あしのかわが

神戸から戻り
右足をふと見ると
怪我をした足首から指先まで全体的に
皮が剥けてきてる。
なにこれ。
脱皮?
そういう治りかた?
不思議です。
 
でも何となく心当たりはある。
神戸を発つ直前に訪れた場所のことから。
 
 
ヒルコが淡路島を渡って
最初に踏んだ本州の土は和田岬といわれています。
ですからこの岬一帯は『ヒルコの森』と呼ばれているそうです。
 
和田「わだ」は、神界では濁音はありませんから「わた」。
この音には海洋民族の玉が込められています。
 
 
ヒルコの森は湧き水豊かな土地で
今は有名どころの大手酒造メーカーが
このヒルコの森の泉を占有していて
関係者以外は汲むこと叶いませんが。
 
ヒルコの森も近代の開発により
かなり小さく縮小されてて
かつては海の際にあったであろうお社の場所も移されたのか
海が埋め立てられたのか
今残っているわずかなヒルコの森は
海のそばではあるはずだけれど
やはり海に面した土地はすべて
大会社に占有されて
ヒルコの森からは海を見ることはできません。
 
 
和田岬にお連れくださった先達のMさんのお話と現地のご案内で、
表に出てこない歴史のことや
目の当たりにした封印、
それでも高次より降りてきて
ひとに伝えようとしている存在たちがおられることを知り、
しっかり体感と共にメッセージ受け取って参りました。
あちらより求められた場所では
水火ムスビのエネルギーで応じることができて、
この日はおのずと今回お世話になったお二人と私の三人で詣でたのですが
三のフォーメーションが絶妙でした。
 
足がらみのメッセージで
私たちをこの和田岬に呼んだのは
こちらの白蛇(実際には白ではない色なのですがここでは白と例えます)だとわかりました。
高次の存在で境内に降りてこられる佳き場所がなくて
仕方がないご様子で一本の木を選んで降りてこられたように感じました。
 
祓い清め
水の浄化
火の浄化
 
お参りさせていただいた三人それぞれが持参した三つのお水と
うすずとこぐま鈴をもちいて
お役に立てましたら幸いですと
ここにお呼び下さってありがとうわかりました、とお伝えして参りました。

このあと同じくヒルコの森のなかに
かつて在ったのであろう
三ツ石の遺跡があるお社に
お参りさせていただいて、
ここがイソラにゆかりのある場所だとわかり心震えました。
ほっとひと心地するような雰囲気の境内でした。

白蛇さんからのお伝えなのでしょうか、
あしのかわのこのような脱皮は成長でもあり怪我の治癒の印のようです。
長らく汲みに行くこともできなかった
地元のヤマトタケルの湧き水へも
きっともうまもなく行けそうな見透しが立ってきました。
嬉しいです。
 
この巡り巡る現象の波に乗って来られた皆さまとご一緒できましたこと
ありがたく思います*
 

いのちのたべもの

ほんとうにありがたくいただいています。

いつものようにパンを焼いて。

たくさんの命のお野菜たち。ありがたくいただいています。

庭の桑の葉を乾かしてから煎じてお茶にします。
この日は突然クレープが食べたくなり
いつものサラダをそのままはさんだり←かなり美味しかった。
オーガニックカカオとメープルシロップで
チョコソースを作ってかけてみたり。
たのしみました*
この日は突然フォカッチャがたべたくなり
庭のローズマリーを摘みました。
やはりいつものサラダをはさんだのが好き*

心身の感覚に沿うように
大切なお野菜のごはんをたべることも
着る服の素材を選ぶことも
お風呂につかることも
足のけがにうたをうたうことも
作品と言われるものを作ることも
すべて繋がっていて
すべて心の中のわけへだてのない同じ場所に在ります。
 

自分のために樹齢100年以上の老木から採れた
岩茶を淹れました。

3月3日以降の若水つくりの月のターンに入ってから
今回の満月が初めてはっきりとそのお姿をのぞかせてくれた日となりました。
屋根に座ってゆっくりと満月と語らいました。
どこか、待ちかねた・・というような感覚が伝わってきました。
 

もとにもどるのはゆっくり

ひびきわたるシベリア杉シリーズの本の中で
アナスタシアが言っていたことは、
もとにもどるのはゆっくり、だと言うこと。
この本の執筆をされているウラジーミル氏が森の奥に一人で住むアナスタシアに、
目の前の野の花の色を
変えることができるか?と訪ねると
アナスタシアはできる、という。
そこでウラジーミルの要望に応えて目の前の花の色を変えるアナスタシア。
ウラジーミルは驚嘆し、
そしてもとに戻してくれ、という。
するとアナスタシアは悲しげに
もとに戻るのはゆっくりだ、時間がかかるものなのだ、と伝える。
 

 
足を怪我して最近はこの場面をよく思い出している。
まるで私の足の怪我のよう。
自然の摂理。
 
だとしたら、お野菜などがひとに都合よく品種改良などされるということは
植物にとっては怪我を負うことと同じかもしれない。
一代限りと言われるF1品種から種を採って育てても元の株に戻っていく(=人の視点で”効率悪くなる”)というから
敢えて種採りを繰り返して
ゆっくりともとに戻してやればよいのかもしれない。怪我を負っている状態から本来の姿を、リズムを、とり戻すために。
効率など必要のない個人個人の生き方のレベルの中で。
 

つれづれ

足を怪我して毎日の中で、
努力して何かやるって言うのはほんとにだめだなと実地で思った。
それは本質からどんどんずれていく。
その時の流れが来たら流れに乗るだけなのだ。

本質の流れ・本流に乗るための
からだ作りの食のことを
松村潔さんが以前お話ししていたことをぼんやりと思い出す。

西洋思想や現代の医療における食への取り組みが実際に心身に必要なエネルギーとはかなり乖離して遅れており、未だに改善されていない。
入院したときの病院食を見て
『殺される』と松村氏は思ったそうです。
まず糖質さえとらなければ、
ほとんど食べなくても人は平気なのだそう。
人参や玉ねぎなど糖分を含んだ野菜含めてとらないようにしているとの氏のお話でした。(加えて同氏の、なるべく自分のエネルギーを使わないための食事というものも興味深い)
 
私も足を怪我したことで、山の湧き水を汲んだり、農園のお野菜を買いに行けなくなり
改めてエネルギーの高い食のことを思います。
少なくとも今の自分に出来ることとして目の前の食やお水に高振動の水やエネルギーを転写してから頂いています。 

2016年と2018年に重度の食のアレルギー(添加物や残留農薬、不自然な品種改良等の複合的原因による)発祥により、文字通りのたうち回るほどの苦しみを負った経験がありますから(体が不自然なものをもう受け付けない、という意思表示ですよね。)
もはや食のことも、ダメージを受けた体の回復のことも、自分の体に訊いて回復させていく以外にまず方法はないと悟っています。
今は1日に2食でもちょっと多い。
食べ過ぎると怪我の治りが遅くなるとも昔から言いますよね。
『肉や魚介を食べると治癒が遅くなる』とのメッセージも今回来ているので
(それを食べたいとも私が思っていないこともあり)
知り合いの方が育てた完全自然農の玄米か
信頼できる農家さんが育てた石臼挽きの小麦粉で作った自家製のパンを主食に、
庭の梅の木の梅干しと、
地元自然農の農家さんで採れたお野菜たっぷりのサラダ、
たまにオーガニックの地元のお店で売られている地鶏の卵を食しています。
あとはお茶をたくさん飲みます。緑茶やスギナ茶、桑の葉茶。緑茶は無農薬・無肥料のもの。スギナと桑の葉もいわずもがな私が親しくしている地元の大地から生えた大いなる自然のもの。
いつもの食事内容からすると少な目ですが
何となく今の私が落ち着くメニューです。
自分で自分の体の声を訊くことができる上で、サポート体制の整ったエネルギーを受けとることが大事です。
過不足なしで。

今回の足の怪我により
外を普通に歩けるようになるまで
今のところ二、三週間を見ていますが、
すべて受け取って参りましょうと思っております。

怪我をしているようなときって感覚が大変鋭くなっていますので
この間に個展作品やご依頼の作品を制作できること。
制作には支障のない怪我であったことに感謝いたします。
 

 

つれづれ

お天気だったので作品の乾燥は庭の木漏れ日にて。
最近庭の振動がとても高く繊細でここち良いのです。

どこかからのこぼれ種のアマポーラ。
蕾がいくつか開き始めています。
例年以上にスズランたちがたくさん地面から顔を出しました。
新潟から移植した在来種の日本スズランです。
昨年の剪定が上手かったのかジャスミンの開花、圧倒的。
次々に咲くお花を摘んで工房がいつもよい香りです*
土のシンギングボウルの中に花を入れ工房で作陶しながら演奏したら
その響きを転写された成形途中の作品が
とってもご機嫌になっているのがわかります*

 
夕方にヤマトタケルの湧き水を汲ませていただきに参りました。

こちらもつつじが満開で花たちか語りかけてくるのが嬉しい。
水の本質は「玉」だというそのままの姿に。
 
木も水も土も
ちゃんとその領域にチャンネルを合わせたら
みんなひとなつこく語り掛けてきます。