
150年間品種改良されていないという無農薬無肥料のお米「旭1号」が手元にやってきました。
かなり重度のお米のアレルギーを発症してお米を食べることが恐怖となるほど苦しんだことが過去にありましたが、突き詰めてゆくと新種改良と、農薬など科学物質の添加によるものだと言うことがわかりました。
加えてお米の消化が私の体質的には負担になるようで、自分で作るパンの胃腸への軽やかさに比べて、消化という点で見てもお米はやはり体に負担に感じていました。
そんな中で、今回、旭と言うお米に出会い、現在様々売られているお米の元を辿ると、関東方面は「亀の尾」、関西方面では「旭」に辿れるのだそうです。
今回手に入れることが出来た旭は、150年間品種改良されていないというもの、更に無農薬無肥料のものでした。
さっそく土鍋で炊いてみたら一言で言って『飲み物』のよう。こんなたくさんの量のお米を食べたことがないくらいの量を、美味しくてつるつると飲み込むように平らげてしまいました。農家さんが最上の水分量を保つように見計らって精米(5分づきで今回お願いしました)して下さっていて、『美味しいベストな状態の時に食べて欲しい』と言うご配慮がそのまま、穀物の香り香ばしいお米の味に反映されていて感激でした。
今回お世話になった農家さんのおはなしによると、旭はかつて関西では『旭でなければ米じゃない』と言われていたほどだったものが、収穫の際に実が落ちやすく、また肥料負けして枯れやすいので、効率が悪いという近代の物差しで判断され市場から姿を消したそうです。
今回の旭を栽培された農家さんは、『肥料負けするなら肥料使わなければいいのでは』と言う推察がどんぴしゃり。旭は肥料がいらないお米でした。また実が落ちやすいと言うのは、機械での収穫は実が落ちるので、近代の感覚ではそれをマイナスとされましたが、実際にはそれだけ子孫繁栄させる為の植物の知恵によるもの。生命力に直結することですので良きことかな、として手作業での収穫に踏み切られたようでした。
昔は私は、品種改良は美味しくするためのものかと思っていたのですが、実際農家さんのお話をこうして伺うと、効率と利潤のためでした。そしてその為に私はお米が食べられなくなってしまいました。
そもそもそんなに四六時中年間通してたくさんの量を食べる必要があるのかな、と言う気持ちが四季折々の山の中を散策していても感じます。何より山の湧き水にもたくさんの滋養があり、必要なときに必要なだけ山や海は恵みをお裾分けしてくれる。。そんな視点で見ることで自分の食の意識も変わってきたように思います。食べることが恐怖となるほど苦しんだ経験もここに繋がっており、すべて必要として起きたことのように今では感じます。





















