諏訪大社上社本宮 ~リトリート

21~23日にかけて行いました諏訪でのリトリート。
ご参加のみなさんとは家族のような不思議なつながりを感じ、
『このメンバーでリトリートできてよかった』とのご感想もいただきました。
ほんとうに得難い時でした。
ありがとうございました***
 

 
出立前日に地元逗子の産土さんにお参りしました。
双子のイチョウのご神木にセミの抜け殻を見つけました。
『脱皮』は今回のリトリートぜんたいを通して大切なテーマと成りました。

 
朝4時に逗子を出立し、8時ころに諏訪に到着。
最初に上社本宮にお参りいたしました。
境内の巡り方をお掃除されていた巫女様に教えていただきました。

足元軽やかな石灯篭
柵が剣のかたち

小さな滝のある水辺で
オニヤンマの脱皮の抜け殻をみていたら
その傍らを
新しいボディを纏ったオニヤンマがツイーッと飛んで行きました。
 
つづく
 
 

駿さんの新作みてきました。

劇場公開の年に「崖の上のポニョ」を映画館で観てからずっと
今日観たこの映画を待っていたのだと思う。
 
ポニョを観終わったとき、
『いまはわからないけど
きっとあと5年ぐらいしたら
わかる』ような気がした。
そしてその予感は当たっていたように思う。
それから本当に5年位して
わたしもセオリツヒメのことを
させていただくようになったから。
 
ポニョの中で描かれていたことが
年々紐解かれてくうちに、
さらに遡って
宮崎さんは「未来少年コナン」のときからすでに、
セオリツヒメのことをされていたことが
手に取るようにはっきりとわかった。
コナンの最終回を観たときそう確信した。
 
そしてポニョでは
『宮崎さんもこういう映画を作るんだ。。』と思った。
母性と子宮、羊水に溢れた生と死の世界をみせられていたので。
それは言葉で分かりやすく言い表せば
『生まれて来る場所と死んでいく場所は同じ』
という、女神を中心に置くいわば黄泉の世界観だった。
 
ポニョが分かりにくい作りになっていたのは
沢山の制限(特に時間)があったからではないかな、、と思う。
そのぶんポッドキャストの方で
プロデューサーの鈴木さんが
それとなくフォローしていたけれど、
それもどれだけの人々に届いたのか。
 
そのポニョの中で描き切れなかったものが
「君たちはどう生きるか」に描かれていてはっとした。
今日、映画をみてきて
駿さんはちゃんとすべてわかっていたんだ、と思った。
ついにセオリツヒメが火を持った。
 
とても分かりやすく、
そして自分らしく、
本質を正直にようやく描くことができた
作品なのかもしれない。
少なくとも
宮崎さんはこの映画で綺麗に扉を閉めた。
まだこの世界にいるうちに
この映画を届けてくれたことに感謝です。
ポニョを観たときから、この映画をきっとずっと私は待っていたから。
心満たされました。
 
エンドロールが出たとき、
舞台だったら大きな拍手をしたかった。
実際にはがらがらの客席から
小さく長く拍手しながら
なにかに満たされ心震えて、
お祝いしたい気持ちになりました。
 
なので私なりに
お祝いのプリン✨

セオリツヒメのシステムを辿る仲間として
本当に素晴らしい映画でした***
 
まだまだ書きたいことはあるけれど
それはまたタイミングが来たとき
別の機会に。

13コの積み木でできている世界。