つれづれ

昨晩仕込んでおいたパン生地の二次発酵から始まった本日*

お昼過ぎに二次発酵〜焼き立てのパンを
遅めの朝昼ごはんにいただくことができました*
土の調整の様子が美しかったので。。パチリ。
セドナの土や屋久島の杉の粉などを胎土と合わせている様子です。

ここのところ工房に缶詰でしたので
あらゆる角度からのバランスをとるため久々の海散歩。

足もとに子犬のように慣れて戯れつく波と遊んで
美しい夕日をたっぷり浴びて
日が沈んでからはいつもの地元の拠り所のカフェへ。
食材に愛があり
心のこもった
お茶やお菓子を食べたり飲んだりすること
何気ない会話は
日常の中の佳きととのいであるなぁと
しみじみ感じておりました。
 
響人(ゆらびと・言葉でなくとも瞬時に通じ合う人)のお一人が曰く
『丁寧なお店はたくさんあるけれど、人情があるお店がなくなってしまった。』
ほんとうに。
そのご時世の中で幸いなことに、
地元の海のそばのこのカフェには今も人情溢れています。

 

叶う

9月の奈良の旅のお話です。

そこは深い山奥で
何ら立ち入り禁止とは掲示されてはいなかったのにもかかわらず
どこかそう易々とは立ち入ってはならないような空気感がありました。
かつてその場所を訪れたことがある方の先達により、
私たちは今回初めてその場所に足を足を運ばせていただきました。
 
神域に入る手間の左右の木に細い縄が張らて小さな紙垂がいくつか下がっておりました。それをくぐり抜けると思いがけず、
大小たくさんの磐座が並ぶ切り開かれた広い敷地がありました。
明らかに古代の形式を整えた祭祀場でした。
 
その山中を切り開いた広い祭祀場の元々その場にある土や石とは明らかに異なる地質から成る
どことなく隕石をも思わせるような磐座がいくつも並んでおり、
中でも大きな磐座の周囲には結界を示す撚った綱が張られ、
磐座そのものにも綱と紙垂がありました。
 
その大きな磐座の前には数メートルの高さの古い木の板の柱が立っていて、
そこに磐座の御祭神の神々の名がずらりと書き連ねられておりました。
雨風にさらされて柱の一番上に書かれていた御祭神の名は読めなくなっておりましたが
それより下に書かれている御祭神のお名前はそうそうたる神々。
水の神、火の神、星の神々、この地球創生を感じる太古の神々の御名前がずらりと書かれてありました。
 
一番上の神の名だけが推測する手だてもないほどに薄くなり読めなくなっておりましたのですが・・『どうやら二柱の御神名が書かれていたのではないか?』と
同行者のお一人が推察しておりました。
 
もちろんその場のエネルギーから直接そこに宿るものを読むことはできますし
その場で見せられたビジョンもありましたので問題はなかったのですが、
この場所のエネルギーが大和民族(?)にどのように捉えられていた(いる)のか
御祭神名がわかるとまた別の角度から、多角的に見えてくるものがあるかもしれないと
私は思っていたのでした。
 
その日の夜、あの磐座の中心の神様のお名前がわかるといいなあと思いながら、
その磐座のあった場所の近くにとった宿に戻り、その夜は眠りにつきました。
 
翌朝、その村を出発する間際、
通りすがりのご夫妻に道を尋ねられました。
『この近くに大物主と国常立様を祭る磐座がどこにあるかご存知でしょうか?』と。
近くの神社の境内を探しのだけれどそのような場所はなかったと言います。
さらにそのご夫妻は、YouTubeでその磐座のことを知ったと言い、
そのYouTubeの番組を見せてくれました。
するとそれは私たちが昨日訪れた磐座の場所で、
神域に入る手間の左右の木に細い縄が張られた小さな紙垂が映っておりました。
道を尋ねられた場所から少し離れたところでしたので、
『車で行かれた方が良いかもしれません』と
お伝えさせていただきましたが、歩いていかれるとのことで、
少しわかりにくい山中のその道をお知らせさせていただきました。
 
ご夫妻をお見送りしてから、
ようやくここで私は気づきました。
『あっ。』
あの読めなかったあの木の板の柱の御神名。
『大物主と国常立様を祭る磐座』とあのご夫妻は仰いました。
誰に尋ねるともなく私が知りたいと思っていた応えが
このような形でやってきたことがわかりました。
 
天地人の人のターンに入り、
人の願いはこのような形で叶えられること。
それを体験させてもらったと感じた一つの出来事でした。
 
 

鏡は宝珠のてっぺん

今朝、『鏡は宝珠のてっぺん』だと来ました。

現在オーダー受けて御冠を制作しているのですが、冠の中央にカカミが備わっている意匠と成っています。制作中に自然と天照大神やツクヨミのエネルギーに繋がりました。

今回のご依頼の土の調整段階では、梅や蓮の植物たちのエッセンスが入り、最後にご依頼主さまより届いた湧き水が入ることで見事にすべてバランスが取れたクリアな土と成りました。御冠はこの土でおつくりしています。

ミカカミ(御鏡)は以前よりおつくりさせて頂いておりますが、今回のオーダーのものは『鏡のような何か光るもの』、とのご依頼主さまのビジョンに沿うものとしてアクセスしました。ですから現代で言う鏡とは異なるものなのかも知れないと思いました。

そうしましたらやはり繋がる先はイシコリドメノミコト。天の岩戸開き神話に出て来る八咫鏡の制作者であり、比々多神社に現存する壺の制作者でもあります。

太古は、壷に水を張り天の星星を映す鏡としましたから、壺と鏡は繋がり深いものざねです。

お話を戻して。今回の制作もいつものように大変興味深く森羅万象に添う光る鏡のような何か、と言うスタンスで、新しい神話の鏡のつくりかたが降りてきたり、タイトルにしましたように、今日は作陶したものざねを施釉前にスポンジで磨くのですが、その作業をしていたときに『鏡は宝珠のてっぺん』だと来ました。これもまたあとからの答え合わせのメッセージです。

つまり作陶中、この鏡のような何かは、渦の中から生まれてくるビジョンがありましたので、器をひくのと同じようにしてろくろを用いて鏡のような何かをひきました。ろくろにかけられた先述の土は、中芯が島のように盛り上がりますから、その盛り上がりを指で鎮めて平にひきました。まるでなにか天地創造、国産みでもしているような氣持ちにもなる作陶工程でとても印象深い経験でした。

そしてその後今日のメッセージにある、宝珠とは土をろくろにかけたときの中芯が盛り上がった時のことを思い出させました。宝珠を穏やかな曲面のカーヴに調えたものが今回のご依頼の冠につける何か光る鏡のようなものとなりました。

今夜は窯焚きです。