地元情報ですが。

 
部屋のなかに急にちょっと気になる感じで
普段以上に色んな種類の虫が入ってきているので、
こういうのって以前私が台風で被災したときの状況に似ています。
強めの暴風雨が来るかもしれませんし
なにか別の異常気象の前触れなのかもしれません。
 
暴風に飛びやすいものを調えたり、
寝る時は電化製品のコンセントを抜いておく、
雨滲みなどの日頃気になっている箇所を修理しておくなど
今から出来ることをしておくのは
もしかしたら
◎かもしれません。
 
取り越し苦労であれば善しとして
2019年9月の台風で被災した経験からの情報として記してみました。

 

駿さんの新作みてきました。その2

私は動きに関して、
アニメーターさんのようなプロではないから
専門的なことはわからないのだけれど、
それでも今回の新作を観たとき、
あれ?と思った。
 
なんだかジブリっぽくない動きだなぁ、
と感じる場面が何度もあり、
それにCGをこれまでにないほど
目立って多用していた。
 
駿さんのご年齢から
これまでのようにパワフルにすべてを統括することが難しくなってきており、
多くのことを信頼できるスタッフに任せた、
という話も聞いていたので
そういうことなのかな、と思いました。
もともとアニメーターであった駿さんの
動きに関しての徹底ぶりは
これまで何度も目に耳にしてきたこともあって、
今回の動きへの違和感は、
(本当に感覚的なものなのですが)
『ジブリらしくない』と初めて
思わされるものでした。(もちろん慣れ親しんだ「らしい動き」もたくさんあります!)
 
けれど、そうしてまで
駿さんが伝えたかったことがあるのだと
映画を観てわかりました。
 
たった一種類のポスターのみに絞って
一切の宣伝を打たなかったのは、
プロデューサーの鈴木さんの意向だとききます。
これまで宣伝することで何が起きていたのかを俯瞰でみれば、
今回宣伝がなかったことが何を意味するのか。。よくわかるような気がします。

つまり、ポニョ然り。
広告代理店を儲けさせねばならない
という鎖から解放されたことで
前述したように、
今回は自分らしく本質をようやく描くことができる基盤ができた。
例えばYouTubeでも
中央政権の意向から外れた
歴史や政治のことを述べると
広告収入がはがされるでしょう。
構造はそれと同じで、
事前にそういう枷を自らはがしたのだと
私は理解しています。
 
何より伝えたいことがある。
それを宣伝広告によって
ズレを起こさせたくなかった。
これまで何度も宮崎さんは、
ジブリ作品への世論の理解度について
『何でわからないのかなあ!』と
言っていたという話も聞きました。
伝えたいことが伝わってない。
 
今回の映画で
これまでご自身でしてきたことを
スタッフに任せ、
宣伝を最小限まで剥がし、
伝えたかったことは何なのでしょう。 
 
 
星読みをされている方々のお話が
足並み揃えてこれからの数年間は
大変な時代が来る、と言っています。
この映画のなかでもそれを示唆する台詞が
ラスト近くにあります。
 
振り返ってみると
宮崎さんの作品は
世の中の大きな流れを
一足先につかんでは伝えて来ていました。
おそらく始めは駿さんご本人も
そうとは知らずに、
だったのかもしれません。
 
地震と津波は未来少年コナンでも
繰り返し描かれていますが、
サリン事件、東北関東震災の津波、
大小の作品に描かれたことが
既視感をともなって
これまでこの世に実際に起こっていることに、
やはり周りのスタッフの方々も
気付いていたと思います。
 
年数をかけて映画は作られますから、
作品が公開されてそのあと
実際に現象として起きていたことが、
だんだんとそのタイムラグが狭まってきて、
短編作品On Your Mark公開のときには
現実に追い付かれた、
と言うお話も聞きました。
 
 
宮崎さんは、ご自身のことを
不動明王の化身だと仰っていたそうです。

ですから
ポニョの世界観に
セオリツヒメのシステムが反映されていることも然り、
今回の新作においても
不動明王、セオリツヒメ、ヤマトタケルの流れと視野でみて行けば
とてもシンプルで分かりやすい映画になっていると思います。
(不動明王のことについては
最近になって目黒不動尊の口伝の解禁から
納得することが現れてきており、
またセオリツヒメ、
ヤマトタケルについては
私もご縁が深く、
これまで何年にも渡って
おぼえがきしてきていますので
お読み下さってる方々には
ピンと来るものがもしかしたらあるかもしれません。)
 
駿さんは、
いわゆるシャーマニックに
作品を作られていて
(ものづくりには大なり小なりあることですが)
伝えて来ていることは
これから起きる大難、あるいは大きな浄化、破壊と再生でした。
それに付随する魂の成長の物語は駿さんの心の顕れかもしれません。
今回も今後起こることについて
登場人物の台詞にはっきりと伝えてきていました。
 
その駿さんのお伝え役のお役目も
今は終わりが見えてきて
『渡せるものは渡したのだから
あとは自分の道を決めなさい』と、
この作品で、この地球のこの次元に生まれてきたお役目の扉をパタンと閉めました。
この作品のラストシーンと重なり
心が震えます。
 
長きに渡って伝えてきたこと、
すべて渡し終えて
あとは自分で決めなさい。
君はどう生きるのか。
 
そういう映画だったと思います。
そのために生まれてきたかたが表現し尽くして
最後に綺麗に扉を閉めたその瞬間を
見せていただいたと思いました。
 

『何でわからないのかなあ!』
方舟を作って沢山の人々を救おうと呼び掛けたノアも
きっと駿さんと同じ台詞を言ったかもしれません。
 
 

蛙は黄泉よりよみがえったイザナミの象徴

 

駿さんの新作みてきました。

劇場公開の年に「崖の上のポニョ」を映画館で観てからずっと
今日観たこの映画を待っていたのだと思う。
 
ポニョを観終わったとき、
『いまはわからないけど
きっとあと5年ぐらいしたら
わかる』ような気がした。
そしてその予感は当たっていたように思う。
それから本当に5年位して
わたしもセオリツヒメのことを
させていただくようになったから。
 
ポニョの中で描かれていたことが
年々紐解かれてくうちに、
さらに遡って
宮崎さんは「未来少年コナン」のときからすでに、
セオリツヒメのことをされていたことが
手に取るようにはっきりとわかった。
コナンの最終回を観たときそう確信した。
 
そしてポニョでは
『宮崎さんもこういう映画を作るんだ。。』と思った。
母性と子宮、羊水に溢れた生と死の世界をみせられていたので。
それは言葉で分かりやすく言い表せば
『生まれて来る場所と死んでいく場所は同じ』
という、女神を中心に置くいわば黄泉の世界観だった。
 
ポニョが分かりにくい作りになっていたのは
沢山の制限(特に時間)があったからではないかな、、と思う。
そのぶんポッドキャストの方で
プロデューサーの鈴木さんが
それとなくフォローしていたけれど、
それもどれだけの人々に届いたのか。
 
そのポニョの中で描き切れなかったものが
「君たちはどう生きるか」に描かれていてはっとした。
今日、映画をみてきて
駿さんはちゃんとすべてわかっていたんだ、と思った。
ついにセオリツヒメが火を持った。
 
とても分かりやすく、
そして自分らしく、
本質を正直にようやく描くことができた
作品なのかもしれない。
少なくとも
宮崎さんはこの映画で綺麗に扉を閉めた。
まだこの世界にいるうちに
この映画を届けてくれたことに感謝です。
ポニョを観たときから、この映画をきっとずっと私は待っていたから。
心満たされました。
 
エンドロールが出たとき、
舞台だったら大きな拍手をしたかった。
実際にはがらがらの客席から
小さく長く拍手しながら
なにかに満たされ心震えて、
お祝いしたい気持ちになりました。
 
なので私なりに
お祝いのプリン✨

セオリツヒメのシステムを辿る仲間として
本当に素晴らしい映画でした***
 
まだまだ書きたいことはあるけれど
それはまたタイミングが来たとき
別の機会に。

13コの積み木でできている世界。

 

つれづれ

地元和菓子屋さんの店頭で
金髪白人系のかたが店員さんに
『水羊羹、何日持ちますか?』と
日本語で訊いていた。
 
わたしがスペイン語を習ったスペイン人の先生は、
民族学と言語学の専門家だったのだけど
日本人は外国人を見ると英語で話しかけてくる事に対して、
『英語わからないから、日本語で言って。』と応えてた。
普通の文庫本の小説を日本人と同じスピードで読む先生は、
近松門左衛門とシェイクスピアの時代性を含む類似点を指摘されたり、
とにかくスペイン語の授業が、活きた語学と文化の授業であった。
『本物の国際化や文化交流というのは
みんなが英語を話すことではなく、
訪問者が、訪れた国の言葉を話すことだ。』と言ってたけど、
言葉を介さないで通じる世界があることはまた別の話として、
国際陶芸文化交流でスペインに住んでいたわたしの実体験からも先生が仰っていたことは本当のことだと思ってる。

 
 

メモ

先日の『月が新しい太陽となる』のメッセージ受けて
「スサノオ」「太陽神」のキーワードから辿ると納得かつ更なる興味が。
 
いまはもう手放しましたが平田篤胤系(国学)の古神道を15年近く学んだので、
そこではスサノオはツクヨミと同一神とされていました。
しかし自分で感知するようになると、
同一とされるゆえんもわからなくはないが、
実際には異なるエネルギーを持っていることもわかりました。
あくまで私の立ち位置からの視点です。
 
下記リンク先は、自分が持ってるパズルのピースがはまりそうな内容が盛りだくさんで自分のメモとして。
スペイン土着のカトリックと古神道が似てると私が経験上感じていることも含めて。
 

 
(ちなみに日本には教義として入ってきているので肝心要な『大地』が欠けているものがカトリックとして、あるいはキリスト教として入って来ているのを、
土に近いスペインの窯元の町で聖歌隊として活動させていただいた経験を経たのちに、
帰国後も都内の幾つかのカトリック教会で歌わせて頂いていて感じました。そこには『大地』がないことを感じましたから(そもそも土着の文化ではないものが教義だけで入って来ているのですから当然のことです)教会で歌うことはもうやめました。
あくまで個人の経験からの正直な体感です。
 
特に旧約聖書の世界は、私は小学生二年生のとき初めて近所の教会に足を踏み入れてから独自にはまり『ここは自分の居場所だ』となぜか感知して
休まず教会にかよい、
後に長じて中高大学と西洋美術(主にカトリック美術専門)に片寄った美術を学び、
果てはヨーロッパで最もカトリックの戒律が厳しいとも言われるスペイン(なのでスペインには修道師が沢山修道に来るのです)に在住と、、
教義から土着の信仰までどっぷりだった私の人生はいったい。。全く信者ではないし、洗礼受けようと思ったことなど微塵もないのに、当たり前のようなこの流れ、そして呼ばれかた、本当に不思議です)
 

 
下記リンク先については私なりにも検証中なのでメモとして残します。
 
「日本神道の謎~古事記と旧約聖書が示すもの~」鹿島 昇
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-4518.html?sp
 
合わせてこちらも自分用のメモとして。

Wikipedia 天道
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%81%93