詰め詰めでハートから湧き上がる

窯出し市の特設サイト
いちおう形としては例年どうりにもう出来上がってはいるのですが。
 
しかしここにきて
濃厚なエネルギーがつぎつぎ降りて来るので
できるところまで詰めています。
 
写真を撮って
作品ごとに画像のレイアウト調整し
窯出し市特設サイトにアップして
データーを入力して
通常はそれで終わりのはずなのですが、
今回ばかりは違うみたい。
 
こんな感じで↓(いちおう内容はぼかします)

ハートで受け取ったものを作品ごとに都度メモしています。
数値や言葉、あるいはエネルギーそのままの形で
矢継ぎ早に降りて来るので
改めてその降りて来たメッセージに沿って
それぞれ画像を追加したり
データを作り直したり
ぎりぎりまで
明日も不足と思われる作品写真を撮影いたします*
そうすることで、
きっとご覧くださる皆さまにお伝えできる事があるのだと確信しています。
作品を作る時と同じように、パイプ役の私はただ手足となってうごくだけ。
不可視の世界と繋がることもだんだんわかって来て
軽やかに動けるようになりました*
私が陶芸作品を通して一番やりたかったこと・本質に届く事が、
こうして窯出し市でも、いま出来ているのかもしれません*
 
現段階で構築し終わった窯出し市のサイトを俯瞰で眺めて
ああ、私の魂はこういうことがしたかったんだなあ、、と
今日あらためてほんとうに思ったのです。
 
私の陶芸活動においてもここ2,3年で断捨離がありました。
陶芸を仕事としてから約27年目にしてやっと、、
沢山の可視・不可視の心近しいみなさまのサポートを受けて
ようやく本筋に戻れたのかもしれません。
この地球で貴重なご縁を頂いている事、改めて感謝いたします*
 
この窯出し市をご覧の皆さまがお楽しみ下さったら幸いです。
明日28日21時よりオープンいたします。

◇秋のMAJO窯出し市◇
 
会期 10月28日(木)21時~11月8日(月)21時
会場 http://majoceramica.cart.fc2.com
 
うまく表示されない場合はこちらからご入場ください*
http://majoceramica.cart.fc2.com/?ca=all
 
どうぞよろしくお願い致します。
 
 
 

うつわ

ラテン語を話す国では、女性名詞と男性名詞というものがあります。
 
同じラテン語圏でも
海のことを女性形で言う国もあれば
男性形で言う国もあって。
 
昔、言語学と民族学にお詳しいスペイン語の先生に
そのことについてお聞きしたことがあるのですが、
スペインでも、海に沿って住む人たちは
海のことを女性形で la mar と言いあらわしているのだそうです。
そして海から離れた内陸の人たちが海のことを男性形 el mar と言う。
現在のスペインを形成しているのが内陸に住む勢力だからでしょうか、
スペイン語のオフィシャルでは海のことを el mar といいます。
これは様々な角度から見ても示唆あることだなあと思いました。
 
ともあれ、目に見えている歴史も言語も暫定的なもの。
この世界に顕れる目に見えるもの・音に聞こえるものは
手掛かりになりはすれども、
本質はもっと深いところにあるのでしょう。
 
・・すくなくともこれまでの世界では。
 
 


 
毎日のように浜辺に立っていると
自分の足元からそのまま直接一度も途切れることなく
深い深い海の底に続いているのだという実感が在ります。
 
さらに深く深く潜っていくと
そこは内宇宙になっていて
そこから俯瞰してみれば、
海というのは大きな大地のうつわの内の水たまり。
 
大地のうつわというのは地母神ともいわれる女神であり
水たまりは男神であるということに行き着くのでした。
 
 
セオリツヒメの声をきき
スサノオノミコトの声をきく
 
 
 

 
 
 

最後の晩餐

昨日は最後の晩餐というメッセージが降りてきて
氣付くことたくさんありました。

食に関して様々な視点があり、
それが自然のこと。
久々の波動の重い食に触れて、
エネルギー体と顕界の肉体のバランスの大切さと
やはり氣功の学校で学んだ天野泰司先生のさじ加減は絶妙だったと。
天野氏が言う、食に関しては最低限サプリメントは採らない
ということの意味は意外と深い。
エネルギーは肉体だけのものではないからね。
あと大概の失敗は、「時間がない」ということにある。
早く~できる、というのに現代が洗脳され過ぎて色々やらかしている、
と言うことです。

やはり食においてもエネルギーでみるなら、
二項対立をやめて
自然のタイムラインに乗ることが何より大事と改めて思います。
脳みそ第一主義の世界から卒業して
(三次元の波動の重い世界でしか脳は使えないので
実際にエネルギーの世界では必要ないもの)
重い波動の食のあとは振動が荒くなってしまい、
胃腸も語りかけてこなくなるということも体感済み。
はっきりと自分の立ち位置と心身のエネルギー調整が
これまでのスタンスで間違ってないことの確認。
そういう意味で
肉体とエネルギー体に必要な食を俯瞰で確認ができて
心置きなく要らないものを手放せるように
最後の晩餐を用意してもらえたのだ、という冒頭のメッセージでした。

昨日は、自然の振動に還り、心置きなく手放しができる流れに感謝の日でした*
食に関して重い波動のものは綺麗に手放して扉を閉める必要があったのだと、実際に。

もうかなり昔に聞いた話だけど
日常習慣的に食べてるものの見直しとして、
その食材の原型の姿をパッと目でみて
『食べたい』と思うものが
その人に必要な食材と言うかたがいて
なるほどと。

例えば森のなかで熟した木の実をみて
『わぁ美味しそう!食べたい』
と思うならそれは必要な食べてもよい食材。

例えば森のなかで牛をみて
『わぁ美味しそう!食べたい』
と思うならそれは必要な食べてもよい食材。

昔、アグネスチャンが日本に来たときに、
公園にたくさん鳩がいるのをみて
『美味しそう!』と思ったと言っていて、
まさにそういう自然の感覚だなあ、と。

なんの理論も必要なく大変分かりやすいのです。
スペインに居たときに牧場で牛をみて
美味しそうと言った人を知ってますが
(他の友人はそれを聞いてぎょっとしてましたが・笑)
土壌や環境、状態によって、
ひとそれぞれに心身によい食はカテゴライズできない。
食やそれに付随するものは結局は可視不可視のエネルギーなので、
カテゴライズできない。
もちろん不食もありです。
色々健康食の世界でもブームがありますが
ちょっとした脅しの入ったネガティブ情報で
右往左往させるのはいまの伝染病ブームと同じ手法ですね。

食材の原型の姿をみて
意識や知識が働く前に
『美味しそう』とパッと感じるのは
直感が働いてるから、食においても何事においても間違いないと思います。
 
『ツボの経絡がこうだからここに効く、
みたいなことを下手に勉強などすると
固定概念ができて氣功ができなくなる、
人の体がどういう経緯で治るかなどわからない、
最低限体の自然の邪魔をしない、というのが基本です』
と上記の天野先生がいっていましたが、
そういうことですね。
加えて常に「いま」を視ることが大事。
 
脳優位になって内の声が聞こえなくなる社会システム化されたもの、
カテゴライズされたものからのサヨナラという断捨離もあってよいでしょう。
対外的に二項対立させず、自分内宇宙の中ですべて統合してできることです。
 
習慣や外からの情報をまず排除して
魂研ぎ澄ませて一人一人が自分の内の声を聞く。
それが食の核心です。
すべて内側から繋がっています。
 
 
*余談
波動が落ちてると言語化しやすくなるのね。
当然とはいえわかりやすくて面白いね。
これも上手に調整、利用できたらよいのかもしれません。

 
 
 

起こってもいない事へのネガティブな想像はいらないね。
多くの人が人生で思考する内容のうち8割をネガティブな思考が占める、
という研究結果があるそうだけど
未来というのは幻想で
ほんとうは今しかない。
今に視点を当てれば
未来の心配なんてしてる暇などない。

幻想をみせることによる操作は終わる
・・という実感。
 
直接知っている方々が育てたお野菜。
自分で醸した調味料。
今しかない。

 
湧き出るお水をいま飲むこの時も今しかない。 
 
とても貴重な今の連続を生きている。