巡りて巡る

今月1日に都内の龍脈を通す水のお繋ぎをさせて頂いたのですが
その巡りの始まりの湯島天神で、
そういえばわたしにしては珍しくおみくじを引いたのでした。
 

 

 

 

 
おみくじにはこんなふうに書かれてありました。
 
*
 
影がかがみか 鏡がかげか、
 
拝む心が神ごころ
 
拝む姿が、拝む心が、神の姿、神の心である。
 
神様の清(すが)しく正しい誠の御心と、
 
神様から授かりし眞直ぐで美しい自分の心が、
 
拝むことによってぴたりと一つに照らし合わされて居るならば、
 
神様と自分は常に一体であり
 
邪念の入り込む一分の隙も憂いも無い。
 
安心して日々を明るくすこやかに過ごすことが出来る。
 
 

 
 
 

水の繋ぎ 後半

都内の水脈を調べあげ
分断された龍脈をおつなぎする龍のカミーノ。。
ご縁からか白竜がずっとついてきていました。
 
直感を大切にすること改めて知らされ、
分かりやすいパズルのピースをみせられ、
改めてまだまだ可視世界にとらわれすぎたバランスの悪さがあることを
自らの内にも感じる道程でもありました。
 

 
もはやとっぷりと日も暮れて。
 
この日、四番目に水をおつなぎしました場では
水の祓い、水の清めがあり。
 
そして初めから気になっていた
拝殿のずっと裏手近くの乙女稲荷。
 
果たして
 
水の女神がおられました。
 

 

 

シリウスが。。

 

 

水音清々しい乙女稲荷

 
 

 
最後に今回の龍のカミーノのきっかけともなる
将門さんへご挨拶をしたくて、神田明神へ。
 

 
神田明神さんでは何かの祝いの日だったようで
華やかなライトアップと賑わいがあり、
なんだか最後にご褒美いただいたように感じてしまいました。
 

 
神田明神さん裏手の神田川。
ちいさな桜の咲く素敵な空間があり、
そこで最後の水のお繋ぎ致しました。

 

 
よく知った都内でしたが、
このように動かされるまま視て歩いたことは初めてでした。
 
すべてを終えて帰りに秋葉原の駅へ向かう途中
何故か私の感情とは関係なく
左目から涙がつぎつぎに流れておりました。
道真さんかな?と思いました。
 
道真さんをはじめさまざまな
このカミーノに同行してくださったエネルギーを
感謝とともに胸いっぱいに感じました。。
 

 
 
武蔵の森に住む友人がいつも白竜とおつなぎしている神田川の源泉
私のいまの地元のヤマトタケルの湧水と、相模湾の海水
それら合わせて
この旅でおつなぎさせていただきました。
必要だと思いました。
4月1日がぎりぎりだとも来ておりましたので何とか間に合ったようです。
 
言葉にするとあまりにずれてしまいそうで、
今回の旅のことはこんな風に
おぼえがきに書き残させていただきますね。
 
前・後編ともに
言葉よりも振動でお伝えできていることが多くあります。
直感と振動にゆだねてお受け取りいただけましたらと思います。
 
 
 
*おまけ*

亀戸天神でいただきました。ちゃんとゆかりの絵柄になっています*

 
 
また終えたばかりの巡礼です。
深く心に沈んでゆきましたら
これから必要な時に顕れてくるものがあると思います。
 
その再会を楽しみに。。
 
平将門さんも
菅原道真さんも
日本が本質でよくなることを願ってここにとどまっています。
今回の巡礼がそのよき顕現の一端となればと願います。
 
 
 

水の繋ぎ 前半

さまざまな符号が集約し、
もう無視することはできませんでした。
都内の分断された龍脈をおつなぎしました。
 
可視不可視ともに
たくさんのサポートをいただきました。
  
深く深く感謝いたします。
 
 

 

まさか自分が行うとは。。
けれどこんなにもパズルのピースがそろってしまっては
もう行動するしかないと思いました。
 
今回の水の御繋ぎ。
分断された龍脈の御繋ぎ。
湯島天神から始まりました。

 

拝殿真裏に昇る太陽に遙拝し不忍池へ。
(上記掲載の動画の中の最初の場になります)
 

 
亀戸天神につなぎます。(動画2番目の場面)

 

 
やはり東京の上野、浅草、墨田川は・・自分のテリトリーと感じます。
なにしろ50年近くも住んでいましたから。。

 
そして本木氷川神社へおつなぎします。
その途中で下調べで気になっていた本木熊野神社をみつけて・・
お水をおつなぎさせていただきました。
都内のこの土地の地名にまで成った熊野からの神様。
合理性や利便性によってかつて大事にされていたものが壊されつつあるなか、
ぎりぎり保たれているようなお社の姿。

 

 

  
本木氷川神社。(動画の三番目の場面です)

 

 

 
拝殿の真裏には公園があり美しい桜が。
 

 

 

 

 

 

 
荒川へ。(動画の最後の場面は荒川です。)

 
荒川から墨田川へ。

 

墨田川

 
 
後半へつづきます***
 
 

誕生の祝いの日

昨日は巫女舞の方恵里さんとの
『222イザナミ宇宙』が素晴らしい形で展開されました。
 
ご参加の皆さまには
本当にありがとうございました。
また遠隔でネットからお受け取りくださった方も
思っていた以上にいらしてくださって
このすばらしい共同創造を共有できましたこと、
本当にうれしい特別な日となりました。
 
大地との相思相愛の深い安心感とともに
すべておわったときに、
誕生の祝いのうたが、ことばが
湧きあがりました。。
 

縄文人はこのように土を向かい
かたちを顕し
そしてその顕れたすがたを
うたにかえて祝っていたこと。
 

様々な宇宙存在たちもお互いにサポートを重ねてくださって、
このアチューメントののちに参拝させていただいた
氷川神社の神々も祝福くださって
ほんとうになんという日だったのでしょう。。
 
心の奥に沈めて熟成が始まります。
また言葉にできたとき、
この忘れられない222のイザナミ宇宙のことを書き記せると思います。
 
昨日のこと、恵里さんも写真とともに書き残してくださっています。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=10220867780312569&id=1481315037&m_entstream_source=timeline&ref=bookmarks&notif_t=feedback_reaction_generic
 
 
すべてに心からの感謝を。
カミーノありがとう*
 
 
 

「アルケミストの夜」

昨晩シリウスの郷で
とても不思議な体感があったので、
言葉にできることと
できないことがありますが、メモ。
 
こちらの公演をみに行きました。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=4905969722864909&id=100003557887244
 
*
*
 
みう とは肉体の死であり根源的な意味として魂の移行をあらわす言霊。
その名を持つ井上ミウさんの即興の体顕。
 
 
導入は
地上に降りたがった天使あるいは天女。
頭部に高次の音が鳴り響く体感。
 

 
ヤマトタケルは微笑んでいたのだろうか。
 
草薙の剣で燃える草原を薙ぎ払うとき。
 
この先どうなるのかという未来の心配などではなく
目の前の今に剣とともに舞う。
 
燃える草原を祓い舞う仕草の連鎖は恍惚として
そのときヤマトタケルは魂からの微笑みをうかべていたのかもしれない。
 
 
真菰の二房を手に取り舞うみうさんをみていたら
そのようなヤマトタケルの魂に導かれていました。
 

 
やがて天女は羽衣を脱いで地上に降り立つ。
 
衣をまとう、布の重要性。
布とは大いなる根源宇宙のエネルギーが宿るもの。
(神社のような場でなぜカミに和妙や荒妙とよばれる
絹や麻が納められるのかという話にも通じます)
穢れがあれば宿ることができない。 
 
地上の穢れ、忌みごと。
苦しみ悲しみすべてはたましいの滋養となる。
 
『おまえはそれを経験したくてここ(地上)へきたんだろう?』
男神の声が聞こえる。
 
ちいさな絶え絶えの息遣いがやがてひとつのうたとなる。
 
ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」第2楽章。
天女絶え間の息の下よりこのメロディーが紡ぎだされたとき
理由もなく何故か
あ、宮沢賢治だ、と思った。
 

 
地上の穢れや忌みごとは、
地上で生きていれば絶対に避けては通れないことばかりが指定されていると、
古神道を学んでいた折にそのことに気づいたとき、
忌み事と指定して最も重要なことがそこに隠されているのではないか、
と氣づきました。
確信的なことに気付かれないよう、
そこに近づかないようにされているのではないか、と。
平田篤胤系統の古神道では宇宙にふれることはタブーとされていた。
いまでこそ、何が、なぜ、タブーとされていたのかその理由もある程度はよく分かる。
ある目的をもって封印したものが、
直感で宇宙に通じられて開かれてしまうと様々都合が悪かったのだから。
 
忌み穢れによって磨き抜かれた魂は
地上でしか味わえないアトラクション(あえてこう書きます)を
味わい尽くしたとき終わりを告げる。
 
遠き山に日は落ちて・・
 
 
ミウさんの口からこぼれ出したとぎれとぎれの言霊は
やはり・・・賢治の「春と修羅」でした。
 
『わたくしといふ現象は
 
仮定された有機交流電燈の
 
ひとつの青い照明です
 
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
 
風景やみんなといつしよに
 
せはしくせはしく明滅しながら
 
いかにもたしかにともりつづける
 
因果交流電燈の
 
ひとつの青い照明です
 
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)』
 
 
天女が衣を失い、地上の忌み穢れを味わい尽くしている間
私の体感はおなかの大地のエネルギーに集中していました。
 
 
この物語は
ここでこの重い重力のまま終わってしまうのだろうか?
ミウさんはどのようにされるのだろうか?
 
私の頭でふとそんな思考が働きました。
 

 
人間は人間界より下に
もっとひどい界があると信じ込まされていました。
しかし「地獄」というものは、
天からみて下にある界=地国のことなのでした。
地国とは魂のピラミッドシステムの底辺にある人間界のことでした。
(このへんは言語化するのもとても難しいのですが)
 
古神道を学んでいた時、
人間界に干渉してくるあまりよろしくないが霊力の強いものたちが、
人間よりも上の界にいると学んで、なんだか不思議に感じていました。
人間界が一番下の階層=ここが地獄 だというのならそれもよくわかります。
20年ちかく学んできた古神道に感じていた矛盾点の辻褄もそれなら合います。
 

 
やがて天女は目から清らかな水をながし、
発酵されつくし
すべて放心したとき
そこには浄化されたのちの空間しかありませんでした。
 
目が清らになった天女は
かつて渦まくように脱ぎ捨てた衣を見つけ
ゆうるりとそれをふたたび身にまとう。
その動作の一つ一つ。
 
もとの天へと還るが
還るのではない。
 
同じ場所へ還るのだが、
同じ場所ではない。
 
なぜならわたしの魂は昔とは違っているから。
磨き抜かれたわたしの魂を
天の母なる根源へお土産に持ち帰られるふかい輝きがあるから。
 

 
 
終演後、おもわずミウさんに駆け寄って
そのとき心に沸き上がったことをお伝えしました。。
それをこうしてまとめていま改めて書き直してみています。
 
ミウさんはカーテンコールで『即興です』とおっしゃいました。
即興、すべておまかせにできるかた。
だからこそ意図せず、こうしてシリウスの郷に
かつての記憶を失いながらも遠い星々からたくさんの
魂たちが集まってきていました。。魂が懐かしさに震えています。
ありがとうございました。。
 
 
古来の音階にもどし調整された楽器で
この空間に降りてきていたものと共振共鳴されていた
美夕紀さん
彩音さん
ほんとうにありがとうございます。
 

 
家に戻る道々ふと、
これはかぐや姫の物語そのものではないかと思いました。
 
かぐや姫、乙(音)姫、織姫、瀬織津姫。
 
もう何年も前のことになりますが
この4人の女神が
私の住む地元の海岸に顕れたときのことを思い出しました。
 
そしてその時に生まれた絵皿が
おとといの深夜、思えばちょうど満月の日にアップしました
「セオリツヒメ/瀬織津姫」の絵皿になります。
http://majo.moo.jp/mov/sirena/12_seorituhime.mp4
 
 
総てすべてが綿密に計算されつくして織り成された錦の織物の物語。
それがいったいどういうものだったのか、
はっきりといま顕れ始めています。
 
総てすべてつながっていました。