泉源をたずねて 6

旅のお話しに戻ります。

おびん水の前での土の弦楽器ワタツミの奏でがおわりさいごに、
トヨタマヒメさんと友人に
茶海イノセントを手のひらに包んでいただきました。

中央が茶海イノセント。
トヨタマヒメさん撮影

こちらの茶海が生まれるとき、
ろくろでひいていて
そのふくよかなうつわの姿がふっくらと顕れたと同時に
『さあ、みんないらっしゃーーい』という
おおらかでゆたかな母なるエネルギーの柔和な包み込む声が聞こえました。
 
おびん水の前でトヨタマヒメさんがこの茶海を手に包まれて
『子宮みたい・・』とおっしゃいました。
 
言葉にできないほど眩しくあたたかな時空のふるえに
諏訪の森の奥の泉からの流れそのままに
(諏訪の山奥のオオヤマツミのお社でも
『ワタツミとヤマツミを合わせる』とのメッセージ受けて、
土の弦楽器ワタツミの奏でをさせていただいたのでした)
感謝の気持ちでいっぱいでおびん水を離れました。
 
このときの様子をワタツミの音色とともに
トヨタマヒメさんが綴っておられます。
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12831253420.html
 
 
溶岩に湧く泉。
コノハナサクヤヒメ
コノハナチルヒメ
イワナガヒメ
 
心からありがとうございました。
 

 

気が付けば泉の前で2時間も過ごしており、
まるで龍宮から戻った浦島太郎のように(カメムシ=亀も現れたし・・)
ぼうぜんと・・
そして我に返るとおなかがすいたので
トヨタマヒメさんが牧場のバイキングにお連れ下さって
遅めのランチとなりました。

牧場前からの富士山。

ランチタイムをまったりとすごし、
(新鮮なお野菜、搾りたての牛乳を使用したデザート、美味しくいただきました*)
次の場所へと移ります。
 

この角度からは山頂が尖った富士山!

そして次に訪れたのはこちら。
ヤマトタケル縁の場所です。

数ある浅間神社のなかで最古とされ、
もとの場所はここであると、
ヤマトタケルがこの場所に移したといわれています。

ヤマトタケルが駿河で賊に襲われ危機に陥った時、
コノハナサクヤヒメ(富士大神)に加護を求めたという逸話もあり
ヤマトタケルがコノハナサクヤヒメ(富士大神)を信仰していたという
言い伝えもあるようです。

私の見地からヤマトタケル像を描いてみようと思いますので、
軽く読み流していただければ。。と思います。
 
「ヤマトタケル」とは
大和統一の目的で日本各地に派遣された役職の名称だといわれます。
ですので、実際に複数人のヤマトタケルが存在したと思われます。
少なくとも、九州のヤマトタケルと関東のヤマトタケルは別人であるという
検証をされた方のお話をお聞きしました。
 
「タケル」とは、
古代の言葉では「整理して揃える・整える」という意味合いで使われ、
大和に、各地の国をしたがえ揃えさせてゆくことを司る役職名が
ヤマトタケルなのではないかと推測されます。
 
現地調査と考察による個人的な見解では、
必ずしも軍事的な征伐といった平定のしかたではなく、
いってしまえば地元民がヤマトタケルという役職についたことも
あったのではないか・・・と推測しています。
ヤマトタケルが自身の大切な宝物(剣や冠など)を
訪れた土地土地にひとつずつ分け与えているという史実もあり、
(これは調査された方がリアリティの高い事実としており)
これはかなり古事記から受けるヤマトタケルの印象とは異なりますから
どういうことなのだろうと思わされます。
 
以前おぼえがきにもかきましたが、
個人的にはもしかしたらヤマトタケルのなかには
日本人ではなく、
外から入ってきて役職についた者もいたのではないか、と
ご本尊がヤマトタケルであると開示された目黒不動尊に足を運んだときに
現地でそう察知するような出来事もありました。
 
確かホツマツタエに記載があったかと思いますが、
(ホツマツタエに記載されているヤマトタケルの項目は
非常に興味深いものばかりで、ついつい読み込んでしまいます)
ヤマトタケル自身、自分はスサノオの分御魂であるという自覚があり、
そういった意味でも、海人族であり海外から入ってきたスサノオの
その分御魂であるというとうことは・・
そこから辿ると、
目黒不動尊のヤマトタケル像と合わせてみても、
この線(ヤマトタケルと海洋民族)での答え合わせは、
私の中ではすでにできている感じです。
(詳しく書くと膨大になるのでここにはこれ以上書きませんが・・)

道の中央に鉾立石があります。
今回の旅で訪れたい場所に山宮浅間神社が候補に挙がったのは、
まずこの鉾立石が気になったからでした。
ヤマトタケルといえば、剣。
剣は矛の携帯版ですから。。
 
春と秋に、浅間大社からここまで
大きな矛を左肩に担いで
(必ず左肩で、変えてはいけないそうです)
往復するご神事があったそうです。
 
すいすい歩いたとしても徒歩で片道三時間半はかかると思われます。
かつては大社から山宮までの一丁ごとに鉾立石があり、
そこに矛を立てて置いて
休み休み山を登って山宮まで運んだようですが、
そのルートは今ではわからなくなってしまったとのこと。
 
鉾立石も浅間大社にひとつ、
ここ山宮浅間神社にふたつ、
合わせてみっつ残されているのみとなっているようです。
古代の遥拝所。
盛り土をしたようにこの場所が高くなっているのですが、
富士山噴火の溶岩がここで止まったので溶岩の厚みのぶん高くなっているとのこと、
トヨタマヒメさんからご説明いただきました。
溶岩の上に遥拝所が作られているということです。。
溶けて水になった岩が朱竜のように赤々と輝きながら山肌を流れる様子・・
生々しく想像してしまいました・・
畏怖をおぼえる神がかったこのエネルギーは
イワナガヒメのものかもしれません。
素朴な疑問ですが、案内版の説明の中にヤマトタケルのことが全く書かれてないのはなぜなんだろう・・
文中、ご神体が石となっていますが、遥拝所なので、
ここは富士山を遥拝していたのではないでしょうか。。それとも私が何か見落としているのかな。
 
周囲にカワラケが多数見つかっているところも興味深いです。
カワラケの線からも深堀り考察してみたい。。
 
言い伝えでは、村人が、神様を祭る場所なのに建物がないのは変だと
山の木を切って本殿を作るも、あらしで打ち壊れて、
また立て直しても同じく暴風で壊されることの繰り返し。
いつしかここでは、建物を建てると風の神様がたたるので
建物を建てないことにした、と言われているそうです。
風の神様と言えば・・タケミナカタノミコト。。
富士山の諏訪神社にも思うところあり
謎と興味が尽きません。
古代遥拝所からのこの日この時の富士山。
あそこからここまで溶岩が流れてきたとは・・
富士宮の浅間神社のご神紋はこちら
丸に棕櫚(しゅろ)。
天狗の団扇なのだと
トヨタマヒメさんが教えてくださいました。
なんだか天然の神紋のよう、と撮影。

 
ここで時間切れとなり、
トヨタマヒメさんに今回の旅の最後の訪問地までお連れいただきました。
 
つづく
 
*
泉源をたずねて その1
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17745
 
泉源をたずねて その2
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17778
 
泉源をたずねて その3 
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17861
 
泉源をたずねて その4
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17923
 
泉源をたずねて その5
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17943
 
*
トヨタマヒメ富士日記に綴られたものと
合わせてご覧になってみてください。
この地球に生まれて、
私は、人生って面白いなあとつくづく思います*
 
『双子座の満月に、またあの方が富士山にやって来た 1128』
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12830483201.html

『KONOHANAさんを探して… プロローグ (1128のこと)』
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12830981484.html

『日、月、星 を祀る場所』 KONOHANAさんを探して その一
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12830862731.html
 
『聖なる水は火のカラダを流れる』 KONOHANAさんを探して そのニ
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12831114119.html
 
『姫神さまに奏でるその音色とは』 KONOHANAさんを探して その三  
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12831253420.html
 
 

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