ピラミッド

古くは諏訪が元で
諏訪から島根の出雲に行ったのではないか?
諏訪に行くとそのような検証が
じっさいに感じ取られる。
 
**
 
『出雲および大和で、
神奈備山とよばれる一連の円錐形の山が篤い信仰の対象とされたのは、
三輪山と同様に、それらの山々がいずれも「甑立ての蛇」に擬らえられたからに他ならない。
この神奈備山に関連して、
石塚尊俊氏は「ハヤマ信仰」を捉え、
注目すべき所見を述べておられる。
 
「葉山と神奈備」
福島県相馬地方では春・秋二度、
神を葉山という山から迎え、
またその山へ送る。
つまり神去来の本源として葉山という
特定の山が考えられている。
相馬領内で葉山とよばれる山は、
いずれも頂上の尖った山で、
一種の神奈備山である。
(『山陰』(一九五六年五月十一日)より要約)
 
(中略) 
 
この神奈備山から神を迎える信仰も
出雲に限ったものではなく、
ひろく民族に共通する信仰から
はじまっているかも知れない、と述べておられる。
 
「ハヤマ信仰
東北地方に多い作神信仰の一つ、春秋二回まつる処が多い。
祭神ハヤマサマは山の神・田の神で
祖霊の性格を持つと思われる。
山には大てい神殿はなく、
臨時の祭場に神を降ろし、
潔斎した村人がノリワラから作占をきく・・・。」
(大塚民族学会編『日本民族事典』五二八ページより要約)
 
というのであって、
神奈備山とハヤマは山の形が似るばかりではなく、
その神の本質も相似である。
(中略)
ハヤマには羽山・端山・葉山などの字が宛てられるが、
おそらくハヤマは蛇山(ハヤマ)であって、
蛇は古く本土でも沖縄でも山の神で、
実りをもたらす作神と同様に祖霊でもあったからである。
山そのものが信仰の対象であれば、
神殿の必要もないわけである。
 
(中略)
 
トグロを巻く蛇を連想させる
円錐形家屋は、
縄文中期に始まるという円形竪穴住居にみられる。
(中略)
これは神奈備山同様、
「甑立て(こしきだて)の蛇」の姿に相似である。
(中略)
この縄文竪穴住居に関連するものに、
諏訪大社に伝承されていた
「御室神事」がある。
御室神事は諏訪上社の冬祭りであって、
旧十二月から翌三月まで
ご神体の蛇を土室の中に籠らせる神事である。
(中略)
この蛇体が籠るこの土室は、
冬祭りから翌三月まで、上社最重要の祭事の場となる。
(以下略)』
 
吉野裕子著「蛇」より
 
**
 
諏訪から戻ってすぐの先月末、
諏訪に行く前から八坂刀売神(タケミナカタノミコトの妃と言われる)
のラインで気になっていた
地元葉山の森山神社のクシナダヒメにお参りいたしました。
お参りさせていただいているとなぜかトヨタマヒメと浮かぶので
わからないままに心に留め置きます。
 
ここでは年に一度
地元ヤマトタケルの湧き水を用いて麦粥を焚き
一年の作物の状況や天候を占うご神事が行われています。
 
地元葉山には「葉山」という名前のお山はないのだそうですが
上記しました引用の内容を加味すれば納得するものがあります。
甑形の山裾にこの森山神社が建てられています。
 
今回お参りで訪れた際に
新しく今年の占いの結果が出ておりました。

豊作
天候平穏

余談ですが
このときはなぜか拝殿の左側が氣になり
お参りさせていただくと、
浅間神社が。
月と日の文字。

 
去年初めて諏訪の森の奥の泉を訪れてから
コノハナサクヤヒメが身近に感じられていましたが・・。
 
 

駿さんの新作みてきました。その2

私は動きに関して、
アニメーターさんのようなプロではないから
専門的なことはわからないのだけれど、
それでも今回の新作を観たとき、
あれ?と思った。
 
なんだかジブリっぽくない動きだなぁ、
と感じる場面が何度もあり、
それにCGをこれまでにないほど
目立って多用していた。
 
駿さんのご年齢から
これまでのようにパワフルにすべてを統括することが難しくなってきており、
多くのことを信頼できるスタッフに任せた、
という話も聞いていたので
そういうことなのかな、と思いました。
もともとアニメーターであった駿さんの
動きに関しての徹底ぶりは
これまで何度も目に耳にしてきたこともあって、
今回の動きへの違和感は、
(本当に感覚的なものなのですが)
『ジブリらしくない』と初めて
思わされるものでした。(もちろん慣れ親しんだ「らしい動き」もたくさんあります!)
 
けれど、そうしてまで
駿さんが伝えたかったことがあるのだと
映画を観てわかりました。
 
たった一種類のポスターのみに絞って
一切の宣伝を打たなかったのは、
プロデューサーの鈴木さんの意向だとききます。
これまで宣伝することで何が起きていたのかを俯瞰でみれば、
今回宣伝がなかったことが何を意味するのか。。よくわかるような気がします。

つまり、ポニョ然り。
広告代理店を儲けさせねばならない
という鎖から解放されたことで
前述したように、
今回は自分らしく本質をようやく描くことができる基盤ができた。
例えばYouTubeでも
中央政権の意向から外れた
歴史や政治のことを述べると
広告収入がはがされるでしょう。
構造はそれと同じで、
事前にそういう枷を自らはがしたのだと
私は理解しています。
 
何より伝えたいことがある。
それを宣伝広告によって
ズレを起こさせたくなかった。
これまで何度も宮崎さんは、
ジブリ作品への世論の理解度について
『何でわからないのかなあ!』と
言っていたという話も聞きました。
伝えたいことが伝わってない。
 
今回の映画で
これまでご自身でしてきたことを
スタッフに任せ、
宣伝を最小限まで剥がし、
伝えたかったことは何なのでしょう。 
 
 
星読みをされている方々のお話が
足並み揃えてこれからの数年間は
大変な時代が来る、と言っています。
この映画のなかでもそれを示唆する台詞が
ラスト近くにあります。
 
振り返ってみると
宮崎さんの作品は
世の中の大きな流れを
一足先につかんでは伝えて来ていました。
おそらく始めは駿さんご本人も
そうとは知らずに、
だったのかもしれません。
 
地震と津波は未来少年コナンでも
繰り返し描かれていますが、
サリン事件、東北関東震災の津波、
大小の作品に描かれたことが
既視感をともなって
これまでこの世に実際に起こっていることに、
やはり周りのスタッフの方々も
気付いていたと思います。
 
年数をかけて映画は作られますから、
作品が公開されてそのあと
実際に現象として起きていたことが、
だんだんとそのタイムラグが狭まってきて、
短編作品On Your Mark公開のときには
現実に追い付かれた、
と言うお話も聞きました。
 
 
宮崎さんは、ご自身のことを
不動明王の化身だと仰っていたそうです。

ですから
ポニョの世界観に
セオリツヒメのシステムが反映されていることも然り、
今回の新作においても
不動明王、セオリツヒメ、ヤマトタケルの流れと視野でみて行けば
とてもシンプルで分かりやすい映画になっていると思います。
(不動明王のことについては
最近になって目黒不動尊の口伝の解禁から
納得することが現れてきており、
またセオリツヒメ、
ヤマトタケルについては
私もご縁が深く、
これまで何年にも渡って
おぼえがきしてきていますので
お読み下さってる方々には
ピンと来るものがもしかしたらあるかもしれません。)
 
駿さんは、
いわゆるシャーマニックに
作品を作られていて
(ものづくりには大なり小なりあることですが)
伝えて来ていることは
これから起きる大難、あるいは大きな浄化、破壊と再生でした。
それに付随する魂の成長の物語は駿さんの心の顕れかもしれません。
今回も今後起こることについて
登場人物の台詞にはっきりと伝えてきていました。
 
その駿さんのお伝え役のお役目も
今は終わりが見えてきて
『渡せるものは渡したのだから
あとは自分の道を決めなさい』と、
この作品で、この地球のこの次元に生まれてきたお役目の扉をパタンと閉めました。
この作品のラストシーンと重なり
心が震えます。
 
長きに渡って伝えてきたこと、
すべて渡し終えて
あとは自分で決めなさい。
君はどう生きるのか。
 
そういう映画だったと思います。
そのために生まれてきたかたが表現し尽くして
最後に綺麗に扉を閉めたその瞬間を
見せていただいたと思いました。
 

『何でわからないのかなあ!』
方舟を作って沢山の人々を救おうと呼び掛けたノアも
きっと駿さんと同じ台詞を言ったかもしれません。
 
 

蛙は黄泉よりよみがえったイザナミの象徴

 

駿さんの新作みてきました。

劇場公開の年に「崖の上のポニョ」を映画館で観てからずっと
今日観たこの映画を待っていたのだと思う。
 
ポニョを観終わったとき、
『いまはわからないけど
きっとあと5年ぐらいしたら
わかる』ような気がした。
そしてその予感は当たっていたように思う。
それから本当に5年位して
わたしもセオリツヒメのことを
させていただくようになったから。
 
ポニョの中で描かれていたことが
年々紐解かれてくうちに、
さらに遡って
宮崎さんは「未来少年コナン」のときからすでに、
セオリツヒメのことをされていたことが
手に取るようにはっきりとわかった。
コナンの最終回を観たときそう確信した。
 
そしてポニョでは
『宮崎さんもこういう映画を作るんだ。。』と思った。
母性と子宮、羊水に溢れた生と死の世界をみせられていたので。
それは言葉で分かりやすく言い表せば
『生まれて来る場所と死んでいく場所は同じ』
という、女神を中心に置くいわば黄泉の世界観だった。
 
ポニョが分かりにくい作りになっていたのは
沢山の制限(特に時間)があったからではないかな、、と思う。
そのぶんポッドキャストの方で
プロデューサーの鈴木さんが
それとなくフォローしていたけれど、
それもどれだけの人々に届いたのか。
 
そのポニョの中で描き切れなかったものが
「君たちはどう生きるか」に描かれていてはっとした。
今日、映画をみてきて
駿さんはちゃんとすべてわかっていたんだ、と思った。
ついにセオリツヒメが火を持った。
 
とても分かりやすく、
そして自分らしく、
本質を正直にようやく描くことができた
作品なのかもしれない。
少なくとも
宮崎さんはこの映画で綺麗に扉を閉めた。
まだこの世界にいるうちに
この映画を届けてくれたことに感謝です。
ポニョを観たときから、この映画をきっとずっと私は待っていたから。
心満たされました。
 
エンドロールが出たとき、
舞台だったら大きな拍手をしたかった。
実際にはがらがらの客席から
小さく長く拍手しながら
なにかに満たされ心震えて、
お祝いしたい気持ちになりました。
 
なので私なりに
お祝いのプリン✨

セオリツヒメのシステムを辿る仲間として
本当に素晴らしい映画でした***
 
まだまだ書きたいことはあるけれど
それはまたタイミングが来たとき
別の機会に。

13コの積み木でできている世界。

 

『This is the moment』

 
ミュージカル「ジキル&ハイド」挿入歌より
——————————–
 
This is the moment This is the day
この心に秘めた想い
 
This is the moment
解き放ち
新しく生まれ変わる
 
今 この日 この時 この瞬間
はじめて知った
Give me this moment
This moment ous moment
偽わらずに 生きてゆこう
 
今までの 全ての
悲しみも苦しみも終わる
自分を取り戻そう 本当の自分を
 
誰もが 明日に迷い
行くあてなく ただ嘆くだけなら
 
This is the moment This is the day
この心縛る鎖捨て
その時はじめて
 愛しあう意味を知るだろう
 
This is the moment This is the day
飾らずに真実の姿 誰もが認め合えば
この星に息づいた 意味を知るだろう
 
——————————–
 
ミュージカルが大好きで(オペラと歌舞伎も含む)
1987年の「レ・ミゼラブル」日本初演にドはまりをして以来、
さまざまなミュージカルを観たくて
長年に渡り足繁く劇場に通っていたのですが
近年しばし足が遠のいております。
 
 
ブロードウェイでヒットしたミュージカル「ジキル&ハイド」。
日本では鹿賀丈史さん主演で上演されたものを観に行っていて、
初演のときはあまりに物語が殺伐としていて
なんとも・・な気持ちになったけれど、
鹿賀さんfinal公演では心理描写が段違いに深くなっており
初演時とはまるで別の作品となっており・・
同じ脚本と演出、歌でも、そして同じ役者でも、
その時々でまったく別の作品となることは
舞台では何度も経験していることではあるけれど、
このfinalの「ジキル&ハイド」は本当に素晴らしかった。。
切なかった。。
 
この鹿賀さんの主演の「ジキル&ハイド」を観て
心理描写の深さと繊細さに感激したブロードウェイの演出家が
鹿賀丈史のために作ったミュージカルが
「シラノ」(シラノ・ド・ベルジュラックのミュージカル版)で、
こちらも初演時に観に行っています。
 
 
「ジキル&ハイド」の挿入歌
『This is the moment』にお話し戻します。
劇中ではジキルが心押しつぶされそうな常識を振り切って
狂気の世界に足を踏み込む決断を下す
人生ぎりぎりの場面に歌われる歌で、
旋律のすがすがしさとは裏腹に
精神が分離し闇に落ちてゆくわけなのですが。。
 
 
この歌をもっと広い視野でとらえて
作り直しよみがえらせた宝塚版が個人的には歌としては好きです。
もう25年ほど前になるのでしょうか、
姿月あさとさんの舞台、何度も観に行きました。
友人たちの素敵なサポートにより運よく観劇することができた
退団公演の時のさよならショーでもこの歌が歌われました。
 
それももう何十年も前のことですが
この宝塚版の歌詞、
まるで今のことをも歌っているかのようです。
いまでも好きな歌です。
誰もがジキル&ハイドなのかもしれない。
そして陰と陽、表と裏の統合のとき。
 
 
『This is the moment』
作詞:Leslie Bricusse・Frank Wildhorn・日本語詞:荻田浩一
作曲:Leslie Bricusse・Frank Wildhorn
 
 

昨日の茶会瞑想で話題に出たので

『感覚を鋭くすることは真逆。』
『12感覚を月に置く。』
『「五感を研ぎ澄ます」ではなくて
五感をずらす。』
わかる。
 
 
まだわからないことも多いのだけれど
後でわかったり、
松村氏のお話を聴くと、自分が感知していること等とパパッと答え合わせになることがしばしば。
氏曰く、you tubeではお気軽なお話をされている、のだそう。