うすゞのこと

古い伝承に『兎は満月を見て妊娠する』というものがあり
かつては陶磁器の染付などに好んで描かれた瑞兆のしるしです。
 
2023年、新しい年を迎えるにあたり
『すゞ鳴る』と来て、
このうすゞが降りてまいりましたので
このたび顕現させていただきました。
 
顕現に欠かせないものとして
諏訪の高山の森に湧く鉱泉の水で練り上げました土がありました。
この土の振動とともにうすゞは生まれてまいりました。
 
うすゞの顕現にあたり『超える』というワードを受け取っています。
 
本日20時より下記リンク先よりお分けできますよう調いましたので
ご縁ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。
本日20日20時よりご覧いただけます。
https://majoceramica.cart.fc2.com/ca23/218/p-r23-s/
 
 
年明け2023年元日からのお手元へのお届けになります。
 
どうぞよろしくお願いいたします。
 

 
 
 

鉢『生まれる まがたま』
~点滴堂企画展 

陶土 純金彩 スペイン式楽焼技法

 
あたらしい年を迎えたときに
凛と背すじを立てて
お茶を点て
調和。
ひとつの柱となる。
 
日本ではかみさまを
一柱、二柱・・と数えます。
それは
地上と天を結ぶエネルギーを視たときに
まさにそうだからだと
言葉と実際との同一に気づいたとき感動がありました。
 
 
今回点滴堂さんの企画展に1点だけ
お抹茶茶碗を出展させていただいています。
幼いころに蓮花の大地の上を転がるようにして慣れ親しんで遊んだ
愛知県赤津の土を胎土に、
これまた私のもうひとつの故郷スペインの技法にて焼き上げました。
祈りの場、モスクのタイルに使われる深いブルーに
鮮やかなお茶の緑が映えるすがたは
まきれもなくアースカラーの顕現と成るでしょう。
 
勾玉は誕生のエネルギー。
星を、世界を押すほどの圧倒的なエネルギーです。
一匹のウオはヒトの星の祖かもしれません。
そして舞台は深い海の底。
 

 
私は、ひとつのうつわ=ひとつの宇宙だと感じ取っています。
心穏やかに大地と繋がり うつわの舟に乗って
繊細に震えるひとつの宇宙へアクセスしてみてください。
 
 
◆点滴堂企画展『星降る夜のクリスマス・2022』
12月14日(水)~12月25日(日) 月・火定休
12:30~20:00 ※作家の在廊はありません
会場/点滴堂
http://tentekido.info
東京都武蔵野市中町1-10-3 2階 tel.090-6796-5281

 
 
 

名医

松山の自然歯科が東京に出張診療されるとのことで
すぐに申し込んだ。


 
これまでにもおぼえがきに何度か書かせてもらっている自然歯科。
8年前に松山で診ていただいて以来の久しぶりの診察です。
 
私は18歳のときに地元の歯医者で、
歯の根本からめちゃくちゃにされる心ない治療を受けて
それ以来30年以上その歯でずっと苦しんできました。
 
良いといわれる歯医者を渡り歩いて、
現行医療の歯医者に最後にかかったのは
銀座の、紹介された歯医者で
腕の良い歯科医ではありましたが
結局のところは現行医療。
料金も高くなく、腕もよい、学会にもよく出ていて
きちんと最新の治療を勉強されている、と界隈では評判の歯科医でしたが、
(それは今の私には真逆の価値観とわかりますが)
当時は一般的なことと思い込んでいましたので、
その歯医者にも長年通っておりました。
そこをやめたのは、その歯医者の虫歯治療の最終目的が
インプラントだと聞かされたからです。
 
安い料金でちびちびと削り、かぶせものをして・・を繰り返す。
それも最終的に大きな収入がまっているからこそ。
そういった道筋が見えてしまいました。
ちびちび削られたら、いつしか歯がなくなってしまうではないか、という
私の懸念は当然至極で、もうその ”一般的な” 道筋には乗りたくない、と
必死で別の歯医者を探しました。 
そうして見つけたのが松山の自然歯科でした。
8年前のことです。
 
藁をもすがる思いで、メールで事情をお話して予約を取り、
松山へ飛行機で飛び、一泊して、診ていただいたところ、
『遠くからきていただきましたけれど・・治すところは何もありません。
かみ合わせもよいです。』と言われました。
『現状を維持することを大切に。』
『歯を食いしばるような生き方はやめる。』
『柔らかいものを食べる、歯に詰まったものはとる。』
『道後温泉にでも入って帰ってくださいね*』と。
そして最後に
『歯医者が言うのもへんかもしれませんが、
あまり歯医者に行かないように。あまり歯を磨き過ぎないように。』
死にそうな顔で訪れた私でしたが、
帰りは笑顔で診察室を出ました。
期待していたとうりの本質を診る歯医者さんでしたが、
現状維持を大切に・治療せず・とは思いがけなくて、なんとも嬉しかった。
物理的な治療はなくとも、心が透き通るようでした。
それを治療だったといえるのかもしれません。
  
藁をもすがる思いで当時の私がみつけた自然歯科のホームページです。
http://www.sizensika.sakura.ne.jp
診療を受ける前にこのホームページを精読して、
ここなら!と思えた直感は見事にあたりました。
名医だと思いました。
実際、
私の診察の順番の前に治療を受けていた患者さんは、
『アメリカにもこういう歯科医はいない』と、
わざわざボストンから来たとおっしゃっていました。
 
自然歯科が名医なのは、
根本治療に視点を置いて診たとき歯医者ができる限界を知っている、
というところです。
歯は当然その歯の持ち主のもの。
虫歯にしてもかみ合わせにしても、
歯の持ち主の生活習慣のなかで育てられるもの。
その自然の動きを最低限妨げないような治療・・それは生き方指南。
私が学んだ生き方そのものに通じる気功と同じです。
 
30年以上歯のことでずっと苦しんできた私が、
そのときに診て頂いて以来8年間もまったく歯医者にかからないなんて青天の霹靂のことでした。
それが
少し気になるところが出てきた矢先の、
東京への出張診療とのことでしたので
すぐさま申し込みさせていただきました。
 
口内の状況は少しずつ8年かけて変わってきており、
以前診ていただいたときのカルテと照らし合わせて現状を診て頂くと、
強くかむ場所が8年前とは真逆になっている部分があったり、
根の状況も変わっていたり、
とても繊細に診ていただいての治療でした。
極力ケミカルな薬品を使用せず、
使うものはなるべく体に害のないもので、そういった配慮も信頼できます。
 
今回の終わったときには、噛むってこういうことだった!という
すっかり変わってしまっていた治療前までの自分の口内との違いが明らかでした。
近年は奥歯ががちがち当たるので、ますます奥歯が弱っていましたが、
治療後は、ほほえむときにつかう口角を上げる筋肉を使っているのも新鮮です。
顔が変わるかも、とも思いました。
 
一番問題がある奥の歯は、
すでに12年前から、歯医者で『これは普通は抜く歯ですよ』と
言われてきたものを死守してきた歯で、
この歯を抜いてはいけない、という直感的なものでした。
8年前の自然歯科ではこの歯についてはなにもいわれませんでしたし、
今回は、
『現時点で支えとなっていることを確認させていただきました。
(抜くとバランスが変わります)』とアドバイスされました。
『ここまで頑張ってくれている歯ですから、感謝ですね。』とも言って下さり
おおげさなようですが涙が出そうでした。
言葉にするのが難しいのですが、この歯がなくなってはいけない、という
私の直感でしかなかったことが、今回診ていただいて名医の保証付きとなりました。
 
『できることをお手伝いさせていただきました』とおっしゃる自然歯科を後にして、
翌日から調子が良い。
体に流れるエネルギーの流れが変わりました。
いや、治療中からエネルギーがどんどん変わっていくのがわかりました。
体の右側がむくみやすくなっていたのが、今は流れているのが分かります。
 
自分の口の中で何が起こっているのか、
まずは自分がきちんと今の姿とお付き合いし、愛して大切にして。
外からの手が加わる治療はそのあとでよい。
そんな生き方のターンが心地よい。
何にも脅かされないし不安にもさせられない。
なぜなら自分の歯のことを自分が一番よく知っているから。
 
どんなに悪く見えても弱っていても、
ひとつの歯がとてもかわいいと思えることがまず大事。
そして本心に訊かずに、一般的だから、治療費が安いから、家から近いから、
そんなところに引き渡しては決してなりません。
私は、前述した一般的な銀座の歯医者の治療プランはどうしても受け入れられなくなりましたが、
自然歯科医の治療プランが、気持ちが、とても好きなのでそう思ったことを素直に書いています。
30年以上の苦しみがこういう気持ちを育ててくれた。わからせてくれた。
それは歯のことのみならず人生すべてにおいての宝物と成っています。
私の弱くかわいそうだった歯にいまは深く感謝しています。
 
そして今回も1回の治療で終わりました。

ありがとうございました。
 
 

うみとやまをつなぎ


 
弟橘姫のみたまが永遠の復活を遂げ
めぐりめぐりていまここで
初めて出会ったときのあの瞬間がよみがえる
 
ふたり 舞い
ふたり うたい
 
地上の楽園で
 

 
10月21日から訪れていた諏訪と
10月31日に訪れた江ノ島の、
特別な祈りの顕れのそれぞれの場所のふたつの泉から
お水を汲ませていただきました。
 
その二つのお水を昨日、
諏訪と江の島にご縁あるかたが
合わせて王様の古墳にお持ちくださいました。
 
11月8日のハレの日。
合わせたそのお水を古墳の王様にお届けしたのでした。
 
 
王様と弟橘姫に
ちいさなお食事をご用意させていただき
笛を吹いて
お祝いさせていただきました。
 
 
その瞬間大地から湧きあがるようにつたわる
わくわくとした振動は、
そのまま私のからだの背骨に入り
仙骨、尾てい骨に響き渡り
鈴を振るようにいまも祝いの振動を続けています。
 
昨日、特別な満ちる月の日の出来事、
お写真にてご縁ある方へご案内、おとどけいたします。
 

 

 

  

 

 

 

 

 

 
今回生まれなおしや復活にちなみ、
いつもとはことなる自分にとっての初めての道を通ってまいりました。
 

 

大好きな楠のおねえさまがた。

 

 

枯れ木の周りに沢山のひこばえが。

 

 

王様、来たよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

野生の桑の海原のよう。

 

 

 

 

再びめぐり
初めて出会ったあの瞬間のように舞い・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
そしてこの日の夜、
満月の皆既月食を迎えたのでした。
 
きのう、家の屋根の上から望んだ月食の様子は
ひとつまえのおぼえがきをごらんください。
 

 
月がすべて影ったとき
まるで反転するかのように満天の星星が顕れました。
 
心ふるえる一日でした。
 
  
 

変容

いまはあらゆる面での過渡期で、
私もそうですが
私の周りの方々も激動の時代を生きて活きておられます。
それでも同じ先を見ている方々とは
益々ご縁が深まり
最も重要なことは
言葉でお伝えせずとも
すべてが瞬時に伝わるような
レベルアップがすでに更新済みとなっていて。
懐かしくも新しい世界が
すでにあちらこちらに顕現してきて
そういった場にご縁深い人々がひきよせられ
楽園を構築しているのを
ことあるごとに目の当たりにします。
それが頻繁になってきました。
 

 
昨晩は、
中村加奈子さんと宇佐見仁さんが主宰される
香風舎の特別な企画『煌 星 音 軀 命』に伺っておりました。
11月3日から8日に渡る毎日毎日がとても興味深い内容で、
昨日会場でいただいたフライヤーに在りましたことば
「人の存在は宇宙そのもの
わたしたちの中にある、
星々のひかり、
響きとであう六日間」
は、私にとってまさにこころに響く文言でした。
 
昨日は、豊英秋先生による(この日初めてお会いしたのですが
親しみこめて先生と呼ばせていただきますが)
こえとうたのワークがあり、
それはそれは貴重な体験をさせていただきました。
 
おそわりながら皆でうたいましたのは「東遊」。
今ではあまりうたわれることのない古代歌謡だそうで
その言葉あらわれ一つ一つ。
おと(こえ)の出し方。
手で舞うように動くひれのゆらめき
顔の明るみ
うたはすべてであり
そのすべては地上に楽園のエネルギーを顕現することを
体験してしまいました。
 
うた(おと・声)にされることばには、
研究し尽くしても意味がない(意味不明)とされる
歌詞のようなものがあって、
いまでも学者さんの中で喧々諤々されるそうなのですが、
これら意味不明のおと(歌詞)は、
じっさいにおと(声)にだしてうたってみると、
そして豊先生のなんともしなやかであたたかくそれでいて
すっと一本の光のような筋の通ったお伝えにより、
意味のないことばなのではなく
これは、宇宙の言葉ではないか、と、
心が反応するのが分かりました。
いまでいうライトランゲージというものですが、
これは本当に、
昔の人こそ普通に感知し発音しうたっていたのでしょう。
昨日の体感からわたしはそう考えるのが普通に思えました。
 
まずはおりてきたそのままの音ありきで、
それをだいぶん後の時代になって
文字というものができたときに、
表記する都合上、
たとえば、エとオの間のような音などは「エ」と、
乱暴に、あるいはしかたなく、まとめられてしまい、
本来根源から来ていた音は失われてしまったのでしょう。
 
また、意味が付随されている音(歌詞)もじゅうぶんにありますが、
それらをうたうおとひとつひとつに
感情を乗せずに、ただたんたんと
エネルギーの振動だけになってあらわれるようなうたいかた、
それはまるで、
風そのものだったり
波そのもののうたのように感じられました。
 
特に今のような陶芸の顕現をするようになってから、
日常の中でふときく音楽、
メロディーや声による感情の表現やメッセ-ジ性のある歌詞などの
人の意思が働いている歌や音楽が、聴けなくなってしまいました。
けれどそのなかで唯一雅楽だけは
日常のなかでも聴くことができる理由は
まさにここにあると思います。
 
たいせつなおとやうたひとつひとつが
豊英秋先生の純粋な感性で真っ直ぐよみがえっていくのを
昨日は幸せなことに目の当たりにした思いでした。
 
私はスペイン在住時、
カトリック教会の聖歌隊で歌っていたことがあるのですが
そのうたは、音律や教会の建築構造で
地上から天にのぼる仕組みになっているのですが、
きのうの日本古来のうたは
地上そのものがそのまま天となる響きを持っていました。
これは今の時代とても大切なことだと感じました。
 
それから「ととのう」って東の国の方言なのですね。
ととのう、ということだまは、
私もよくつかわせていただくのですが
まさかこちらの方言だとは知らずにいました。
やはり土地のことばには
根源に繋がる力があること(それこそことだま)を思うのでした。
 
東遊。
うた遊び。
昨日のあの響きが背骨に染み入っていて
このうえなく心地よい地上の楽園の振動をつづけています。
ほんとうに豊かな遊びがむかしはあったのだなあと思います。
わたしがうたいたいうたは、
わたしがいつもやまやうみでうたううたは
きっと昨日の体感があったから、
よりいっそう変わっていく予感がします。
 
ひとりひとりが中心となり
水紋のように広がり重なる振動の世界。 
昨日一日、あの場にいられたこと、
感謝の気持ちでいっぱいです。
 

一部はうたのお稽古。
二部は平安装束による東遊のうたと演奏という贅沢な構成でした。

 
 
香風舎『煌』11月8日まで
会場に展示されているエネルギー世界に満ちた
石塚雅子さんの絵画も
この宇宙船のような劇場空間の住人・・必見です。
https://www.kofusha.jp/pages/661187/page_201609281751

フライヤーもとても素敵です*
上記リンク先で詳細ご覧いただけます。11日8日まで。