メメントモリ

土の弦楽器わたつみ

 
きのうはシリウスの郷のひめみこさんがお越し下さり
来月から来年までの様々な打ち合わせしました。
来年はやっと動き出すというワクワク感を示し合わせていたその間、
新しい着地点を探すように
旋回する竜のエネルギーを感じておりました。
新しい地球に成ってグラウディングする場所が変わったので、
天地結ぶ竜の着地点も変わるようです。
 
シリウスのひめみこさんも
わたしも
今年は場づくりをしていたということがわかり、
場をつくることの大切さについて語り合いました。
 
それぞれ異なるジャンルでまったく別のことをしているようで
その本質は同じだという答え合わせのようなことがおこりました*
 
来年が本当に楽しみです。
またその時が来ましたらおぼえがきにお知らせさせて下さいね。
 
 
昨日参りましたヤマトタケルの湧き水のお社にて。

ワカヒルメ

 
打ち合わせの後、とつぜんはじまる土の楽器の合奏。

 
瞑想とは?
 
瞑想するということは自分軸になるということ。
『雑念が多いから瞑想できない。』
『瞑想が分からない。』
イコール
『雑念が多いから自分軸になれない。』
『自分軸が分からない。』
ということ。
 
この世界に生まれてきてほんとうは何がしたかったのか、
憶(おも)い出すこと、それが瞑想。
 
魂エネルギーの世界から
こちらの世界に生まれてくるとき、
ほとんどの魂はすべての記憶を忘れるという大きな賭けをしました。
もし地球に生まれたとしても憶(おも)い出さなければ
この世界に生まれた意味を失うというのに。
それは本当に危険な賭けでした。
 
いまこのときに
これまでにないほど多くの魂が
憶い出しています。
かつて知っていた魂同士が出会い
地球でやりたいと決めてきたことを憶い出しやり始めている。
 
新しい地球が始まっています。
 
かつてわたしが直接月に尋ねた時の応えと同じく
シリウスのひめみこさんも『月は見張っているね』と
物的証拠を示しながら言いました。

今日、月をみていたら
もとのポジションに還ってきたと感じました。
 
 

神話が現実に


昨日工房へお越しのひめみこさん
しばらく迷われながら
何度もいくつかの作品を手に取られてのち
『わかりました』
といわれていくつかの作品お迎えくださいました。
その間、
天から星のようなエネルギーが
作品たちに降り注いでいたのが視えていたのだけど、
みんなひめみこさんに選ばれて
使われたかったんだなあと
その天から降りて作品に宿る繊細で明るい振動が
背骨を通じて伝わってきて
なんだかそれは
わたしの癒しとなっていました。

作品がお迎えされる瞬間、こんな風に星たちのエネルギーが降りてくるのだと初めて目にしました。
 
なにものにも縛られない
純粋な天然の巫女の方々(ご自身そうとは
思ってらっしゃらない方が大半なのだけど)が、
必要とされているものをお渡しする場なのだなぁ、
ここ工房イソラは。
心に浮かぶ一つ一つに従って
一歩ずつ歩みを進めてきたら
自然とそのようにしつらえられていました。
 
そういえば神話のなかでイソラは
神功皇后に二つの玉を渡したという逸話があること思い出しました。
 
なんだか意図せずみんな繋がってくる。
 
ここにお越しになる方々すべてが
みるみるぴかぴかに魂磨かれて行くご様子
これまで拝見させていただいてきて
神話も現実もその境はとても薄くなってきていることがよくわかります。
 
 

ヒルコの進化形

窯から出ました。


六甲山の向津峰の磐座を経て
アラハバキや諏訪の湧水や縄文の郷に結びついたヒルコが
わたしが土からお作りするものに姿を顕したのは、
遡って思えば2年ほど前が最初でしょうか。
今回初めて
そのヒルコがこれまでとことなる、
いわば進化した姿を見せてくれたと感じました。
 
今年に入って
ことに5月の神戸での個展以降、
「杯」のワードが降りてくるようになり
この秋には「杯」は「星」であることを教えてくれました。
そしていま今日の窯出しで、
ようやくこの地球の悲願であったゼロポイントから反転が起きたことを
ヒルコたちの世界から伝えてくれました。
 
いまはヒルコのエネルギーは、
諏訪の森の奥の泉の前で視た、
紗のかかった虹のちび竜たちの姿で視えています。
新しいちび竜たちの誕生。
今回の窯のふたを開けた途端、
やさしいベビーピンクの化粧土のうぶぎにふんわり包まれるようにして
虹彩のちび竜のエネルギーの杯たちが並んでいるのを見て
思わず笑顔がこぼれました。
胎土の土らしい手触り(これは母なる地球の形見)も失われておらず
使い込めば込むほどこの杯の良さが引き立つ
ゼロポイント・素のままのうぶうぶしいうつわ。
まさにイノセントでした。
 
正直これがうまく焼けなかったら陶芸をやめようかなとふと思っていました。
今回の杯のために降りてきた数値=焼成温度があり、
その数値のまま焼成しましたから、
既存・規定のマニュアルと異なる焼き方でうまく焼けるかどうかは
今日窯出しするまでわかりませんでした。
わたしにとってもゼロポイントへ還る「ウケイ」のような杯でした。
・・どうやら新しいパラレルでも土のお仕事をつづけられそうです。

岩茶をそそぐのがとてもたのしみです。

奇しくも今回使用したラスター(虹彩)釉は、
わたしが仕事として陶芸を始めた30年近く前から長らく使用していたもので、
ここにきて久々に使用しました。
しかし以前とは明らかに異なる
原料との向き合いかた、施釉の方法、
舞う手つきでの優しい地球を両手で包むような
そんなエネルギーでの釉掛けそのままに、
柔らかく慈愛にあふれたとても高い振動の杯たちだと
窯出しのときにひとめでわかりました。
ほんとうにうれしかった。。
 
「イノセント」そのものでもあり
穏やかな喜びに満ちた
懐かしくも新しいうつわたちとの出会いが今日の窯出しでした。
 
まもなく満つる月が王様の古墳の山のむこうから登り始めていました。

 
 
今回の茶会瞑想、テーマはイノセント。
ご参加のお申し込みはメールにてお願いいたします。
majo@bv.moo.jp
お申し込みいただいた方に詳細をお送りしております。

 
 

太陽どうした

今日は朝から太陽の様子が尋常ではありませんでした。

偶然で片づけるにはあまりに不思議なタイミングが
ばちばちと連続的に決まって、
9月のお月見の会のときの主催のメンバー、
アイリ―さんと陽子さんが逗子に見えました。
 

農園さんでランチをいただきながら濃厚で本質的なあたらしい時代のお話に。
ほんとうに楽なりました、とアイリーさんがおっしゃっていたごとく、
言葉なくとも通じる可視不可視の境目がほぼ取っ払われた高密度の世界に
これからのワクワクを感じてる、という共通意識がありました。
ほんとうに、もうみんながみんなそれぞれの配置についたので、
来年からすごい世界になりますね。

ヤマトタケルの湧き水のお社からの太陽もパワフルで高振動。
宇宙のエネルギーも感じられて、何か心に語り掛けてくるようです。
ここの湧き水を用いて、麦を発酵させて郷の神社で行われるご神事に、
奄美口伝(秘伝)のお神酒をお作りになる陽子さんが大変ご興味もたれて、
今日ここ、ヤマトタケルの湧き水のお社にご案内させていただいたのも
偶然ではないことを感じました。

ヤマトタケルの湧き水のお社のお参りからつながって、
湧き水のお社とご縁の深い郷の女神のお社に場を移して
三人で参拝いたしました。
ここの境内には多民族国家を思わせるヒントがたくさんありました。
わたしがなんとなくキャッチしていたことを
アイリ―さんがさらにアイリ―さんの視点からキャッチされて
この土地で行われていたことや民族文化のことが
より一層立体的に浮かび上がってきました。

海に出ると、もはや何が何だかの世界になっており、太陽なんだか海なんだか。
海と天をつなぐ光の柱が立っておりました。


真名瀬の海岸では、陽子さんが『太陽の上!上!』と言うので見上げると
太陽が何かされている(??)ところを目撃。

場所を移動してもまだ続いていました。何でしょうかこの太陽の上空は。

 
いったん帰宅するも
王様の古墳上空の柔和な天女のような雲たちに誘われ家の近くの海岸へ。

エネルギーの世界と物質の世界。
あちらとこちらの境目が薄くなっているのを感じます。

スペクタクルなエネルギーの満ち満ちた一日。
太陽も月も変わる。


29日にこの海岸の傍らで茶会瞑想が行われる特別な時が
ますますたのしみになるのでした*
 
 

磐座

昨年5月に訪れた磐座のことがまた立ち上がってきています。

 
土のシンギングボウルを顕現するにあたって背中を押された場所でもあり
土の弦楽器「わたつみ」さんの故郷です。
 
「わたつみ」さんは向津峰の磐座の大地のエネルギーと
諏訪の山の奥の母なる泉のエネルギーが合氣され、
産産しい誕生のエネルギーで成されています。
それは思えばどちらも縄文の、もしかしたらそれよりもっと古い
太古からのエネルギーの合氣でした。
宇宙的なものの顕現なので三次元的な時間軸では測れませんが。
 
こういった場所に呼ばれ、呼ばれたことで
じつはずうっともう昔からわたし自身にご縁のある場所であることに氣づき。。
地球に生きるということは憶(おも)いだすということなのかもしれない。
 
改めて昔見た舞台『ラ・マンチャの男』に出てくる台詞を想います。
 

 
『私はこれまでありのままの人生というものを嫌というほど見てきた。

……息をひきとる仲間を両の腕に抱いたこともある。
彼らはみな、うつろな目をして、
おれはなぜこうして死んでいくのかと私に聞いていたのではない。
いままでこんな人生なんのために生きてきたのかと私に聞いていたのだ。

ああ

人生自体がきちがいじみているとしたら、

では一体、本当の狂気とは何か?

本当の狂気とは?

夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。
現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。

だが、一番憎むべき狂気とは、
あるがままの人生にただ折り合いをつけてしまって
あるべき姿のために戦わないことだ。』

 

 
何のためにこの地球に生まれてきたのかを憶(おも)い出すことは
パンドラの箱に閉じ込められてしまった魂の救済そのものなのかもしれません。
そしてようやく、それを誰しも自らできる時代になったということです。