「アルケミストの夜」

昨晩シリウスの郷で
とても不思議な体感があったので、
言葉にできることと
できないことがありますが、メモ。
 
こちらの公演をみに行きました。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=4905969722864909&id=100003557887244
 
*
*
 
みう とは肉体の死であり根源的な意味として魂の移行をあらわす言霊。
その名を持つ井上ミウさんの即興の体顕。
 
 
導入は
地上に降りたがった天使あるいは天女。
頭部に高次の音が鳴り響く体感。
 

 
ヤマトタケルは微笑んでいたのだろうか。
 
草薙の剣で燃える草原を薙ぎ払うとき。
 
この先どうなるのかという未来の心配などではなく
目の前の今に剣とともに舞う。
 
燃える草原を祓い舞う仕草の連鎖は恍惚として
そのときヤマトタケルは魂からの微笑みをうかべていたのかもしれない。
 
 
真菰の二房を手に取り舞うみうさんをみていたら
そのようなヤマトタケルの魂に導かれていました。
 

 
やがて天女は羽衣を脱いで地上に降り立つ。
 
衣をまとう、布の重要性。
布とは大いなる根源宇宙のエネルギーが宿るもの。
(神社のような場でなぜカミに和妙や荒妙とよばれる
絹や麻が納められるのかという話にも通じます)
穢れがあれば宿ることができない。 
 
地上の穢れ、忌みごと。
苦しみ悲しみすべてはたましいの滋養となる。
 
『おまえはそれを経験したくてここ(地上)へきたんだろう?』
男神の声が聞こえる。
 
ちいさな絶え絶えの息遣いがやがてひとつのうたとなる。
 
ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」第2楽章。
天女絶え間の息の下よりこのメロディーが紡ぎだされたとき
理由もなく何故か
あ、宮沢賢治だ、と思った。
 

 
地上の穢れや忌みごとは、
地上で生きていれば絶対に避けては通れないことばかりが指定されていると、
古神道を学んでいた折にそのことに気づいたとき、
忌み事と指定して最も重要なことがそこに隠されているのではないか、
と氣づきました。
確信的なことに気付かれないよう、
そこに近づかないようにされているのではないか、と。
平田篤胤系統の古神道では宇宙にふれることはタブーとされていた。
いまでこそ、何が、なぜ、タブーとされていたのかその理由もある程度はよく分かる。
ある目的をもって封印したものが、
直感で宇宙に通じられて開かれてしまうと様々都合が悪かったのだから。
 
忌み穢れによって磨き抜かれた魂は
地上でしか味わえないアトラクション(あえてこう書きます)を
味わい尽くしたとき終わりを告げる。
 
遠き山に日は落ちて・・
 
 
ミウさんの口からこぼれ出したとぎれとぎれの言霊は
やはり・・・賢治の「春と修羅」でした。
 
『わたくしといふ現象は
 
仮定された有機交流電燈の
 
ひとつの青い照明です
 
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
 
風景やみんなといつしよに
 
せはしくせはしく明滅しながら
 
いかにもたしかにともりつづける
 
因果交流電燈の
 
ひとつの青い照明です
 
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)』
 
 
天女が衣を失い、地上の忌み穢れを味わい尽くしている間
私の体感はおなかの大地のエネルギーに集中していました。
 
 
この物語は
ここでこの重い重力のまま終わってしまうのだろうか?
ミウさんはどのようにされるのだろうか?
 
私の頭でふとそんな思考が働きました。
 

 
人間は人間界より下に
もっとひどい界があると信じ込まされていました。
しかし「地獄」というものは、
天からみて下にある界=地国のことなのでした。
地国とは魂のピラミッドシステムの底辺にある人間界のことでした。
(このへんは言語化するのもとても難しいのですが)
 
古神道を学んでいた時、
人間界に干渉してくるあまりよろしくないが霊力の強いものたちが、
人間よりも上の界にいると学んで、なんだか不思議に感じていました。
人間界が一番下の階層=ここが地獄 だというのならそれもよくわかります。
20年ちかく学んできた古神道に感じていた矛盾点の辻褄もそれなら合います。
 

 
やがて天女は目から清らかな水をながし、
発酵されつくし
すべて放心したとき
そこには浄化されたのちの空間しかありませんでした。
 
目が清らになった天女は
かつて渦まくように脱ぎ捨てた衣を見つけ
ゆうるりとそれをふたたび身にまとう。
その動作の一つ一つ。
 
もとの天へと還るが
還るのではない。
 
同じ場所へ還るのだが、
同じ場所ではない。
 
なぜならわたしの魂は昔とは違っているから。
磨き抜かれたわたしの魂を
天の母なる根源へお土産に持ち帰られるふかい輝きがあるから。
 

 
 
終演後、おもわずミウさんに駆け寄って
そのとき心に沸き上がったことをお伝えしました。。
それをこうしてまとめていま改めて書き直してみています。
 
ミウさんはカーテンコールで『即興です』とおっしゃいました。
即興、すべておまかせにできるかた。
だからこそ意図せず、こうしてシリウスの郷に
かつての記憶を失いながらも遠い星々からたくさんの
魂たちが集まってきていました。。魂が懐かしさに震えています。
ありがとうございました。。
 
 
古来の音階にもどし調整された楽器で
この空間に降りてきていたものと共振共鳴されていた
美夕紀さん
彩音さん
ほんとうにありがとうございます。
 

 
家に戻る道々ふと、
これはかぐや姫の物語そのものではないかと思いました。
 
かぐや姫、乙(音)姫、織姫、瀬織津姫。
 
もう何年も前のことになりますが
この4人の女神が
私の住む地元の海岸に顕れたときのことを思い出しました。
 
そしてその時に生まれた絵皿が
おとといの深夜、思えばちょうど満月の日にアップしました
「セオリツヒメ/瀬織津姫」の絵皿になります。
http://majo.moo.jp/mov/sirena/12_seorituhime.mp4
 
 
総てすべてが綿密に計算されつくして織り成された錦の織物の物語。
それがいったいどういうものだったのか、
はっきりといま顕れ始めています。
 
総てすべてつながっていました。
 
 
 

222 カミニートのこと

長いこと待つ人生だったなあと思います。
 
待っていた長い月日を生きていた間は
そのことにほとんど気づいていない私でしたが
本当に大切なことはいつも
切れるか切れないかのような細い糸でつながっています。
本質からの声はちいさなささやきで聞こえてきます。
 
いつからか私の創作表現の変化に伴って、
『「誕生」と「幸せな幼年時代」があなたの担当』だと
言葉ではない領域から知らされました。
  

 
最初の心当たりはいつでしょうか。
 
サンティアゴの巡礼道を歩いた時、
たった一人で360度見渡す限りの荒野を歩いたあの日。
8月の炎天下、その日の気温は40℃をゆうに越え、
次にいつ水が飲めるのかもわからない状態で
何故かふっと心に浮かんだ
『私は地球の子なんだ』という根源的な理解。
 
そう理解した瞬間、
それまでの人生で感じ得たことのない
まったく質の異なる絶対的な至上の幸福に包まれました。
 
自分は地球の子だ
この大地の子なんだ
 
そんな当たり前の事を
突然にして目が覚めるように深く魂で理解しました。
たったひとり、炎天下の中、木影も水もないスペインの荒野の中で。
 
それはカミーノが私の内宇宙に言葉ではない領域から
語り掛けてきてそう氣づかせたのでした。
 
(サンティアゴ巡礼道のことを
巡礼者たちは親しみを込めてカミーノと呼びます)
 

 
カミーノを歩くということは人生の縮図そのものでした。
巡礼者が毎日考えることは、食料と水のことと眠る場所の事。
とてもシンプルです。
カミーノを知っている人は『カミーノは生きている』といいます。 
道が生きているなんておかしな話だという人もいますが、
実際に生きています。
毎日考えていたことをある日突然にして超越してしまった瞬間、
カミーノを歩くことはお母さんのおなかの中にいることだと悟りました。
巡礼者は胎児であり、これから新しい人生を歩むために生まれなおす。
カミーノの根源的な愛につつまれた安心のおなかの中で。
だから何があっても大丈夫。
 
巡礼では毎日毎日カミーノの大地を歩き続けました。
カミーノの大地の愛によってたくさんのことに氣づかされました。
もはやそれを不思議とはなにも思わなくなりました。
カミーノの時空間ではただただ心がぽかぽかとしていました。


 
サンティアゴの巡礼道を歩いた当時、
私は南スペインの陶芸の窯元のちいさな村に住んでいました。
すでにその村に住むようになってから
偶然にしては不思議なことが次々に起こり始めていました。
不可視のものが見えるようになったり、心に浮かべるだけで必要なものが偶然のようにして手に入る、といったような。
 
それがサンティアゴの巡礼道から戻ると
さらにシンプルで直感的になり、より冴えるようになりました。
ひと呼吸するごとにどんどん幸せになってゆく、といったような。
 
いまもスペインの大地、カミーノの大地は私の一部となっています。
根源的な信頼のもと、心に浮かべればすぐに来てくれます。
 

 


 
今回2月22日に巫女舞のかた小路恵里さんと
『イザナミ宇宙 アチューメント』を開催することが決まったとき、
懐かしくも親しいカミーノの壮大ですこやかなエネルギーがやってきました。
 
母なる大地のおなかの中にいるような根源に届く安心感につつまれて
今回カミニートをお伝えできるのは、カミーノが来てくれているからです。
 
カミニートcaminito とは
カミーノcaminoにたいして深い愛情を示すときの言い方です。
カミーノがスペイン語で「道」という意味であり
また「人生」という意味であるのと同じく、
カミニートとは「愛すべき道」であり「愛すべき人生」という意味合いになります。
 
カミーノの根源的なサポートの中、
大地の女神の体の一部であるこの地上からお預かりした土にふれて、
ちいさなひとつの人生のようなエネルギーで辿る旅路。
それがカミニートのアチューメントになります。
 
長いこと待ちましたが、
大きな時代の変わり目となり
ようやくそれをお伝えできる時がやってきました。
 

 
恵里さんとともに開かれますアチューメントのテーマは子宮でつながる感覚。
土にふれることでもそのことがよくわかります。 
私には子宮のエネルギーは時空を超える方舟のようなものに感じられます。
 
恵里さんが調整してくださいましたお米のエネルギーを放つ
エッセンスを合わせた土をご用意してお待ちしています。
 
お米のエネルギーのことについては
こちらの恵里さんの記事もぜひ合わせてお読みくださいませ。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=10220805573037426&id=1481315037&m_entstream_source=timeline
 
また今回の開催に伴い素晴らしい場所を
恵里さんがご用意してくださいました。
日本で最も長い参道(産道・カミーノ)を有する
大海原をしらす男神スサノオノミコトがお祭りされています
武蔵一之宮・氷川神社のおひざもとにて
カミーノの大地とともにお待ちしています。
 

 
◇開催日 2月22日(火)
◇時間 12時始まり17時解散 (途中お茶の時間を挟みます)
◇会場 氷川神社近くの会館に集合になります。
  (お申し込みの方に詳しくおしらせいたします)
 
室内にてアチューメントののち氷川神社へ参拝いたします。
氷川神社アクセス
https://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/access/index.php
 
◇参加費 1万円(税込)
 
お申し込みはメールにてお願いいたします
majo_ceramica@yahoo.co.jp
 

 
今日の写真はサンティアゴ巡礼道を歩いた時のものです。
本当に大切なことはいつも
切れるか切れないかのような細い糸でつながっています。
本質からの声はちいさなささやきで聞こえてきます。
お心になにか少しでもピンと来るところがありましたら
カミーノとともにお待ちしています。
 

 
 
 

日々丁寧に

昨日は雨で
作品写真の撮影には自然光が足りない感じでしたので
デジタル展の更新はおやすみにさせてもらい、
ケーキを仕込んだり
氣功や柔軟、音(声)出しで心身を調えたり
親和性を感じる石にうたいかけたり
などなど行っていました。
 
スペインの小さな友人(でも何年も会っていないので
きっともう大きくなってるのだろうな。。)から
昨日は2年振り?くらいに突然メールがあり、
エネルギーの浄化について質問が来たりして、
これまでまるでこう言う話をしたことがなかった友人から
今の私に訊ねてくるのが面白いところだなあ。。と思ったりしています。
 
時間ができるとそこにストンとまた新しいことが舞い込んできます。
ほんとうに舞うように ひらり と。
 
そんなこんなで 
昨日仕込んでおいたケーキを今日のおやつにいただきました。
クッキーやケーキ類の焼菓子は、
焼き立てよりも常温で冷ましてからとか、熟成させてから
頂いた方がおいしいものが多いですね。
これも一晩熟成させて味を馴染ませました*


 
デジタル展示会の作品の更新は、
以前にもおぼえがきしましたが、
作品の一つ一つ語り合いながら
心の奥に届くものを反映させる方法をとっていて
エネルギーセッションとまったく同じ状態で
サイトの掲載まで持ってゆきますので、
要領よく、例えば写真の撮りだめをしたり、
前もってマニュアルどうりに等、用意しておくことができません。
一日ひとつまたは数点ずつ更新、と書かせていただいている所以です。
 
毎日ひとつ、または数点(シリーズ)の作品に
丁寧に向き合って行く瞑想的な、内宇宙へ入り込んでゆく工程が
このデジタル展示会にはとても大切であり
それがご覧くださる方々にエネルギー振動のように顕れて
お伝えできたらよいなと思っているところです。
 
ゆえに撮影ができないときは
無理なく更新もできなくなるのだなあと、
昨日のことでわかりました。
今回のデジタル展示会の更新を
楽しみにお待ちくださっている方にはお待たせしてしまいましたが、
今夜、日付が変わる前には更新ができそうです。
26日に行われる「水の沙庭/水の御神楽~春の音祝ぎ~」のなかで
「水の儀」にご使用いただくうつわたちをご紹介しようと思っています。
 
どうぞよろしくお願いいたします*
 
デジタル展示会『人魚にまつわるあれこれ』
2022年2月7日 18時よりオープン~順次更新~3月3日21時まで
http://majo.moo.jp/shopping/expo/sirena/sirenas.html
 
 
 

時代は変わりました。

去年の12月26日から1月6日の12日間のジーザスエネルギーのお渡しを終えた後、
何故急に人魚がまた顕れだしたのか、
魂のレベルで理解した昨日の「水の沙庭」の打ち合わせでした。
 
信じるという事をゆうに超えて
「そこに在る」という調和しかない世界では
流れにのるという要所を心の奥で理解しておけば、滞りない。
 
そういったことをもう知っているかたがたとの打ち合わせは
それ自体が癒しそのものであり、
地上に生まれおちた人間にとって必要な時でした。
昨日お会いできましたみなさまに感謝しています。
 
2月26日の当日は素晴らしいことになるでしょう。
 
水の深淵なるエネルギー世界にふれて
多くを語るべきではないと感じ
もうこれ以上は言葉にすることはできません。
 
たいせつな泉にてお越しのみなさまとの共振共鳴を
ただたのしみにお待ちしています。
 
ありがとうございます。
 
2月26日の詳細はこちらをご覧ください。
https://m.facebook.com/events/2751989088430501?acontext=%7B”source”%3A”3″%2C”action_history”%3A”null”%7D&aref=3
 
ご縁ある方にとどきますように。
 
 
 

つれづれに

私がセオリツヒメとカタカナで書くときは
宇宙由来のエネルギーを強く感じているとき。
 
これは私の妄想でもあるからそんな風に読んでください。
 

 
今日ふと山のオーラを感じて、
久しぶりに古墳の王様のエネルギーとコンタクト取りました。
 
つながると何故かすぐに御岳山の三峰神社に意識が飛び、
三峰神社と古墳の王様をおつなぎしました。
 
王様は生前、三峰神社に行かれたことがあるそうです。
 
三峰神社といえばヤマトタケル。
ここは元々お社の奥に望む童男峰(オグナノミネ)の遙拝所であったと
「オオカミの護符」というドキュメンタリー映画の中で語られています。
ヤマトタケルの幼少名はヤマトオグナ。
 

 
去年の6月につくばの山奥へ
エネルギー領域の逗子の海を、
逗子の産土神に言われて持ってゆきました。
 
つくばに着いてみると、
大変徳の高い産子のかたが、
私が持ってきた水が重要なのだ、といわれました。
 
つくばの深い山中にあるその神社は、
カーナビも利かないような時空を超えたところにあり
かみごとがはじまると、
ヤマトタケルが舞い降りてまいりました。
 
視えるのは一面の海。
私はただひたすら揺らめく海面をみつめておりました。
 
ゆらゆらゆらゆら。
 
心には感情らしきものはなにもなく、
ただただみつめておりました。
 
弟橘姫が沈んでゆくのを。
 

 
やがてうたと琴のうたげが始まり、
 
何度も何度も
 
カワカミタケル殺傷の場面を繰り返し視せられました。
そのときヤマトタケルにかかっていたのはセオリツヒメでした。
これが史実であるのか、そうでないのか、と問われていました。
 
うたと弦の揺らめきに溶け込んで意識が薄らぎ、
わたしはお宮にて剣を授かりました。
 
アメノムラクモノツルギだとのこと。
 
そう言ったのは海の神スサノオのようでした。
 

 
『古墳の王様は奥さんいるの?』と
ある時ある魂の高貴な方がお訊ねすると
王様はこう答えました。
 
魂は一緒に隣にいるよ。
体はないけどな。
 

 
ここ最近とても強くシリウスのエネルギーを感じます。
 
時代はリラではないの?と思う一方で、
シリウスが動いているのを感じていました。
 
時空に穴をあけてアメノムラクモノツルギを渡してきたのは
アルクトゥルスでしょう。
剣の使い方は大涌谷でおそわりました。
 
シリウスの魂を持つヤマトタケルが動くと、
一緒にアルクトゥルスがそれをサポートするように動くのがわかります。
 
宇宙の叡智を受け継ぐヤタガラス。
 

 
2月、3月、この頃は、
ちょうど王様の古墳の真上をシリウスが通ります。
 
セオリツヒメは時空を超えてシリウスから地球に降りてまいりました。
そのことを察知している地球人が驚くほど沢山います。
 
ですから瀬織津姫にシリウスのエネルギーを粒子で強く感じるとき、
私はカタカナでセオリツヒメと書くのです。
わかる方に伝わるので。
 

 
自分の整理のために。
メモ。