「盆本」~「発酵する民」

 

先日様々なタイミングの流れのなかで、
愛さんが『盆本』をとどけてくれました。
ありがとうございます*
 
ひさしぶりに愛さんと色々おしゃべりしていた中で
映画「発酵する民」の上映が今月27日までと聞いて
どうしてもこれは観たいと(どうしても盆本が欲しい、のと同じタイミング)
昨日、「発酵する民」観てきました。
鎌倉で上映された際は全日満席で見逃していたのでようやくです。
 
 
観てよかった。
ほんとうによかった。
 
 
愛さんが唄い手をつとめる
鎌倉盆踊り部を7年間に渡って撮影されたドキュメンタリー映画です。
自分の日常に登場する場所や人が
映画のスクリーンの中にも登場する
不思議な感じ・・・は表層的な感想として。
 
 
「盆本」もこの鎌倉盆踊り部が発行した本で、
内容としてこの映画とも濃く深くリンクするのですが
あくまで大地とともに明るく楽しく深く本質的という部分では変わり在りません。
 
二項対立の世界からまるっと脱して
その先の世界にいる人たち。
 
なにかに対して反応して、
デモしたり、
不買運動だとか
物々交換の世界を提唱することなんかもそうなのですが・・
 
デモは何かに対してのリアクションである以上、
不買運動も何かに対してのリアクションである以上
物々交換もある意味現在の金融システムに対してのリアクションである以上、
まるっとその先へ超えられない。
 
 
鎌倉盆部のはじまりのきっかけ、
そしてこの映画の撮影がスタートするきっかけは
2011年の3月11日の原発事故とのことでした。
 
水や食料が否応なく広範囲に汚染されて、
水を飲むこともままならず、
食べ物も足りなくなり、
東北から直接入ってくる情報では餓死されるかたも多く。。
ある意味
情報戦でありまだ選択の余地がある現在の伝染病ブームよりも
ずっと厳しい状況だったと、
その当時の関東の東側に住んでいた私は思っています。
(そしてこの原発問題はいまも終わっておりません)
 
地元の除染活動にも参加しましたが、
次々に関西より西へ避難される方も少なくはありませんでした。
路地野菜を食べて鼻血が止まらなくなった友人、
膠原病、癌、とその年から数年にかけて
よく知ってる人たちの中で7名もの方々がつぎつぎに血液の不調を起こしました。
あまりに連続的でしたから私は、
それら友人知人の症状は原発事故に関連していると思っています。
 
 
これまでの常識からするとあきらかに放射線量の高いがれきを
日本各地に運んで焼却するという案が通るというので
沢山の反対署名を地元でも集め、
それを各地から都庁に送り、
そこから国会に提出される予定でした。
けれどその署名を都庁に提出したら
当時の石原都知事が
『「この署名はすべて無効である」という私の確認書を一番上に乗せて
国会に提出します』とテレビのニュースで発言しているのを見て
愕然としました。
 
 
当時私が住んでいた江東区の地元で
子供たちが遊ぶ公園の除染ボランティアに参加しましたが、
公園の排水溝などの線量がとても高く、
またこれも当然ながら広範囲にわたるので
江東区の各公園の要所要所の線量を図り、
自分たちで水で洗い流した前と後での線量の変化
(デッキブラシを使って、水でごしごし洗うだけでも
かなり線量は低くなります)
のデータを詳細に取って、
江東区に『水で洗うだけでも区でやってほしい』とお願いしましたが
江東区長の返答は、
『江東区としては線量自体一切図るつもりはない』とのことでした。
オリンピックを視野に入れた外交イメージ戦略の一環として、、ということだったようです。
江東区はオリンピックの各種目の会場として予定されていましたから
線量が高いということを公表されてはまずいのでしょう。
 
 
そんな経験を経て、私が悟ったのは、
『ああ、こういうやり方では世界は変わらない』ということでした。
 
実際にやってみて分かった事でした。
 
ちょうどこの「発酵する民」のなかに、
国会議事堂前にものすごい数の人々が集結した
当時の原発反対デモ行進の様子が映し出されていましたが、
あの当時、
私もこれに誘われましたが、
上記したように私は、もうこのやり方では世界は変わらない、と思っていました。
 
 
映画「発酵する民」のなかで笛里子さんが、
だんだん原発デモから離れていった自分の気持ちを、
『何故かわからないけど・・』とおっしゃっていましたが
その答えはそのあとの彼女の言葉に在りました。
 
まるっと超えた向こうに行きたい、と。
 
幸せな世界を目指して、ではなく、
 
いまここが幸せな世界であればいい。
 
きっと鎌倉盆踊り部の人たちはそれに気づいてしまった。
 
盆踊りという大地に根差したものは衣食住総てに繋がり
 
ぐるぐると輪になって踊るうちに『光の柱が立っていた』。
 
顕幽こえたそのやり方を
 
人は本来知っていたはずです。
 
何がそれを忘れさせてしまったのか。
 
わすれてしまったそのことをこの映画を見た人はきっと思い出すに違いない。
 
と、見終わった後わたしは思いました。
 
幸せな感動の中、この映画をたくさんの人が観て
忘れてしまったことを憶(おも)いだす、と信じられました。
 
 
深い感謝とともに。
 
 

映画館から出て見上げた空。
 

そしてそのままその足でへっころ谷さんの
上から下までなにもかも発酵している発幸パフェ*
(映画の塩焚きの場面にへっころ谷の店主さん映ってましたね?)