弓がきてる

  

 
今月にはいってから
つぎつぎ折り重なるように「弓」のピースを渡される。
オーダー制作で。
諏訪で。
ダメ押しは先日観た駿さんの新作で。
(映画の中に弓がでてきたときは愕然としました)
 
ここ数年にわたるあちらからの頼まれごとは、
鏡、剣ときて
勾玉の前に弓が来るらしい。
ほんとうにその時の今になってみないとわからない。
 
写真は諏訪の神長官守矢史料館にて撮影。
 
 

モリヤ山遥拝所~八ヶ岳リトリートより

クロスの家紋

神長官守矢史料館 およびモリヤ山遥拝所にて。

クロスの家紋と海洋の欄間
薙鎌を打つことにより神木と成る。製鉄は守矢氏が持つ技術。
サナギ鈴
「木を依代に天から降り、地上にて石に宿る」
天空の茶室
ミシャグチの依代

 
川の水に足を浸し
栗の木陰で寝転んで
その時生まれたうたをうたい
その時生まれた舞いを舞う
 
 

毎日

不思議なことがあまりに色々起きるので
おぼえがきが追いつかない感じです。

黄金の湧き水
この時間にこの場所に来るようにと
アゲハに呼ばれた感じです。
お社に着いてから湧き水を汲み、
帰るまでずっと一緒でした。

 

駿さんの新作みてきました。その2

私は動きに関して、
アニメーターさんのようなプロではないから
専門的なことはわからないのだけれど、
それでも今回の新作を観たとき、
あれ?と思った。
 
なんだかジブリっぽくない動きだなぁ、
と感じる場面が何度もあり、
それにCGをこれまでにないほど
目立って多用していた。
 
駿さんのご年齢から
これまでのようにパワフルにすべてを統括することが難しくなってきており、
多くのことを信頼できるスタッフに任せた、
という話も聞いていたので
そういうことなのかな、と思いました。
もともとアニメーターであった駿さんの
動きに関しての徹底ぶりは
これまで何度も目に耳にしてきたこともあって、
今回の動きへの違和感は、
(本当に感覚的なものなのですが)
『ジブリらしくない』と初めて
思わされるものでした。(もちろん慣れ親しんだ「らしい動き」もたくさんあります!)
 
けれど、そうしてまで
駿さんが伝えたかったことがあるのだと
映画を観てわかりました。
 
たった一種類のポスターのみに絞って
一切の宣伝を打たなかったのは、
プロデューサーの鈴木さんの意向だとききます。
これまで宣伝することで何が起きていたのかを俯瞰でみれば、
今回宣伝がなかったことが何を意味するのか。。よくわかるような気がします。

つまり、ポニョ然り。
広告代理店を儲けさせねばならない
という鎖から解放されたことで
前述したように、
今回は自分らしく本質をようやく描くことができる基盤ができた。
例えばYouTubeでも
中央政権の意向から外れた
歴史や政治のことを述べると
広告収入がはがされるでしょう。
構造はそれと同じで、
事前にそういう枷を自らはがしたのだと
私は理解しています。
 
何より伝えたいことがある。
それを宣伝広告によって
ズレを起こさせたくなかった。
これまで何度も宮崎さんは、
ジブリ作品への世論の理解度について
『何でわからないのかなあ!』と
言っていたという話も聞きました。
伝えたいことが伝わってない。
 
今回の映画で
これまでご自身でしてきたことを
スタッフに任せ、
宣伝を最小限まで剥がし、
伝えたかったことは何なのでしょう。 
 
 
星読みをされている方々のお話が
足並み揃えてこれからの数年間は
大変な時代が来る、と言っています。
この映画のなかでもそれを示唆する台詞が
ラスト近くにあります。
 
振り返ってみると
宮崎さんの作品は
世の中の大きな流れを
一足先につかんでは伝えて来ていました。
おそらく始めは駿さんご本人も
そうとは知らずに、
だったのかもしれません。
 
地震と津波は未来少年コナンでも
繰り返し描かれていますが、
サリン事件、東北関東震災の津波、
大小の作品に描かれたことが
既視感をともなって
これまでこの世に実際に起こっていることに、
やはり周りのスタッフの方々も
気付いていたと思います。
 
年数をかけて映画は作られますから、
作品が公開されてそのあと
実際に現象として起きていたことが、
だんだんとそのタイムラグが狭まってきて、
短編作品On Your Mark公開のときには
現実に追い付かれた、
と言うお話も聞きました。
 
 
宮崎さんは、ご自身のことを
不動明王の化身だと仰っていたそうです。

ですから
ポニョの世界観に
セオリツヒメのシステムが反映されていることも然り、
今回の新作においても
不動明王、セオリツヒメ、ヤマトタケルの流れと視野でみて行けば
とてもシンプルで分かりやすい映画になっていると思います。
(不動明王のことについては
最近になって目黒不動尊の口伝の解禁から
納得することが現れてきており、
またセオリツヒメ、
ヤマトタケルについては
私もご縁が深く、
これまで何年にも渡って
おぼえがきしてきていますので
お読み下さってる方々には
ピンと来るものがもしかしたらあるかもしれません。)
 
駿さんは、
いわゆるシャーマニックに
作品を作られていて
(ものづくりには大なり小なりあることですが)
伝えて来ていることは
これから起きる大難、あるいは大きな浄化、破壊と再生でした。
それに付随する魂の成長の物語は駿さんの心の顕れかもしれません。
今回も今後起こることについて
登場人物の台詞にはっきりと伝えてきていました。
 
その駿さんのお伝え役のお役目も
今は終わりが見えてきて
『渡せるものは渡したのだから
あとは自分の道を決めなさい』と、
この作品で、この地球のこの次元に生まれてきたお役目の扉をパタンと閉めました。
この作品のラストシーンと重なり
心が震えます。
 
長きに渡って伝えてきたこと、
すべて渡し終えて
あとは自分で決めなさい。
君はどう生きるのか。
 
そういう映画だったと思います。
そのために生まれてきたかたが表現し尽くして
最後に綺麗に扉を閉めたその瞬間を
見せていただいたと思いました。
 

『何でわからないのかなあ!』
方舟を作って沢山の人々を救おうと呼び掛けたノアも
きっと駿さんと同じ台詞を言ったかもしれません。
 
 

蛙は黄泉よりよみがえったイザナミの象徴