泉源をたずねて その3

 
目の前に顕現する世界に言葉うしなう。
 

 
今回のコノハナサクヤヒメをキーワードとした旅にあたって
いくつかの訪れる候補地がありました。
 
いずれも説明できる理由がある候補地でしたが、
ひとつだけ、何故か気になるというだけで理由なき候補地が
白糸の滝でした。
 
ところが日程が近づくにつれ
今年の7月に諏訪から戻ってすぐに
すでにわたしが白糸の滝の源泉「おびん水」が気になっていたのだということを
(すっかり忘れていたのですが)
憶(おも)いだしたのでした。
これもまた不思議なことに、
トヨタマヒメさんの富士日記が検索で出てきまして、
改めましておびん水のご祭神が
木之花竜神
真之御柱竜神
磐長竜神
となっておりますことを確認し、
これが今回の旅のメインテーマだったのだとようやく氣づいたのでした。
 
現地に訪れる前日になって、
『おびん水に行くなら、土の弦楽器「わたつみ」をもっていかないでどうする?!』という
強めのメッセージを自らの内に受け取りました。
 
後になってわかるのですが、
わたしがこの大地にうまれてきてやりたかったことの
ひとつ(約束)が
 
「わたつみ」を富士の泉で響かせ
なにかを成すこと(言語化できないことです)
 
・・だったらしいのでした。
 
これまでの経験上
間際になって露になる事は最も重要なことであり
深いところへ到達できることでもあります。
果たして今回の旅もまったくそのとうりに運んだのでした。

とうとうと湧く泉「おびん水」。
ここから白糸の滝へ流れ落ちてゆきます。
友人撮影。
諏訪の森の奥の泉の水と
逗子の海の海水を
お繋ぎして

しばし
ワタツミの響きを
おとどけさせていただきました。
泉のまえでみなでワタツミ響かせました。
諏訪で『杯は星』のメッセージを受け
その時から「わたつみ」は
杯で弦を張るようにしています。
土の弦楽器「わたつみ」
泉の前でのご奉納演奏がすべて終わり片付けようとすると
ハートマークのカメムシさんが顕れました。
カメ=亀!
まるで
竜宮のオトヒメさまから
お心いただいたようで♡

お日様のもとに出てみると、
それまで居た泉の傍はまるで深い海の底のように感じました。

トヨタマヒメさん撮影
『荷物重いでしょう、持ってあげる』と
トヨタマヒメさんがわたしのリュックを
友人が「ワタツミ」の入ったスーツケースを
同じタイミングで持って下さったものだから
わたしは荷物がなくなって手ぶらになってしまいました。
それもなんだか可笑しな状況でしたが
ほんとうに心優しいお二人に感謝です。

ずうっと富士山が見守ってくれていました。
 
 

泉源をたずねて その1
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17745
 
泉源をたずねて その2
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17778
 

トヨタマヒメ富士日記に綴られていることと
合わせてご覧になってみてください。
この地球に生まれて、
私は、人生って面白いなあとつくづく思います*
 
『双子座の満月に、またあの方が富士山にやって来た 1128』
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12830483201.html

『KONOHANAさんを探して… プロローグ (1128のこと)』
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12830981484.html



 

泉源をたずねて その2

2項で動かなかったものも
3項で動き出す 回りだす。
 

 
6月の茶会瞑想の時に
それまで一度しかお会いしたことがないかたが、それもその時もほとんどお話もしたことがないかたが、
ご縁からご参加下さり、
『MAJOさんに有鹿神社のお水を届けるために来た』
とおっしゃるではないですか。
 
なんだか不思議なことがあるものだと
その時お預かりした有鹿神社(有鹿は「アルカ」と読みます)の湧き水は、
貫井神社の産子さんのご縁から貫井神社を中心とした東西南北
(諏訪、日光二荒山、江ノ島、井の頭公園)の
各地5ヵ所から持ち寄られた湧き水を合わせたものとともに合わせて
陶土を練りあげました。

東西南北の湧き水について貫井神社公式サイトhttps://nukuizinzya-official.amebaownd.com/pages/4887527/goriyaku-densetsu
 
その陶土からは桜色の、
舞と
茶杯と
ひさご形のそそぐうつわ・茶海が生まれました。
 
舞が生まれたと言うのは、
桜色の化粧土や
ラスター彩の釉薬(泥土状のもの)を
うつわにつけるときに
自然と舞うような手の動きが生まれるので
そのまま舞いながらつけたところからです。
土と水と鉱物とが合わさり
そうした自然現象の振るえに心寄せると
舞いが、やはり自然現象として生まれてくるのでした。
 
このときに生まれた茶杯と茶海(そそぐうつわ)は
「イノセント」と名付けられ
今回の旅にも持参したのですが
このお茶器についてのお話はまた後日に。
 
ここ富士三光大社では、
まだ手元に少し残っておりました
その有鹿神社の湧き水を
お繋ぎさせていただきました。
 
有鹿(アルカ)とは、有鹿神社の公式では水の意味とされています。
スペイン語(ラテン語)で「方舟」の意味。
(日本は様々な角度から見て世界でも稀にみる多民族国家であること
今では多角的な視点から検証証明されつつあるのでご存じの方も多いかと存じます)
方舟と水。
そして「方舟」というものは
旧約聖書に登場するノアの方舟のみならず、
星間を移動する宇宙船や
ドルメン
古墳(ピラミッド等も含む)
母体に宿る子宮
すべてに共通する
時空間を越える魂(エネルギー体)の乗り物のことを指しているという認識が
わたしの内にあります。
 
トヨタマヒメさんから、
三つの星をお祭りする三光大社にご案内したいとお伝えくださった時に
すぐにピンと有鹿神社の湧き水をお繋ぎしようと思ったのでした。
 
このように一つ一つの出来事が
とても綿密に繋がっており
言葉で説明しようとすると
とても長くなってしまいますが、
有鹿(アルカ)の湧き水について
少し詳しくその繋がりと現象をお伝えさせてもらってみました。
 
私がなぜノアの方舟の時代の記憶を持っているのかについても
お話しできることとできないことがあり
それはまたどこかで何かの機会がありましたときに。
 

今回の旅でははからずも
富士山の裾をぐるりと一周
回転するような旅程になりました。私たちも三人でしたから三人で巡ることで何か動いたものがあったのかもしれませんね。

各場所からの視点によって
富士山の姿が異なって見えることも初めての体験で
トヨタマヒメさんの解説と相まって
机上の学びとは全く異なり、ほんとうに多角的に興味尽きない旅となりました。

トヨタマヒメさんにご案内いただき心地よい森の中を歩いて
三つの星が祭られているお社へ・・

三光大社の入り口にて
多くは狛犬が置かれ居ると思われる場所に、
ここでは小さな二つのお社が
向かい合って建てられておりました。
 
この小さなお社の中にはちゃんと鏡がお祭りされており
向かい合っておりますのでちょうど合わせ鏡となっております。
その合わせ鏡のラインの真ん中を参道が通り、
クロスのエネルギーの道ができておりました。
 
お社自体はそう古くはなさそうに見えても
その台座の石垣が非常に古く
境内そのものがまるで古墳のように
広範囲に渡って土が盛られて高くなっている様子から
古代からのここは祭祀場だったのかも知れませんね。。と
トヨタマヒメさんのおはなしをお聞きしながら
境内の奥、拝殿へと進みます。

三ツ星を祭るとはいっても
富士山の遥拝所となっているようにも感じます。
拝殿のむこうまっすぐに富士山。
新しいお社の屋根に記されているのは
月、星、太陽の三つの星の彫物。
この星はシリウスを表しているとお聞きしますが・・
三つ星というと私はまずオリオンを思い浮かべてしまいます。
オリオンだとすると海洋民族とのつながりを思います。
 
ここの三つ星が月とシリウスと太陽だとしても、
あるいはオリオンだとしても
いずれにしても縄文人や海洋民族の星信仰を思わせます。
 
2年前にトヨタマヒメさんがご案内下さった魔王天。
ここにはたくさんのネプチューンの矛のような
先端が三つに分かれた矛がご奉納されていました。
なぜこのようなたくさんの矛が魔王天にご奉納されているのか
その理由はわからないとされているようですが、
素直に考えて、
富士山には海洋民族の痕跡がいまもあちこちに残っていると思われます。
 
海洋民族は湧き水ともつながり深いとも言われますし。。
航海の間、きれいな飲み水は必要で重要で、
陸に上がると彼らはまず綺麗な水を確保すべく
山に入り湧き水を探し船に運んだと言われています。
ヤマツミ(山の神)とワタツミ(海の神)は
どちらも海洋民族が祭っており、
その二柱が同一神ともいわれる所以でもあるのでしょう。
井戸もありましたが枯れておりました。
かつてはお水が湧いていたのでしょう。
井戸のなかに有鹿神社の湧き水、
そして逗子の友人が持参した逗子の海水を
おつなぎさせていただきました。
3で巡り出す。

境内にあるいくつかの小さなお社の屋根の形は
海洋民族が祭る屋根の形といわれるものと同じ形をしておりました。
 
ほんとうに気持ちよくてぽかぽかとあたたかい場所。
水の氣も感じるのでいまも湧き水は地面の下に湧いているのかもしれません。。

三つ巴。
3で回して開く。
なんだか水道の蛇口みたいなイメージ。
 
3頭のオオカミたちの向こうに見える石碑は・・
不動明王と彫られておりました!
やはりこれは湧き水、
そしてヤマトタケルのラインにもつながります。
不動明王とヤマトタケルは
昨年12月に口伝を公開にされた
目黒不動尊のご本尊はヤマトタケルであるという
ご住職のお話ともつながってきます。
そうなると、
目黒不動尊の奥宮といえる位置に白鳥神社がありますので、
白鳥=富士山
と、つい勝手な妄想が広がってしまいます・・
記紀にはかなりのページをさいて
ヤマトタケルのことが描かれていますが、
まるで意図的に避けるように
一切富士山のことは書かれていません。
実際に富士山周辺には
ヤマトタケルの伝承や遺物が
点在していると言うのに。。
先述しましたクロスの真ん中にも
水道の蛇口フォーメーション(仮名)を無限大バージョンで。
なぜか自然にそのようにさせられました。
言葉で説明がつかない直感的なことほど
正確で信頼できることはありません。
トヨタマヒメさんがオオカミたちを愛でて下さり*

参道から外れた少し広くなっている氣になる場所。
ここで祭祀をしていたのかもしれませんね、とトヨタマヒメさん。
(縄文を何か思わせるものがありました。)
今は何もないけれど
とても氣の良いその場所から参道の向かい合うお社をパチリ。
 
深い懐に包まれるようないつまでも居たくなる場所でした。

しみじみほっこりとしながら参道を歩き鳥居を出て
(なぜか鳥居も新しい)
 
次の場所へとご案内頂きます。

つづく
 
 
泉源をたずねて その1
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17745
 
 

つれづれ メモ

海に呼ばれて海水を汲み
森の古墳におつなぎする
 
森で 天地結ぶうたうたう
天ノ川の鹿や精霊たち あつまってくる
 
木の葉の音
確かな気配と鳴き声
 
響き合い
さっぱりと洗い流され
生まれ変わる音開き
 
海でふたたび今度は自分のために
汲んだ海水を
今夜のお風呂に入れるのがたのしみです。
 
そんなささやかで大切な日常のひとこま。
 
 

岩茶に酔う

宮古島からの風を持つひめみこさまのご来場。

お見せできる作品も
お越しになる方によって
その日により変化するのも面白く

宮古島の風を持たれている方が
庭で作品お手に取っていただいているのを見ていたら
庭の置石が稼働し始めて・・この石は磐座に成るのだとわかりました。

庭があたらしい御嶽(うたき)のように。

 
もうずうっと昔からのお客様なのに
こんなふうにお逢いしてゆっくりおはなしするのは
思えば初めてのこと。
  

『ここにすべてある』という悟りは
これまでの結び直しでもあるのだなあと、
あたらしい時代の転換に
たいせつなときをごいっしょできるような
場をしつらえて
岩茶を美味しくいただいたり
土の楽器の響きに共鳴したり
古代から未来までの日本のことを語り合ったり
なんと豊かできらきらとした心休まるときでしょうか。

セッションともヒーリングとも展示会ともことなる、
・・もしかしたらそのすべて、ともいえる
カテゴライズできない時空間
茶会瞑想と作品販売会という形に
今回初めてさせていただいて本当に良かったと思いました。
 
お越しの皆様には深く感謝いたします。
本物のご縁をありがとうございます。
 
茶会瞑想と作品販売会につきまして
こちらに詳細を記しております。
ご縁あります方のお越しをお待ちしています。
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17239
 
 

磐座

昨年5月に訪れた磐座のことがまた立ち上がってきています。

 
土のシンギングボウルを顕現するにあたって背中を押された場所でもあり
土の弦楽器「わたつみ」さんの故郷です。
 
「わたつみ」さんは向津峰の磐座の大地のエネルギーと
諏訪の山の奥の母なる泉のエネルギーが合氣され、
産産しい誕生のエネルギーで成されています。
それは思えばどちらも縄文の、もしかしたらそれよりもっと古い
太古からのエネルギーの合氣でした。
宇宙的なものの顕現なので三次元的な時間軸では測れませんが。
 
こういった場所に呼ばれ、呼ばれたことで
じつはずうっともう昔からわたし自身にご縁のある場所であることに氣づき。。
地球に生きるということは憶(おも)いだすということなのかもしれない。
 
改めて昔見た舞台『ラ・マンチャの男』に出てくる台詞を想います。
 

 
『私はこれまでありのままの人生というものを嫌というほど見てきた。

……息をひきとる仲間を両の腕に抱いたこともある。
彼らはみな、うつろな目をして、
おれはなぜこうして死んでいくのかと私に聞いていたのではない。
いままでこんな人生なんのために生きてきたのかと私に聞いていたのだ。

ああ

人生自体がきちがいじみているとしたら、

では一体、本当の狂気とは何か?

本当の狂気とは?

夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。
現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。

だが、一番憎むべき狂気とは、
あるがままの人生にただ折り合いをつけてしまって
あるべき姿のために戦わないことだ。』

 

 
何のためにこの地球に生まれてきたのかを憶(おも)い出すことは
パンドラの箱に閉じ込められてしまった魂の救済そのものなのかもしれません。
そしてようやく、それを誰しも自らできる時代になったということです。