クロスするカミーノ

逗子の地名の由来が
すこし気になっていて、調べてみました。

逗子の郷土資料館(現在は閉鎖中)で
職員のかたが、
『逗子のこの周辺一帯は、
日本で一番最後に弥生時代になった、
つまり日本で一番長く
縄文時代が続いた場所です。』
とご説明いただいたことが
心に残っている。

だとすると、
もしこの土地の地名の由来が
延命寺の空海の厨子から来ている説が本当なら、
それ以前はこの土地は
なんという名前で呼ばれていたのだろう。
ヤマトタケルの伝説が残るこの土地ですから、
空海以前に何か他の土地の名前があったはず。

やはり延命寺の説は
公式には俗説と言われているように
無理があるように思います。
 
それで、
別の角度から探ってみれば
「逗子」というのは
クロスする街道、
辻を指す言葉だということが
わかりました。
 
以下、
逗子図書館の資料室より
転載いたします。
 
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『逗子道の辺史話 第13 集』
逗子道の辺史話の会 1982
※p11-12 『逗子町誌』記載の説に加え、『日本の地名』 松尾俊郎によると、「逗子」は辻(ツジ)に起源すると解釈 し、交通の要衡であった「逗子」は道にゆかりの地名と考 えるのが妥当としている。
 
『日本地名ルーツ辞典-歴史と文化を探る-』
創拓社 1992
※p273-274 地名の由来について諸説紹介するが、逗 子の地形からみて「辻」説を有力としている。
 
『逗子市誌 第2集』  古老を囲んで 逗子教育研究会研究調査部編集 逗子市 1956
※p20 『逗子町誌』記載の説に加え、逗子はツジ(交通 の要衡)という意味で、三浦半島の頸部にあり、横断道と の交叉点にあるために出た名であろうという浅香幸雄博 士の説を紹介。    
 
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逗子とは
交叉する道、
クロスするカミーノ
であったことがわかりました。

だから呼ばれたのかな。
逗子へ越してきたタイミングも
他に選択肢のない
どん底状態の時でしたから。
自分でそういう選択を
しないことはわかっていましたが、
こんな悪状況満載では
死を選択する人もいるんだろうな、と自分事を他人事のように理解した時期でした。
そして
わたしの身近な方々には
よくご存じ頂いていることですが、
2019年から何度も
他県への移住を試みた私でしたが、
住む家も決まり
引っ越しを決めたその月に
逗子の家が台風による被災、
その為引っ越しを順延するも、
順延したその直前に親が倒れる、
など。。
一人の力では解決できない
大きな引き留めの力が働いて、
ここ逗子から引っ越すことができなくなりました。
 
けれどその後
初めて土地の神様、海の神様、
それぞれのエネルギー体や
その元となるエネルギーに
音や響き、そして土を通して
本質で通じ合うことが
できるようになりました。
ぐいっと本質に引き戻されました。
そしてここに自分がいることが
『要石』であると
メッセージを受けとりました。
 
それらをすんなりと
何の引っ掛かりもなく素直に
受け入れられるようになり
何のために自分がこの星、
地球に生まれたのかを
憶(おも)い出しました。
 
この憶い出す、という感覚は、
カミーノ(サンティアゴ巡礼道)を
歩いたときに体験した
それまでの人生で感じたものとは
全く桁違いの
根源から沸き立つような幸福感と
寸分と違わない同じものでした。
 
出会う人や事象もそれからがらりと変わりました。
長くおぼえがきを
お読みくださっているかたでしたら
わたしがいまここに書いていることを
よくお分かりになられると思います。
 
高い密度の世界から
沸き立つ圧倒的な幸福感は、
クロスに放射して
この大地に繊細に振動しながら
小さな星粒のように広がって行きました。
 
逗子という地名は
クロスするカミーノ。
なんという名前を持つ場所なのでしょう。
今なら、
何故自分がここに呼ばれて
いまここにいるのか
心の奥深くから、
よくわかっている氣がします。
 
 

諏訪の森の奥の泉にて

昨年10月に
この地で受け取った流れのままに
 
降り立つ大地に湧く若水を
無垢の杯にいただき

自ら降りてきた星ぼしを
杯の鏡に映し飲み干すことで
自らの内より輝き増しながら
母なる大地に響き渡っていく。。
 
今回のリトリート詳細と
お申込みのページが調っております。
ご縁あります皆さまの
ご一読よろしくお願いいたします。
お申込みの受付は
7/17(月) 18:00までとなります。
 
『水と森の癒やし
よみがえり八ヶ岳リトリート』
https://smart.reservestock.jp/event_form/index/838438
 
高密度の時空にて魂との再会を。