変容

いまはあらゆる面での過渡期で、
私もそうですが
私の周りの方々も激動の時代を生きて活きておられます。
それでも同じ先を見ている方々とは
益々ご縁が深まり
最も重要なことは
言葉でお伝えせずとも
すべてが瞬時に伝わるような
レベルアップがすでに更新済みとなっていて。
懐かしくも新しい世界が
すでにあちらこちらに顕現してきて
そういった場にご縁深い人々がひきよせられ
楽園を構築しているのを
ことあるごとに目の当たりにします。
それが頻繁になってきました。
 

 
昨晩は、
中村加奈子さんと宇佐見仁さんが主宰される
香風舎の特別な企画『煌 星 音 軀 命』に伺っておりました。
11月3日から8日に渡る毎日毎日がとても興味深い内容で、
昨日会場でいただいたフライヤーに在りましたことば
「人の存在は宇宙そのもの
わたしたちの中にある、
星々のひかり、
響きとであう六日間」
は、私にとってまさにこころに響く文言でした。
 
昨日は、豊英秋先生による(この日初めてお会いしたのですが
親しみこめて先生と呼ばせていただきますが)
こえとうたのワークがあり、
それはそれは貴重な体験をさせていただきました。
 
おそわりながら皆でうたいましたのは「東遊」。
今ではあまりうたわれることのない古代歌謡だそうで
その言葉あらわれ一つ一つ。
おと(こえ)の出し方。
手で舞うように動くひれのゆらめき
顔の明るみ
うたはすべてであり
そのすべては地上に楽園のエネルギーを顕現することを
体験してしまいました。
 
うた(おと・声)にされることばには、
研究し尽くしても意味がない(意味不明)とされる
歌詞のようなものがあって、
いまでも学者さんの中で喧々諤々されるそうなのですが、
これら意味不明のおと(歌詞)は、
じっさいにおと(声)にだしてうたってみると、
そして豊先生のなんともしなやかであたたかくそれでいて
すっと一本の光のような筋の通ったお伝えにより、
意味のないことばなのではなく
これは、宇宙の言葉ではないか、と、
心が反応するのが分かりました。
いまでいうライトランゲージというものですが、
これは本当に、
昔の人こそ普通に感知し発音しうたっていたのでしょう。
昨日の体感からわたしはそう考えるのが普通に思えました。
 
まずはおりてきたそのままの音ありきで、
それをだいぶん後の時代になって
文字というものができたときに、
表記する都合上、
たとえば、エとオの間のような音などは「エ」と、
乱暴に、あるいはしかたなく、まとめられてしまい、
本来根源から来ていた音は失われてしまったのでしょう。
 
また、意味が付随されている音(歌詞)もじゅうぶんにありますが、
それらをうたうおとひとつひとつに
感情を乗せずに、ただたんたんと
エネルギーの振動だけになってあらわれるようなうたいかた、
それはまるで、
風そのものだったり
波そのもののうたのように感じられました。
 
特に今のような陶芸の顕現をするようになってから、
日常の中でふときく音楽、
メロディーや声による感情の表現やメッセ-ジ性のある歌詞などの
人の意思が働いている歌や音楽が、聴けなくなってしまいました。
けれどそのなかで唯一雅楽だけは
日常のなかでも聴くことができる理由は
まさにここにあると思います。
 
たいせつなおとやうたひとつひとつが
豊英秋先生の純粋な感性で真っ直ぐよみがえっていくのを
昨日は幸せなことに目の当たりにした思いでした。
 
私はスペイン在住時、
カトリック教会の聖歌隊で歌っていたことがあるのですが
そのうたは、音律や教会の建築構造で
地上から天にのぼる仕組みになっているのですが、
きのうの日本古来のうたは
地上そのものがそのまま天となる響きを持っていました。
これは今の時代とても大切なことだと感じました。
 
それから「ととのう」って東の国の方言なのですね。
ととのう、ということだまは、
私もよくつかわせていただくのですが
まさかこちらの方言だとは知らずにいました。
やはり土地のことばには
根源に繋がる力があること(それこそことだま)を思うのでした。
 
東遊。
うた遊び。
昨日のあの響きが背骨に染み入っていて
このうえなく心地よい地上の楽園の振動をつづけています。
ほんとうに豊かな遊びがむかしはあったのだなあと思います。
わたしがうたいたいうたは、
わたしがいつもやまやうみでうたううたは
きっと昨日の体感があったから、
よりいっそう変わっていく予感がします。
 
ひとりひとりが中心となり
水紋のように広がり重なる振動の世界。 
昨日一日、あの場にいられたこと、
感謝の気持ちでいっぱいです。
 

一部はうたのお稽古。
二部は平安装束による東遊のうたと演奏という贅沢な構成でした。

 
 
香風舎『煌』11月8日まで
会場に展示されているエネルギー世界に満ちた
石塚雅子さんの絵画も
この宇宙船のような劇場空間の住人・・必見です。
https://www.kofusha.jp/pages/661187/page_201609281751

フライヤーもとても素敵です*
上記リンク先で詳細ご覧いただけます。11日8日まで。

 
 
 

ただひたすらの癒し

 
 

 
八ヶ岳のリトリートよりもどりました。
 
終始提示されつづけた数字
降りてくる来年のメッセージテーマ
 
満天の星のもとで
きらめく天の川
オリオンの流星たち
 
光苔
星の草
 
豊潤な森と泉の色彩
命輝かせる植物たち
広がる振動に答える鹿の鳴き声
 
ゆらめく火を目に映してうたい
霊水をいただく
 
突如として空に顕るジーザスエネルギー
タケミナカタの深く透き通る光
 
魂の奥の
最も純粋な泉に触れて
よみがえる記憶
 
今回のすべて
どの瞬間をとってみても
高い振動を保ちながら
時空を超えていくのが始終視えました
 
冒険のようにして夜の深い山を越えて海に戻ったとき
ああ、山から海へ繋ぐものがあったのだと
ああ、山から町へ繋ぐものがあったのだと
わかったのです
 
日常と完全に切り離されたハレの日の祭りのようにして
すべてのタイミングがみごとに合い
日常と完全に切り離された泉のほとりで
日常と完全に切り離された縄文の遺跡で
時空を超えてよみがえる記憶と想いは
理屈などは優に超え
高い振動に震える血潮に全身へと運ばれて
それそのまま日常へと持ち帰る。
 
 
今日、山から持ち帰ったものを
地元の海に巫女舞の方恵里さんとおつなぎ致しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  
言葉では到底言いつくせないことばかりです。
こころよりありがとうございました。
 
 
 

本日で8月のあまつみかぼしアチューメント終了いたしました。

  
ご縁をいただきまして本当にありがとうございました。
土をもって魂が『これがやりたかった』と
語りかけてくるのがありありとわかりました。
 

 
いま様々な形で苦しい状況が顕れてきている方々が
私の周りにも多いように感じています。
次のターンへ持っていけないものを魂はよく知っていますから、
どんどん捨て去って次々に更新している時期です。
それも肝心なところは二項対立させた形では・同次元レベルでは、
解決することができないものばかりでとまどいも大きいことと感じます。
そのような世のそして個々人の状況の中、
このたび直感でお越しいただきましてありがとうございました。
 
あまつみかぼしアチューメントでは
人それぞれの心地よい振動と速度をろくろが教えてくれました。
ろくろに乗せられた土は、その土を練った人の身体感覚が
そのままダイレクトに顕れてきます。
このアチューメントは
その身体感覚の持つ振動と速度の調整です。
心身同一ですから、先にエネルギー領域から調えてしまえば
あとから肉体はついてきます。 
 
電動ろくろによる成形という物理システムにより、
過去の経験や意識を外しろくろに身を任せる・・
そのステップを踏んでゆく先には
土に触れ・泥に触れることイコール胎児感覚になっていく。
それを瞑想と呼ぶ人もいるかもしれません。
 
不可視のエネルギー世界を感覚的にキャッチしながら、
あくまでこの地上の肉体が持つ生命の速度
(自分の呼吸や心臓の鼓動など)をリアルに感じて
自らが自らにエネルギー調整できるのは
あまつみかぼしアチューメントにおいては
「土」が介在していることの恩恵が大きいでしょう。
これがほんとうの創造です。
創造とはそういうことでしたね。
そうして創造から一つのうつわができました。
このアチューメントを受けられている方が
自ら発動され創造される、その姿はとても感動的です。
 
土は大地の女神の体の一部です。
土を練ることで身体の中心が呼び覚まされ、懐かしくも調えられ、
実地で視えるもの・視えないもののバランスを取ろうとする中から
幽顕重なり不思議なことも今回おこりました。
例えばどこからともなく急に花の香りが漂ってきたり・・
いつも女神に祝福されているような嬉しい祝いの時間となりました。
長く陶芸の仕事をしてきましたが
ようやくここにたどり着けたように思います。
 
あまつみかぼしアチューメントで土を練る時は
粗練りも菊練りも、子宮のそばで練ってゆきます。
子宮は時空を超えるドルメン。
生まれてくる場所と死に行く場所。
時空を超えた場所。
 
調えられた子宮でこれから新しい旅=創造を始めるかたに
今回おこしいただけましたことに深く感謝いたします。
 
あまつみかぼしアチューメントでつくられたひとつのうつわは
一度すべてのエネルギーを焼き祓うことで
完全変容させて窯から出てまいります。
それまで約ひと月半ほどお待たせいたしますが、
その時をどうぞお楽しみに。
私もとても楽しみです。
 
*また今回お心寄せてくださいました皆様
つぎの開催の時をどうぞおたのしみにしていてください。
 
心よりありがとうございました*
 
 
 

あわい

 
深層リンパドレナージュのEriさん

光と空のミウさん
 
ちょうど去年の梅雨の頃からの私の中での一つ課題になっていた
「肉体を癒す」と言うことについて
このお二人とのありがたい出会いをきっかけに解決したように感じました。

Eriさんは城ヶ島の海。
ミウさんは高尾の山。
私は知らずにエネルギーを運んで繋ぐこともしていたようです。
 
本当に肉体を癒すにはまるまる不可視からのアクセスが不可欠です。
こちらの世界の私(同時にこれを読んでいるあなたでもあります)が
あちらの世界の私(同じくあなたでもあります)に
アクセスして初めて根本原因を理解する。
主軸はあくまで私(あなた)です。
それは無自覚であることも多いし
至近に自覚していることももちろんあります。
 
そこをシステマチックに、
要は要らないエネルギーをお返しして行くことで本来の自分の形に戻る。
エネルギーのことがわかっているとシンプルにそれができる。
 
心身は繋がっていると言いますが
今回の体験から
完全に同一である、と言った方がより正確だと思います。
そしてやはり
肉体の癒しは不可視の世界からのアプローチがなければ根本治癒は出来ないということ。
 
『いわゆる医者こそ不可視のことがわかっていなければならない』と、最近遊びに来てくださったご夫婦が
やはり医療に関してのあれこれのご体験から仰っていたことですが、
長きに渡り、ことに近代になってよりひどく、
人は騙され隠されてきたことを知るときが来ているようです。
 
これからの世界
私(あなたでもあります)は
私(あなた)の不可視の世界があるという現実に
きちんと目を向けて行くことで
これからは乗り越えて行けるものが多くなって行くと思います。
 
そういう時代に入っています。
 
ミウさんのところから戻ってきて
心身クリアになり仙骨から背骨を通り頭蓋骨へと響く微細な高振動が続いていて、からだの状態が軽やかなのはもちろん、
内宇宙へ訪れる言わば瞑想のような時間がとても楽しみになりました。
肩こりが治った、視力がよくなった、首が柔らかくなった、などは付随する副産物的な効果です。
瞑想のテーマのようなもの、
言語化できる具体性はないのですが、その根源的なテーマのようなものを瞑想の状態で追求するのがすごく楽しみな私がいます。
その状態でお料理すると明らかに味が変わって非常に美味しくできるので
この瞑想の状態の時のエネルギーは
日常のなかで当たり前に活用できるものです。
(便宜上、瞑想という言葉を使っていますが。。つまり変性意識状態ですね)
 
なにかまた新しい扉を、今ここにいる私と不可視の私とで開いたようです。
その新しい扉も、源は私のなかに元々在ったのですが。
 
人って、人体って
本当に無限の宇宙のうつわですね。
誰一人例外なくすごいものを授かっていまここにいます。
 
 
 

七夕



七夕の数日前からいよいよ準備調え
前日には雷が鳴り地力があがり万時調い迎えました
イザナミ宇宙アチューメント。
 

  
あまりあまりに深くて
 
ことばにならないことばかり。
 
終わってから二日経っても何も書けません。いまも。
 
とても大切なたましいにふれたので。。
 

 
深く深く
大地のおかあさんの懐に
 
うまれるまえの粒子になって
繭に包まれたさなぎになって
 
もぐりこんで おちついた
 

 
そこはまるで遠い宇宙にも似て
 
あまりに遠くて
あまりに近くて
あまりに広くて
あまりに濃密で
まるでなにもおぼえていない
 

 
記憶を優に超えた遥か彼方に 
大地の更にその奥にみずからの内宇宙と一体になる
完全変容がありました
 

 
 
いざなみかぼしがつれていってくれた世界
長い長い旅でした
 
全宇宙のみなみなさま
なにかことばにすると
まったくちがったものになってしまいそうです
 
ただひとこと
 
ありがとうございました
深く広いたましいの奥底からの感謝です
 

 
 

根源的で純粋なことが
あたりまえのように顕れ
これからは
これが大地
これが日常 だと
 
共鳴してきこえました。
 

  

直感にみちびかれ
ご参加下さいましたみなみなさま
ありがとうございました。
 
土の弦楽器みかぼしのすべての魅力を引き出す素晴らしい演奏で
星のエネルギーを下ろし共振の和を広げてくださいました
大塚惇平さま。
ありがとうございました。
 
にどとない今だからこそ
この機会に
和となりお集まり下さいましたみなさま
心から感謝いたします。
 
そして巫女舞の方、恵里さん。
素晴らしいタイミングでお声がけいただき
まるでこのときのために
生まれてきた作品たちを
ありのままに受け止め
活かし・生かして下さいましたこと
深く感謝いたします。
 
七夕の善き日に。