つれづれ 0224

頂いたキンカンを工房に飾らせてもらってます。
ちいさな太陽ワカヒルメがいっぱい*
陽々とします*
そしてお久しぶりな感じのお日様
若水のよこで日向ぼっこしました。

 
今日もヤマトタケルの湧き水を汲ませていただきに。
途中とてもすてきなカフェを見つけました。。

殻の付いたまま乾燥させた珈琲の果実の飲み物・・
これが珈琲なのかー!という初めてのお味。
さらに試飲にいただいたのはコーヒーの果肉のなんというのでしょう、
コーヒーのチャイのような初めての飲み物。
コーヒーの果肉は、ベリーのようです。
いずれもとても美味しくて、古民家のお店内も、オーナー氏の距離感も
どれも心地が良くて、今日のお天気のように心がぽかぽかとしました。

 
ほっこりとさせていただいて
それから湧き水のお社へ参りました。
少しだけ境内のお掃除をさせていただいて、
それからいつものように美しく美味しいお水を汲ませていただきました。

雨と寒さで汲みに来られなかったので
湧き水のありがたさが心身に染み入ります。

家に帰ると山で摘ませていただいた野草を使っての朝昼ごはん作りました。
ツバキとヨモギの天ぷらにフキとカラスノエンドウのお味噌汁。
それから地元農園さんのお野菜をたくさん*
ありがたく頂きます。

 

コノハナサクヤヒメ

 

水槽を見ていると泳ぎたくなる。

目の前に大きなまあるいお月さまが昇ってまいりました。
  
 

鏡に生まれて

きょうも王様の古墳の上に昇る朝日
若水


 
だんだんこういう時代に成ってますます
自分は鏡として生まれてきたんだなと理解しています。
 
左利きに生まれたことは
多くの右利きの人たちには気づかないことを
たくさん気づかされ学ばされてきました。
その学びと気づきは今になって
生きていく上での魂の高いレベルでの宝物となっています。
 
左利きとして生まれたという私の状況と同じように、
なにかしらのそういったツールをもってこの世に生まれて、
自分や周りに学びを気付きをあたえている人たちは多くいると思います。
わたしの場合はそれが「左利き」というツールでした。
 
左利きであるというそのこと自体は
自分軸であれば何の不便も不自由もありませんが、
状況や環境や出会う人々によってさまざまな現象を見せられます。
 

 
小学時代に、給食の時に無言で私の左手のスプーンを取り上げ
無理やりに右手に持ち替えさせた担任の先生。
 
学校のはさみが右利きのためにつかいずらいといったら
『わがままだ』とクラスメイトに言われたこと。
そう言われたことを母親に言ったら『あんたが悪い』と言われたこと。
後日はさみを忘れた友人が私に『はさみかして』というので
わたしのはさみ(左利き用)を貸したら
そのクラスメイトは大変気まずい顔をして
『ちょっとこれつかいづらい』といってすぐに返却されたこと。
 
ほんのこれだけのことでも、
右利きだったら気づかないような
さまざまな世の中の人間模様を知ることができます。
 

 
巫女舞の方が、
肉体という器に実体のない魂を縛り付けておくために
着物の回転が決まっているのだというお話をしてくれたことがありました。
左まわりは解放。
右まわりは定着。
 
ですから亡くなったらもう肉体に魂を縛っておく必要なくなり
解放してやるので左前に着物を着せるのだとわかりました。
 
これはだいぶん前におぼえがきに書いたことがあるのですが、
これから次元上昇して必ずしも肉体をともなう必要のない世界も顕れてくるわけで、
(高次レベルでの多様性)
そうなってくると三次元的な着物の着方も、
亡くなった場合に限らず
魂を解放する左前の着方が必要になってくる場合もでてくるのかもしれないな、
と思いました。
 
このことをかつて書きましたときに、
『西洋では昔から女性を貶めようとして
女性の洋服は左前にさせられたのだ。
日本に西洋が入ってきたときにそれを強制されたのだ。
日本女性の人権を取り戻すためにも右前・右回転の着物を着るべきだ』
という意見の人があらわれました。
 
左前が貶めることになるという発想の理由がわかりませんでしたが、
様々な物の見方があるなあと思いつつも
『~すべき』という考え方にまず違和感を感じた私でした。
それならばわたしは、日本女性解放のために我慢して
着心地悪く違和感しかない右回転の着物を着なければならない、
「着るべき」ということになる。なんだかそんな世界はへんな気がする。
 
それと、
ラテン語文化圏の言語学と民俗学のご専門のスペイン人の先生から
8年間近くスペイン語を学んでいたことがあるので、
西洋の近代に続く民族文化や習慣、言語などの源はギリシャ発であること、
そしてギリシャの服の文化はギリシャ彫刻にみられるように、
四角く織った大きな布をピンでとめて着ていたので右前も左前もないこと、、
西洋から強制された女性の洋服が左前、というのは
もしあったとしてもかなり近代の話ではないかとわたしが指摘したら、
その人は、
『ただ○○さんという整体の人が言ってただけだから・・。
そのスペイン人の専門家の人の話も聞いてみたいです。』
との返信で、
わざわざ
~すべきという強い言葉で他人を縛ろうとする割には、
自分軸のないふわりとした意見のようでした。
 
でも「左利き」という鏡のツールを持つわたしからすれば
昨今のさまざまな自分軸とはかけ離れた強制的とも言えそうな事象を見ても
そういうことってこの世の中に案外多いかもしれません。
 

 
ここ数年でご縁いただいて出逢う方々ってそういう意味でとても楽です。
先日ご縁いただいたあおぞら友里さんと着物の話になって、
わたしが左利きで回転が逆だというお話とともに
『それで左回転で着物着ると「逆だよ~」って言われる。』というと、
友里さんはすぐさま
ん!もう!という感じで真意を汲み取ってくださって、
友里さんは右利きでいらっしゃるけど
みんながそうするからとか・伝統とか・経験だとかにまったく縛られず、
もうすっかり時代が変わっていることを
はっきりと魂の深いところに受け止めて
肚を決めて自分軸で生きておられる方。
 
明晰で軽やかに今を生きている方々は
とても良く似ていると思います。
 
先日おぼえがきに書かせていただいた
シリウスの郷の姫巫女さんもそうですが
たったひとりになって自らの魂に訊ねながら
いつもアンテナを立てて高次の振動を選択する連続で
今を渡りながら固定されずに生きている方が周りに増えてきています。
 
そうやって波乗りのように高い振動を選んで自分軸で生きていくこと
ほんとうに、とても大切な時代になってきています。
 

 
夜、なぜか海に呼ばれて。

海にたくさんうたいましたら
なんだか雨と涙(感情の伴わない自動流出)で
ぐしゃぐしゃになりほんとうにすっきり洗い流されました*
奄美口伝の神ミキから起こさせていただいた豆乳ヨーグルトをお夜食に。
神ミキ豆乳ヨーグルト*ふんわりやさしく醸されててほんとうに癒されます*

 

24時間は僕のもの

ただいまひとつの宇宙システムにのっとって
早起き続いています。

どうしたってやはりものづくりの性質上
仕事をしていると静寂な深夜を外すわけにはいかず、
このまま早起きを続けて体を壊したら元も子もないので
生活パターンが確立されて馴染むまで試行錯誤は覚悟の上ではありますが
いまはまだ試行錯誤の段階。
 
とはいえ思っていたようなきつさはないです。
朝日とのコンタクトもひなたぼっこ心地よい。

ふっとここでひさびさに思い出したのはスペインのシエスタの習慣。
スペインの友人たちをみていると、
陶芸工房やオフィス、学校は
日本と同じ時間帯・朝8時半頃から始まる感覚ですが、
大人も子供もごく一般的な夕食の時間は22時くらいから。
寝るのはそれからだから日本に比べてかなり遅いです。
それで睡眠時間は足りているのかというと、
とくにわたしの故郷の村がある南スペインは、
文字どうり殺人的な日射の時間帯を避けるためにも
日中14時~17時の時間帯は
ランチタイム&シエスタを取ることとし、
外出は控えるようにします。
スペインの私の友人の一人が曰く、
『こどもはシエスタしなくても元気だけど、
大人はシエスタで少し寝なければ身体がもたない。』と。
実際そこに住んでみれば、シエスタは命を守る習慣。
確かに確かにです。
 
その土地の環境や習慣を知らずに
ただ日中のシエスタのみに注目して
『スペイン人は怠け者だ。アンダルシア人は働かない。』
というのは事実ではありません。
スペインは怠け者だ、というレッテル貼りは、
意図的に流布されたもので
世界を労働で縛る側の勢力による意図が
その根底に流れています。
すごいよね、レッテル貼りの力。
いまも世界のそこここにこのやり方は見られます。
歴史的にそんなこと繰り返し起きているので
パターンが読めると、出どころはほぼ明らか。
レッテルに左右されずに
いかに自分の視点・自分軸が大切か、
ひいてはそれは自分の生活習慣と命を守ることになるのが
大きな視野で視ればよくわかります。
 
スペイン政府はとくにEUと成って以降
このシエスタの習慣をアンダルシア地方から何度も奪おうとしてきました。
効率が悪い、として。
しかし怠け者とされたレッテル貼りも関係なく、
シエスタの習慣が南スペインにいまもちゃんとあること、
ある意味、名もないごく普通の人々の勝利ともいえるでしょう。
命をまもるためですから、本質を行っています。
 
そもそも日本人は8時間労働が普通に思われていますが、
全世界の平均労働時間がそもそも2時間だそうで、
日本人は働きすぎだという世界視野からの意見も聞きます。
一日2時間の労働時間だとしたら、
全体的に大変質の良い仕事が丁寧に集中して出来そうです。
そういう意味で
いまの日本の平均的な労働パターンは
いったいいつから誰がそうだと決めたのでしょう
誰が敷いたレールをこんなにも大勢の人が
疑問に思うことすら奪われて当たり前のように歩かされているのでしょう。
そもそも労働って??
西洋では宗教経由の位置づけから労働は罰なんですよね。
アダムとイヴのあたりで課せられた罰。
ざっくり書きますと西洋の宗教思想の中には原罪とやらもありますしね。
決して「夢中になってやる好きなこと」は労働ではない位置づけです。
日本に西洋パターンが入ってきたのはいつ頃か見てみれば
さまざまな日本のそれまでの独自の習慣が同じ時期に壊されていることが
それが今も続いていることが
一目瞭然ですよね。
そんな風に目覚めさせてくれたのが、
わたしにとっての故郷、南スペインに暮らしたことでした。
 
話がずれましたので、閑話休題。
 
スペインのシエスタの習慣を
今の私に照らし合わせて
早起きして日中にシエスタすれば、
深夜の仕事に差しさわりなく
一日全体の眠りが確保できるのではないか。
・・・そんなことを思った一日でした。
 
シエスタをまだとりいれてなかった現在は
20時から24時くらいの4時間の記憶が突然なくなり
(気絶したように眠る)
なんとかその気絶の時間を
日中に持ってこられないかと思っているところでした。
気絶したように眠った後はエネルギー充電されているので
あとは時間帯をすこしずらそうかと。
そういう意味で南スペインの生活習慣って
心身にとって、ばっちり完璧かもしれない。
実際に南スペインの日常習慣の中で生活してきたことは
今になってあらためて、
命のための大きな学びだったなあと思います。
 
肉体は繊細で壊れやすい物。
大事にしたいです。

『若水/おちみず』

本日のタイトルの「24時間は僕のもの」は
小学5年生くらいの時に担任の先生が授業の中で読んでくれた、
ある小学生が書いたという作文のタイトルです。
その作文の主人公の「僕」は、
毎日決まった時間に起き
大人たちの言うままに小学校に通い、食べ、眠るのを
なんとなく疑問に思い、
ある日、両親・大人たちに内緒で
真夜中にひとりで起き出して
家じゅうを探検する、という内容でした。
 
とっても印象に残っていて、
今日の気分にぴったりでしたので
タイトルにしてみたのでした。
ほんと、24時間は誰のものでもなくわたしのもの。
変革変容のときはいつも
一度これまでの習慣が壊されてわちゃっとするものですが
わたしも今は新しい習慣に合わせて
宇宙のシステムを利用しながら
いまやっていることは
宇宙と大地にダイレクトにつながるわくわくすることに変わりはないので
自分軸のままどこにも無理をかけない形にうまく操作します~*
 
こうおぼえがきすることがまた
どなたかのヒントや力にもなれば幸いです*
24時間は僕のもの*
 

早起きつれづれ

 とても起きられないと思ったら起きられた。

弦楽器の弦に施す処置のために使用するお水を作りたくて
早起きは無理だと思っておりましたが
できました。
不可視の世界から半ば起こされたという感じですが。
それほどに
地上への顕現が必要とされるものざねなのでしょう。

若水のつくりかたを教えて下さる方が顕れて
大変ありがたく
そのようにおつくりさせていただいています。

ほんとうにたくさんの
可視不可視の存在にサポートされながらの連係プレイで、
一人ではとてもできなかったことが
いまはできるという自覚のもとに
進めさせていただいている案件が現在いくつかあり、
これは、地球にうまれて
ほんとうにこの魂がやりたかったことばかりだとわかるので
次々に扉がおおきく開くのが分かります。
このタイムラインすごい。
すごい時代になっています。

先日の雪で散ってしまったかと思いきや
さほど影響もなく庭の梅の花もいまはだいぶん咲いておりました。

王様の古墳から昇る朝日。
大変な高密度を若水に転写いたしました。
ここしばらくは水づくりの日々が続きます。

昨日も一昨日もさまざまな、
魂が本当にやりたいと思っている道を歩んでおられるかたがたと
お会いする機会があり・・
ほんとうにたくさんの深い情報交換と
次元上昇がありました。
ありがたいつながりです。
 
ひとつひとつの事象が濃すぎるのでここに書くことはむずかしいのですが・・
そのなかで、
現在進めさせて頂いている事象のひとつとして具体的には
次元の上がった地球にグラウンディングするサポートとなるツールを
顕現することができました。
まもなく詳しくお伝えできることと思います。
 
旧地球にグラウンディングしすぎているうえに、
『私、グラウンディングができてないんです』とおっしゃる方を
幾人も拝見してきて、
これはなぜなんだろう?と。。
そういったことへの疑問から始まり、
地球の次元上昇に合わせた、(もはやこの新しい地球には、
旧世界の「グラウンディング」という言葉すら本当は似つかわしくないのですが)
あえて言葉でお伝えすれば、
次元の上がった地球にグラウンディングする
サポートとなるものざねができたので、
現在自分で人体実験中。
(つまり足を大地につけない空中に浮いた状態での
これからのグラウンディングですよね。
そもそも高次の地球がそう(浮いている)なのですから。
これは「自分軸」という感覚・エネルギー的な体感にちかいと思います。)

すでに数人のかたにお試しいただき、
そして自分でも、
かなり強力な中空に浮いたグラウンディングのエネルギーを感じられました。
 
こちらのツールも陶芸作品を作るときと同じように
おりてきたものを顕現させていただいたのですが、
今回はこのものざねの使い方を教えて下さる方が、
完成したと同時に顕れる、、という
またもや不思議な連係プレーと
ありがたいサポートが
このものざねにも働いています。

耀わん水で満たした純金彩の蓋椀のなかに入れて
蓋をしたまま一晩ねかせたそのものざねが上の写真になります。
土と金の振動を持った子宮のような蓋椀と、
そのうつわを満たした耀わん水という羊水のなかで
誕生のエネルギーを、こちらのものざねは纏いました。
 
量産ができないものですので、
お一人お一人に合わせて調整しておつくりいたしますので、
オーダーメイドにて必要な方にお届けできたらと思っています。
準備が調いましたらまたおしらせさせてくださいね。
 
どうぞよろしくお願いいたします。
 

『冬空の宝石箱』終了いたしました

点滴堂さんの企画展
立春の日に最終日迎えました。
 
お心寄せて下さいました皆さま
ありがとうございました*
 
今回も素敵なタイトルテーマの、
そしてそのタイトルテーマから
『自由に広げて表現してください』との点滴堂オーナー様のありがたいお言葉のもと、
アミュレット/おまもりたちが生まれてまいりました。
 
このたびお迎え下さったアミュレットたちは
お手元でますます本質的なきらめきを増すことと思います。
なぜなら・・
ひとつのアミュレットに組みあがるまで
たくさんのお心あるひとびとの手を渡って
細い糸を手繰るような偶然の重なりにより
わたしの手元へとやってきたそれぞれのピースから
この星や宇宙にとって
もっともよき循環が起こることを
真摯にリーディングさせていただきひとつひとつの工程を丁寧に、
素材たちが持って生まれたエネルギーをそこなうことなく
今回のようなアミュレットというかたちが生まれましたから。アミュレットをお手元に置かれることでアミュレットに納められた人と自然との豊かな関わりと循環の流れ(氣)を感じ取られますように。
 
おりしも立春はもうひとつの本質的な新年。
はじまりはあらゆる誕生のお祝いのときでもあります*
この特別な時期に、
素敵な企画展にかかわらせていただきまして
ありがとうございました*
 

小さな星たちの集まりのようです*