過去生を覚えている、というようなことを聞いたことがありますが、
私はある時から
地球に来る前の宇宙時代の過去生を
怒涛のように思い出してしまったことがあります。
それは長い長い気の遠くなるような旅の記憶でもありました。
その記憶が地球人として生まれたのちの過去生、
ノア箱舟の時代にも映されていると感じます。
もちろん現代にも。
いったいどれだけ旅をすればこの魂は気がすむのか、と。
たぶん旅が好きなのでしょう。
(今生のわたしもよく三次元的な旅をしていましたから・・)
自分の唯一の居場所だと感じた小学2年生の時の私は、
毎週日曜日に聖書のお話を聞きたくて教会に通いました。
(とてもお話上手な、髪のとても長い女の先生がいらしたのを憶えています)
ノアの箱舟のお話がでてきたり、
ひたすら人を許しつづけるイエスのお話を、
今の身近なことに例えてお話しくださいました。
この教会には小学五年生まで、一日も休まずに自主的に通っていました。
小学生時代の私の唯一の居心地の良い居場所でした。
私はクリスチャンではないですし、
洗礼を受けようと思ったことも全くありませんが、
聖書の物語のなかのある一遍に触れると、
たとえば「出エジプト記」など、
はっきりとビジョンと体感として
蘇ってくることが幼いころからありました。
大人になるとそういった繊細な感覚は、
社会システムの中で失われてゆくのですが、
5、6年くらい前からでしょうか、
同じビジョンがシンボリックに何度も顕れたり
偶然では説明しきれない不思議なことが
現実にたて続けに起こったりするので
わたしはその不可視の世界からの訴えを受け入れることにしました。
そうすることで根源からの声が
(耳から聞こえる声ではなく
心で受け止めるメッセージのような振動です)
なんとなくわかるようになってきました。
そして振動で受け取るということの大切さも覚えました。
可視の世界だけでなく不可視の世界も明らかにある。
宮沢賢治はこう書き残しています。
『わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)』
ほんとうにこの世界は賢治の言うこれこのままでした。
ですから
見えないものも視えますし、
無いように思っても明確に感じ得ます。
これまであまりに隠されてきたものが多すぎました。
人の脳みそは10%しか使われてないなどといいますが、
それは本当におかしなはなしで
もういい加減そういうのやめよう、と
宇宙の仲間が箱舟から呼び掛けてきているようです。
頭ではなく心で本当はうっすらと感じていることあるでしょう?と。
繊細な振動で目の前に置いてしっかり受け取ってみれば、
それは夢ではなかったんだとわかるでしょう、と。
点滴堂さんに出展中の作品『箱舟の見る夢』
陶芸で技術的にこういうことができるんだ、と思いながら、
今回初めての表現をこの作品に純金の点描で施しました。
エネルギー粒子。
器を傾け純金の粒子の集まりから顕れるもの。
視えますか?
何に視えましたか?
天使の翼だったり
天の川だったり・・
うつわに光をまとわせたとき、
心に浮かぶもの(=視えるもの)があればそれがその時の映し鏡です。
(そのときどきによって視えるものや
心に浮かぶものがちがうかもしれません)
可視だけでなく
不可視のものまでバランスよく視る
スタート地点のような作品になりました。
同時にうつわに対する近代に付けられたブロックも
外れるとよいなと思っています。
(お迎えくださったうつわたち、
ぜひ屋外に持ち出して、自然光のもとでご覧になってください。
陽光にきらきらとかがやく純金の高い振動や
土にふくまれる長い年月を経た
鉱石や植物たちのエネルギーが
豊かに伝わってくることと思います。
なにかふわっとしたものを感じ取られたら、
それは自然に共振しているということ。
それだけでもう十分お体やお心に
うつわの持つエネルギーが届いていることと思います)
点滴堂企画展
『庭のお花の妖精』
10月12日(水)~23(日)月・火定休
12:30~20:00
会場/ 点滴堂 http://tentekido.info
東京都武蔵野市中町1-10-3 2階
tel.090-6796-5281
※作家の在廊はありません。
~点滴堂さんHPより~
三鷹駅 北口 歩いて5分、
「点滴堂」はギャラリースペースのあるブックカフェ。
ちいさな店内にぎっしり詰まった書棚の古本はすべて販売してます。
作品の展示を楽しみつつ。
お気に入りの1冊を選びながら。
おいしい珈琲をご賞味ください♪