栄養ドリンク剤
みたいなかんじでしょうか。
 
それで今日、
水無月をいただいて氣づいたんです。
 
6月といえば和菓子の水無月ですが、
これは初夏の湿度や暑さに
がんばっている体への応援補助のお菓子なんだ、と。
思えばスペインのarroz con lecheと原料も似てる。。
水無月はお米をお餅のようにして消化よくして
こちらは日本人的に違和感なく小豆を甘く煮たものをのせて。。
 
気候と食と体の連携システムは
国が違っても
みなもとで培われる事はきっと同じなんだなあと 
arroz con leche と水無月の類似をなんだか心親しく思うのでした。
 

地元の和菓子屋さんの水無月
美味しくいただきました*