旅の始まり 11/26

出発の朝。王様の古墳の真上。

11月下旬の出張のことをこれまでもつれづれにおぼえがきしていますが、
ようやく今回の出張のはじまりのことを書ける状態に
たどり着きました。

これまでここ何日かに渡っておぼえがきしてきた旅のことも
時系列ではないのですが
その並び・書き順に意味があったことと受け止めています。
 
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今回の出張の旅の流れは
おととしの諏訪の森の奥の泉にはじまり、
去年のコノハナサクヤヒメを訪ねた富士山訪問から
今年の3月、7月と二度に渡るマナの泉でのご神事の流れ、
そして今年五月の神戸の和田神社のこと、
すべての流れのなかにはヒルコのエネルギーが宿っていたこと
すべて関わり合い繋がっています。
 
とくにこの流れが太古の太陽神ヒルコの復活の流れを汲んでいることに気づいたのは、ヒルコの本拠地・西宮神社でヒルコの「おこしや祭り」が行われているということを知ったこと、6月に現地でその祭りをつぶさにお伝えくださった西宮神社の産子の方が居られたことが、大きな気づきのきっかけに成っていることと思います。
 

 
今回の出張のはじまりは西宮神社から。
核心の場として呼ばれているのは淡路の沼島でしたが、
今年の春の神戸滞在では足の怪我のためそれも叶わず、
秋に成りようやく叶うことと成りました。
いや、
春の段階では、淡路島、としか感知していませんでしたが、
実際この秋に向かうことと成り、
淡路島ではなくその傍らの沼島に呼ばれていることが分かったのでした。
 
大切なことはいつも動いてみて初めて
その間際に明かされます。
今回の出張で呼ばれたこともそれだけ大切なことなのだとわかりました。
 

  
出張第一日目、
大切な旅の始まりはいつもまちがいなく雨です。

西宮神社境内
仮宮

不思議なことに、
今回の淡路島への出張の日程は『11/27』と降りてきていました。
そのとうりに旅程を組みましたら、
西宮神社の産子のかたより、
本殿の修復のためずっと仮宮に移されていたヒルコさんが、
11/28に、完成した新しい本殿に移されるのだ、とお知らせくださいました。
 
11/26に西の神社へとおもむき、仮宮にお参りさせていただくと、
そこにはヒルメさんがおまつりされていました。
 
11/28にヒルメさんとヒルコさんが統合されて本殿に移され
ヒルコ玉となることがわかりました。
ヒルコ玉というのは(さまざまなとらえ方がありますが、私が一番に感知していることとしては)星を造るエネルギーの玉のことです。
 
降りてきた日にち11/27、わたしたちは沼島に渡りました。
ヒルコさんを迎えにまいりました。
その当時はまだ詳細は何も明かされていませんでしたが
淡路島に行く、というだけで即答で7名の方々が集まりました。
今になって思えば、
かなり大きなエネルギーを動かしたことが分かります。
はじめからそうと知っていたら
そんなことはできなかったと思われます。

 直感で動ける方々とご一緒できましたこと、
ほんとうに幸いに思います。
 

石上神宮 11/30

今回の出張で訪れた場所はどこも呼ばれて訪れています。

今回の旅の最終日の予定を立てているとき、土地勘も何もない私に「石上神宮」と来ました。そのメッセージを受けると同時に旅の同行の方より『石上神宮に行きます』とのご連絡が。ダメ元でお願いしましたら車に同乗させて頂き連れて行って頂けることになりました。そのまますんなり奈良駅から帰る途中に石上神宮はありました。

思えば石上神宮の手水舎が夢に出てきたのはもう4、5年前のことでしょうか?その時もおぼえがきに書き記した記憶がありますが、今回、夢のままに実際の石上神宮の手水舎を目の当たりにするとそこには『布留社』と石に彫られてありました。

石上神宮の私の印象は、一言で言うとエネルギーにまとまりがなくバラバラな感じ。境内の杜は何故か荒れていて、何か鉄砲水か土砂崩れにでもさらわれた地表がそのまま放置されているかのような印象がありました。何故なんだろう。

そして境内の地面のしたで大きな水の神様がうごめいているのを感じました。『ここは水の神様のお社だね。』と口をついて私は言いました。

後で家に戻ってから石上神宮のホームページを見て驚きました。手水舎の真向かいに大きな池があり(現地では暗くて気づきませんでした)、そして本殿の後ろ側には一級河川の布留川が流れておりました。現地で感知したとおりにここの古くからのご祭神は間違いなく地元の龍蛇神、水の神様だと確信しました。

磯の神/イソノカミと言うくらいですから、かつては海洋民族が海から布留川を遡りこの地に矛を立てたのかも知れません。

社務所で暦を頂きましたが、何ともその内容が占い的なことばかり書かれていてこのような暦も初めて見ました。大抵は二十四節季に基づく農業のことが記載されているのですが。。やはり土地の土着のというよりは、外から入ってきた別の民族の打ち立てた神殿文化なのかも知れませんね。。古来の土着のものが地面の下に隠されて。。それでバラバラな印象を受けたのかも知れません。

七支刀と呼ばれる神剣が祭られているとも言いますが、それもまた百済からのものと言われています。

また石上神宮にもまつられているフツヌシノカミというのは、富士山の魔王天や、大甕神社に見られるように大抵封印した(土着の)ものの上に打ち立てられていることが多い印象です。

新しい地球での統合がうまくいくと良いです。それは石上神宮の荒れた杜の復活にも顕著に顕れてくることでしょう。そのような思いで境内を後にしました。