水笛 クーチャン~聖なる空

ものごころついたときから
40年近くに渡りずっと傍らに鳥がいました。
おおかたインコ・オウム類ばかりでした。
最後のインコの名前はクーちゃんといいました。
クーちゃんがなくなり、鳥を飼うことはやめました。
 
空を舞う生き物はそのまま空に。
 

 
ここのところおぼえがきにて
立て続けにお知らせをさせていただいておりますが
それは偶然ではなく理由があります。
 
これまでのような土に基づく天地繋ぐ
わたしのおしごとをさせていただけるのが、
多角的に見て、長くてあと一年半もないことがわかりました。
これまで30年かけて変容しながら歩んでまいりました
作陶の人生も大きな転機となり幕となります故に、
『いまできることを今月中に表明すること』との
心の奥深くから浮かんでくるメッセージにより、
いまはせいいっぱい限られた期限にむけて
いまできることのすべてを
お伝えさせていただいております。
(このことはすでに昨年のおぼえがきのなかで
やんわりお伝えさせていただいておりましたので
お読みの方には繰り返しになります。
読みづらく気づかれにくい構成となっておりますのも
それもまた理由があるようです。)
 
工房イソラも終了となりこれまでのような作陶活動は
完全に終了になること感じておりますので
その時に向けていまは動いています。
 
わたしがいまおつくり出来ることとして
ここのところお伝えさせていただいてきた最後のお伝えは
本日ご紹介いたします
『水笛 クーチャン~聖なる空』になります。


 
言霊使いの家系を継がれる高橋千穂さんより
『 「いつか」MAJOさんに
作っていただきたいものがあったのですが
もう期限が限られているとのこと。
ですからいまお願いします。
鳥の形の笛を作っていただきたいのです。』
とのご依頼をいただいたのは
昨年の秋頃だったかと思います。
「いつか」はもうないこと自覚いたします。
 
ご依頼をいただいてすぐ
『水笛にしましょうか』と
ご提案させていただきました。
なぜかそう心に浮かんだからです。
 
すると千穂さんからこのようなお返事が。
『驚きました。』と。
幼いころ陶の水笛をお持ちで
それが好きでよく鳴らしていたのだけれど
割られてしまって泣きながら土に埋めたという
想い出のお話でした。
それ以来、千穂さんは陶の水笛を探していたのだけれど
これといったものが見つからなくて。。とのことでした。
わたしも子供のころ、陶の水笛を持っていました。
もしかしたら同じモデルだったのかもしれません。。
 
もうひとつ驚いたことには、
千穂さんが心親しく飼われていたインコのお名前が
私が最後に飼っていたインコと同じ名前だったということ。
 
クーちゃん。
 
そして
「クーチャン」というのはマヤの言葉で
『聖なる空』
という意味なのだと千穂さんは教えてくれました。
 
 
今回の千穂さんのオーダーメイドでは
千穂さんが工房にご持参された水晶の粉を
陶の胎土に合わせて練り上げおつくりさせてもらいました。
水晶の波動を感じる水笛と成りました。
 
この笛を地上から吹き鳴らすことで
クーチャンの「音霊/オトタマ」が地上から天に舞い、
そうして響かせるかたがたが大地に増えること・・
素晴らしい次元に地球の森や海など自然の内側から変わること・・
そんなビジョンが浮かびましたので、
千穂さんの完成しましたクーチャンから
そのままかたどりさせていただけないか
お尋ねさせてもらいました。
 
ご快諾いただきまして、
こうして「水笛 クーチャン~聖なる空」を
オーダーメイドさせていただけることとなりました。
かたどりさせていただいたので、同じものがおつくり出来ますから、
半オーダーメイドでしょうか。
千穂さんのオーダーメイドでは
土に水晶の粉が入っていますが、
それは私の方ではご用意しかねますので、
ご希望でしたらご依頼の際にご自身でご用意された水晶の粉を工房までお送りいただけましたら
陶土に合わせて練り上げておつくりすることもご対応致します。
 
基本の水笛の原料としては、
胎土(赤津)
天草陶石(天草)
屋久杉の粉(屋久島の木工房さんよりお分けいただいたもの)
若水
ラスター彩(虹彩)
純金彩
純銀彩
になります。
必要な方は、
水晶の粉(小さじ1杯程度)や、湧き水(100ml程度)をお送り下されば
胎土と合わせて練り上げておつくりいたします。
 
net shopの「オーダーメイド」のカテゴリに
アップさせていただきましたので
詳しくはリンク先をご覧くださいませ。
https://majoceramica.cart.fc2.com/ca32/308/p-r32-s/
 
みなさまの共同創造のものざねとして
お役に立ちましたらしあわせに思います。
 
 
先日、富士山にて千穂さんがクーチャンを鳴らされている動画です。
(掲載のご許可いただきました)
クーチャンの音色をお聴きください。

 
水笛に湧き水や聖水をいれて
吹き鳴らす振動・・水笛というものざねの新たな認識。
自然とのより深い一体化。
すべての浄化。
そんなワードが浮かびます。
 

既にご紹介させて頂いた「竜宮のおとたま」と合わせて
最近になって少しずつこうした私の出来ることとしての「本質コラボレーション」がはじまっていること、この地上に新しい次の扉が開いて来ていることを感じます。
 
これまで長く、そしていつも
応援してくださっている方々に心から感謝いたします。
 
 

感謝の日常より

自然に歌がでてきます。

 

最近、鼻歌うたってますか?

町を歩いていて、鼻歌うたってる人をいつの頃からか見なくなったなぁと。私は、鼻歌は豊かさのバロメーターだと思うのです。

つれづれに先日の出来事をおぼえがきしてみます。

ご神具の制作をしていたまっただ中に、どうしても外出する用事ができて、町を歩いていたら、私の真後ろを歩いている女性二人の話し声が耳に入ってきて。それはなんと言うこともない単なる日常会話の内容だったのだけれども、ご神具の制作中は私の波動が通常ではない超越的に繊細な状態になっていたので、その女性二人の会話の振動が否応なしに耳に入って来続けるのがとてもつらかった。

狭い歩道の、なぜか私のすぐ真後ろでその二人の女性は話し続けておられて、私は、不協和音を強制的に聴かされ続けているような感じというのでしょうか、あまりにつらかったのでその時『いま私は私のために何ができるかな?』と心に訊ねたら、うたが出てきました。

海や山でいつもうたうように、いつもの声でいつものように歌いました。ただ自分のために。

すると二人の女性は、ぴたりと話すのをやめて私の真後ろにいたのを歩調を落として距離を置いてくれたのです。たすかりました。

単に『何この人、変な人~』と思われただけかも知れませんが、それは他人の評価であって私の軸では全く関係のないこと。そしてその時私が感じたのは、『町なかでうたうことってそんなに変なことだったっけ?』と言う新たな疑問でした。

私が子供の頃はけっこう普通にみんな日常のなかでうたってました。町のお店屋さん、買い物中のお母さん、通りすがりの人たち、誰でも自然と鼻歌が出てくる環境、それが普通でした。

人はいつから日常うたうことをやめたのだろう。他人の評価や他人の目線を優位に立ててうたうことをやめた?それはとても不自然なことで、もしかしたら人としてあり得ないレベルのことなのではないだろうか、と。自然の鳥はそんなうたいかたはしないよね、と。そんな疑問が心に湧いてきたのです。

人が人を監視して『それはおかしい』と定める。家で歌番組をみながらうたうのはよし、カラオケで歌うのはよし、特別に指定された空間でうたうのはよし、と、他人の目を気にして他人のお手本に習い、自らの内から湧き出すものを押さえ込んで無かったものとし続けたとしたら、人は何を失ってしまうのだろう。。日常はどうなってしまうのだろう。小さな小さな疑問が心に湧きました。

その日、私はそのまま、二人の女性のこともすっかり忘れてうたをうたいながら町の中を歩いていました。うたいだしたら、思いのほかとても心地よかったからです。私自身、町でうたうことにブロックがあったことに気づきながら。

こうして実際にうたってみると、町を歩きながらうたをうたうことは、以外とハードル低かったんだなあ、と。勝手に自分でハードル高いと思い込んでいただけなんだなあと、わかったのでした。

これからの時代、こう言った自分軸の思いや行動することは本当に大切になると言うことを体感で学んだ出来事でした。

1度、自分軸(他人視線の世界に生きるのではなく)で、町なかで鼻歌でもうたってみるとよいですよ。すると自分が何を失っていたのかハッキリわかると思います。