鳥の陶人形「スサ」のことつれづれ

 
世界の比率で生まれたばかりの赤ちゃんは
右利き左利き50%ずつだという話を
科学雑誌か何かで昔読んだことがあります。
 
そしていずれの利き手にしても、
それがすべての動作・作業において100%右利き、左利きという人は珍しく、
右利きの人でも、ある動作は無意識で左手の方がやりやすいといったことが
何かしらあるのが普通なのだそうだ。
 
そういう意味で、
私は思いつく限り100%左利きの珍しい人種に入るようです。
 
そして人の体というのは
バランスをとるために、
右手利きの人は、左足利き、
左手利きの人は右足利きなのだそう。
 
けれど私は手も足も左利きなので
体のバランスの取り方もあまり一般的ではないらしい。
 

 
 
昔、友人に誘われて
NHKなどでご活躍されている
某書家の先生の展示を銀座に見に行ったことがありました。
 
ちょうど先生が在廊されていて、
淹れて下さったお茶をいただきながら
その時の流れで私はこのようなことをお話ししていました。
 
『私は左利きなのだけれど、
小学生のときに初めての書道の授業で
「一」という文字が筆で書けませんでした。
想像していただけるとわかるのですが、
左で筆を持って右利きの先生から要求されるやりかたで
「一」という字は大変書きずらい。
それで文字だけは自分で意識して右でもかけるように練習しました。
なのでいまでも文字だけは左右どちらもで書けます。』
 
すると
『左利きの方はバランス感覚が右利きの人と全然違う。』と
書家の先生はおっしゃいました。(ちなみに先生は右利きです。)
左利きの人が落ち着くと感じる画面構成をみると、
右利きの人は、不思議な・あやうい感覚にとらわれるのだそう。
『それが、とても良いのです。
そういう意味で、左利きの人は意図せずそういう
何か超えたバランス感覚をもっていて
いいな、ずるいな~と僕は思ってるんですよ。』
とおっしゃいました。
 
時代性もあるとは思いますが、
(幸いなことに私は右利きに直されることはありませんでしたが)
それまで左利きだという事だけでかけられてきた心無い言葉、
「世の中のほとんどみんな右利きなんだから」「わがまま」
「あんたが悪い」「左利きにいてもらってもしょうがない」と
子供のころから大人になって仕事についても言われてきた私にとって、
この書家の先生のようにおっしゃるかたに初めて出会いましたので
とても印象深い出来事でした。
 

 
 
私の場合、手も足も左が優位にありますから
体のバランスのとり方もそうでしょうし、
何かエネルギーの流れ方も
そのようになっているのかもしれません。
 
左利きにとって世に不自然さを感じてしまうことは
多々あると思いますが(はさみをはじめ、
缶切り、ブローチの針の向き、
駅の自動改札、包丁・ナイフの刃、横についた水道の蛇口、etc、etc)
着心地の悪さから着物も着られません。
(なので小学4年の学芸会のときに浴衣を着て以来着物は着ていません)
たぶん感覚的に回転が逆なんですね。だから心地が悪い。
左を優位に使いますから。
 
世界のほとんどの民族衣装が左前になってる、というお話を
お聞きしたことがあります。
生まれたときは右利きも左利きも50%ずつなのだとしたら
なぜ右に統一されたのでしょう。
 
右は閉める。
左は開く。
 
地上の肉体に魂を縛っておくために
右回転で包むのかなあと思ったりしました。
亡くなった方は左前・左回転に着物を巻きますよね。
それは魂が肉体から解放されるという意味のように感じます。
(本来は左回転して着物は解けていらなくなるけど
そうもできない場合の地上の物質世界の
シンボリックな表現とでもいいますか。。 )
 

 
新しい時代になり不可視の世界が近づき開放が起こっているいま、
あちらの世界からやってきた鳥の陶人形(異星のかたですね)
名前は「スサ」と降りてきました。
素のままでという意味のようです。
彼は左前に着物をまとっていました。
 
時代が変われば、
いつしか世界の民族衣装も左回転になるのでしょうか。
 
鏡合わせの世界。
 

 
こんなことを書いてもいいものかしら、と思いながら今日は書いてみました。
そんなメッセージをこの「スサ」が持ってきていました。
 

スサと羽衣。