書けないことが増えてきているのと
地上で動かされるようなことが増えてきており
飛躍的に学ぶことも増え
おぼえがきが間遠になってしまいます。
それでもお伝え出来ることは
タイミングを見ながらおぼえがきしたいと思います。
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5、6年前に鈴の形のビジョンがおもむろに視えて急いでスケッチに写しました。
昨年末、2024年5月の個展に『鈴』と降りてきたのでそのままに行われました。
この流れの中で5、6年前にビジョンで視た鈴は高次の世界の木の実であることがわかり、顕現も叶い、個展に出展されたときには『命の種 時じくの香(かく)の菓(このみ)』と名付けられました。
今年5月の個展期間中に葉付きの枇杷の実が届けられ、ビジョンで視た木の実は顕界では枇杷の実であることがわかりました。
枇杷の実が今年の個展時期と重なったことも偶然ではなく、既に5、6年前に(もっと前からかも知れません)初めからそのように誘導されていて私がその道を感知したのだと解りました。
「時じくの香(かく)の菓(このみ)」と言うのは日本に伝わる伝説で、常世の国に成る不老不死の実と言われています。
伝説の詳細については、リンクを貼らせていただいて省略させて下さい。詳しく書かれていることと、現在では大和橘が「時じくの香(かく)の菓(このみ)」とされていることに疑問を呈して居られることも大切に思いますので以下のページをご紹介させていただきます。
https://nihonsinwa.com/page/1090.html
私が、枇杷が「時じくの香の菓」だと直感したのは、ビジョンを視たときからですが、その証拠が時を経て証明されていきました。
枇杷の実の「枇杷」という言葉の語源ですが、一般的には楽器の「琵琶」から来ているのだと言います。ただおかしなことに、鎌倉時代に日本に琵琶が渡ってくるよりも先に枇杷の木は日本にありました。もともとあった枇杷は、それでは楽器の琵琶が来る前は何と呼ばれていたのでしょう?それにもともと名前があったものを楽器が渡って来たことで名前を変えるなんて言うこともとても不自然に感じます。
様々調べて結果から申しますと、楽器の琵琶が渡って来る以前の枇杷の名前がわかりました。日本語のみならず外国語(主に私の得意分野のラテン語圏と、後は英語からの調査になりますが)で確認してもそのようになったのでおそらく間違いないと思います。
もともとの枇杷の名前は「蘆橘」と呼ばれていました。「あしたちばな」あるいは「ろきつ」と読みます。「時じくの香の菓」が橘であると言われるのはそれが蘆橘であったからだと解りました。
橘は太陽のシンボルであり太古は枇杷がその象徴でありました。日本の国名「豊葦原瑞穂國/トヨアシハラノミズホノクニ」の蘆(アシ)です。
これが解ったとき、太古の太陽のことだまを取り戻した感覚になりました。
日本は世界でもまれに見る多民族国家ですから、各地から沢山の植物も持ち込まれました。(このこともまさに地球のひな形だなあと思わされます)おそらく枇杷もその中で太古に日本に持ち込まれた植物なのでしょう。では一体どのような民族が、日本に枇杷を持ち込んだのでしょう。太古の太陽信仰に繋がるものがあると感じます。
今年5月の個展から数週間後、西宮神社で「おこしや祭り」と言うのが行われることを地元のmさんよりお知らせ頂きました。西宮神社にはヒルコが祭られています。
ちょうど5月の神戸の個展期間中に行った茶会瞑想で、西宮の海に行きアルクトゥルスの星のエネルギーを沢山受け取りました。海でアルクトゥルスから降ろされた旋律をみんなで響かせ波のエネルギーも優しい子守唄にたゆたって居りました。その海水を汲んで逗子に持ち帰り、地元の海にお繋ぎしようとしましたら、『この海水は西宮のヒルコに届けて欲しい』とのメッセージが来ました。
急いで調べますと西宮のmさんがお知らせ下さった西宮神社の「おこしや祭り」は二日後でした。すぐにその海水をmさんに送らせて頂き、西宮神社のヒルコに届けて下さるようお願いしました。
今年、西宮神社の本殿が改装中とのことでヒルコの結界が緩んでいることがわかりました。そしてmさんの手により「おこしや祭り」の際に滞りなく件の海水を眠れるヒルコにお届けすることが出来ました。『最後の機会に間に合った』、と言う感覚が降りてきました。
後にmさんが送って下さったメールや「おこしや祭り」のお写真から気づくことがありました。(mさんの了承を得てお写真掲載いたします)
ヒルコさんの御神輿に飾られた枇杷。
御神輿は楚々と静かに運ばれるのだそうです。
ヒルコを起こさぬように?
担ぐ棒の四方にとぐろを巻いた白蛇。
他にも鏡で囲われていたとのこと。結界?
日御子の目覚めを恐れている感じがします。
おこしや祭りの日限定で西宮神社で
枇杷の土鈴が授与されたとのこと。
答え合わせが完璧です。
地元のmさんによると
馬はヒルコの乗り物だそう。
夜中の丑の刻の真向かいは
真昼の午の刻。
ヒルコの乗り物とはこういう事かと。
ヒルコにまつわるあれこれすべてが太陽に繋がっていく。
海の向こうから海洋民族の手により運ばれてきたヒルコは淡路島を経て和田岬の現在ヒルコの森と呼ばれる湧水豊かな場所に上陸。(和田神社境内には海洋民族のシンボルの大きな矛のモニュメントがあります。ちなみに矛の柄には強度と粘度のある枇杷枝が用いられたとのこと。時代が下って農耕機具の柄に枇杷の枝が使われることに繋がります。)
表層的なことだけ書きますと、後々にアマテラスという新しい太陽シンボルを祭りたい大和政権の手により、ヒルコは西宮神社へと運ばれ眠らされました。ヒルコのシンボルである枇杷=蘆橘は、大和橘に取って代わられ、おこしや祭りはヒルコをエビスと言う別の新しい神との合祀でみえなくし、その名称とは裏腹にまるでヒルコを起こさないような配慮が成された神事になっています。こういったことは、多民族国家のこの国ではよくあることなのでしょう。
しかしそれももう終わりとなりました。来年からは目覚めたヒルコと、新たになった西宮神社の本殿でお目にかかれるのでしょう。
屮満月の夜に最後の結界が解けて地球のコアにあるマナの真水から眠っていたヒルコが起こされますから。これは戦いでも二項対立でもなく純粋な誕生のお祝いです。
懐かしくも新しい太古の太陽に向けられた祝いのエネルギーは、ある種ゆがめられたこの世界の図形を、本来の宇宙の美しい形へと還すエネルギーと成るでしょう。私はこのレイヤーに乗って参ります。
次の満月7月21日19時16分。地球のコアに眠らされたヒルコの目覚めをお祝いしたいと思います。ピンと来る方でしたらきっとお心合わせ、それぞれ各地で鈴を鳴らしたり、歌を歌ったり、と、各自その人らしいお心に浮かぶお祝いを成されることと思います***
新しい時代の祝いのいのりに*