その時 11/27と28

おのころ島1 1/27」の記事のつづきになります。
 
おのころ島を漁船で周遊したことは、後に成ってかなり大きなエネルギーを動かしたのだということが分かりました。
たとえて言えば、
投網して沼島全体をぐるり包み込みすべてを翌日の西宮神社へ遷坐したような。。次元があまりに違うのでうまく言葉でお伝えできないもどかしさ、あるのですが、
だからこその肉体的なエネルギーの影響が(あまりに急速に次元が上がり)こうしていまに顕れてきているのだとも感じています。
 
沼島では、「おのころ島1 1/27」におぼえがきしましたように
沼島の漁港から船で沼島の周りを巡りエネルギーをお神輿のようにして運ぶチームと、
島に上陸してある場所からエネルギーを降ろし回すチームとに、
自然に分かれました。
だからこその7名編成での沼島行きだったのですね。。
 
(不思議なことに今回の旅で、メンバーが変わりながら常に7名の方々が関わっていたことに後から気づきました。)
 
沼島に上陸してエネルギーを降ろして舞によって回してくださっていたのは、富士山のマナの泉で祭祀をおこなわれたアイリ―さんでした。オーダーによりおつくりさせていただいたご神具の鏡をお使いに成り、その時の写真を後で見せていただいたのですが。。

アイリ―さん撮影

肉眼でもこのように見えていたのだそう。
アイリ―さんから複数のお写真を送ってくださってどの写真もすべて不思議なエネルギーに包まれており、
アイリ―さんご自身も鏡と一緒に写っておられて
それがまたピカピカに輝いて不思議でそして美しい。
 
沼島では、
海に行くチームと
山に行くチームとで
何も打ち合わせなどなくとも連携が取れていたことが後から分かり、
その日すべての船が運航中止の中、私たちの乗る漁船一隻だけが出港できたこと、
完璧な人払いがなされ最適最上な状態で、ヒルコさんとそれにつながる高次の方々から頼まれておりましたご神事をおこなうことができたのだとわかりました。
 
(その時はとにかく必死でしたのでわかりませんでしたが・・
沼島には、ぎりぎり夕方の時間帯に渡ったおかげさまで、
レンタカーを返す時間が西宮のレンタカー屋さんの閉店時間の夜8時に間に合わないかもと、帰りの車の中は最後までカオスでした。
(しかも間違えて高速から降りてしまうというトラブルや、ナビしていただいた先達の車とはぐれる・カーナビとして頼りにしていたスマホの電池がなくなる・等々・・・笑)
レンタカー屋さんに、あまりにできすぎなまでに夜8時ぴったりに到着した時には、
レンタカー屋さんのおじさんからも笑顔がこぼれ、
はぐれた私の運転する車を心配して待っていてくださっていた先達の車に乗っていた皆様からは拍手で迎えられたのでした。
可視不可視の世界合一によりこれは成なされたことなのだと、
いま思い返してもそう思わずにはいられません。
ご関係者のみなみなさま、本当にありがとうございました。
 

 
こういったことが11/27沼島で起こり
(そもそもがこの日程は、降りてきた日程でしたが)、
翌日11/28日には、
無事にヒルコさんが新しい神殿に遷坐されたことを、
西宮神社の産子mさんよりお伝えがありました。

mさん撮影
mさん撮影
mさん撮影
弁天池の弁天様と向かい合ってヒルコさんがお祭りされています。

嬉しや 嬉しや とうたう振動が伝わってきます。
 
ありがとうございました。
 
 

おのころ島 11/27

昨日のおぼえがきのつづきです。

雨の西宮神社参拝中に沼島の漁師さんから電話がありました。
この雨で海が荒れて明日の午前中まで荒波が残る見込みとのことで
明日のおのころ島クルーズは中止に成ります、とのこと。
 
私は、わかりました、といいながらも
呼ばれているのでそんなはずはないと何処かで思っていたのか、
淡路島から沼島へ渡る定期便は明日も運行予定とのことを漁師さんに確認し、
とにかく明日は沼島へは行きますので、その時その場でもしも波の様子によって漁船が出せそうでしたらお願いできますか?と、
頭で考えるより先に訊ねていました。
『明日の夕方4時ころでしたら・・可能性はゼロではありませんが。。』
と電話の向こうで漁師さんは答えられました。
とりあえずは明日の漁船での沼島周遊は中止に成り、
明日の夕方その時の判断で、万が一夕方に波が収まるようだったら船に乗せてほしい、とじゅうじゅう確認し電話を切りました。
 
七名のメンバーにもその旨を伝え、
変更になったことそしてそれでも沼島へは行くことを告げました。
 

 
翌日は朝は曇っていましたがやがて晴れて
淡路島の瀬織津姫の滝では不思議なヒルコのような太陽が姿を見せました。
そのときのおぼえがきです「淡路島 セオリツ」
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=23222
 
滝で神具を清め、
さらに淡路島を南下して島の最南端の港から
一時間に一便の定期船を待って沼島に渡りました。
 

沼島へ渡る定期船の窓から

この日はなんだか朝から強行軍で、朝ごはん以来夕方までほとんど何も食べていなかったので、沼島に渡るとすぐ地図を見ながら古民家のカフェに行きました。
 
カフェの方はとても気持ちのよいかたで、
ようこそようこそと迎えて下さいました。
 
淡路島とはまた全く異なる空気感が沼島にはありました。
 
『ここでもう一度電話してみよう』と漁師さんに電話をしてみました。
 

 
そもそもが沼島に来ることになったのはビジョンを視たからでした。
海上から島を一周ぐるりと見ているビジョンです。
 
へえっと思い、調べてみると地元の漁船をチャーターして沼島を一周してくださることが分かりました。
 
出発の日まで何度も何度も漁師さんに電話を掛けましたがなかなかつながらない。
何日目かにしてやっとつながって、ようやく漁船をチャーターできたのが、前日に中止となった、というのがこれまでの流れ。
 
当日の夕方4時頃なら可能性はゼロではない、という漁師さんの言葉を信じて、沼島の古民家カフェからもういちど漁師さんに電話をしました。
やはりなかなか電話に出られませんでしたが、何度かかけて繋がり、
昨日電話した者ですが、いま沼島に居るのですが、波の様子はいかがですか?と尋ねました。
 
この時はすでに天候は晴れていましたが海の様子はちがうかもしれません。
電話に出た漁師さんは言いました。
『わかりました。船長と話してみます。折り返しお返事いたします。』と。
 
どきどきしながら折り返しの電話を待っていると果たして、
波と風の様子から一時間ほどなら舟を出せること、
いますぐ港に来られますか?とのことでした。
 
古民家カフェでちょうどみなさん飲み物を注文されたところでしたが、カフェの方に事情を話すと、テイクアウトに変更できますよ!とすぐに準備をしてくださって、頼んだドリンクを持ち運べるように調えて下さったのでした。
 
すべての流れに感謝です。
 

古民家カフェのある小さな漁港

 
港に行くと電話でお話しした漁師さんが途中まで迎えに来られて、
ちょうどいま左右から来る波がぶつかり合って大きな波を打ち消していること、
そして風も左右からちょうど互いに吹きあう時間帯なので強い風を打ち消しあっていること、
この状態は約1時間ほど続くこと、
暗くなってくるとまた海は荒れだすこと、
波と風が打ち消しあうこの一時間の間なら舟を出せますとの漁船の船長さんのご判断を伝えてくれました。
 
『今日は団体さんも入っていたのですが、すべての漁船の運航は中止に成りました。
これが今日、唯一出せる船です。
ねばりがちですね。』
と漁師さんが笑顔でおっしゃいました。

普段は高級魚である鯵の一般釣りをする漁船だそう。
お世話に成りました。

 

海鵜の巣窟

 
沼島をまわる漁船はそのときどきで右回り左回り、どちらになるかわからないとのことでしたが、
私たちの時は「女回り」と呼ばれる左回りで巡りました。
私が呼ばれるからには左回りだろうと思っていました。
 
沼島は別名おのころ島。
イサナミが先に巡り声をかけたことでヒルコとアワシマは葦の船や磐船に乗せられて流されてしまった。このように記紀に描かれるイサナキ・イサナミの伝説はいまでは、太古の太陽神の封印伝説だと理解しています。
それは、岩手花巻の胡四王神楽「天岩戸開き裏」の
すべて「裏」とされた流れの舞の中にも残っていると感じました。

カグツチ(輝く蛇)もわかってみればヒルコのことです。
流されたり斬り殺されたり何度も何度も念入りに呪(しゅ)をかけて大和から封印されてきた太古の太陽神ヒルコ。それだけ大和が畏れていたとも言えます。そうとわかってみれば記紀には結構はっきりそうと書かれていますね。
 
諏訪からのながれで、富士山マナの泉を経てヒルコのヘルプを感知してご縁ある皆さんでここまで解いてきました。
沼島にかけられた鎖も解放の左回りで大きくはずされ
漁船に乗りながら私の右目が涙を流していました。
神戸のヒルコを祭る和田神社ではヒルコのSOSを察知して左目が涙を流し、
今回は沼島を左回りに巡る海上で右目が涙をながしながら
『よくぞここまで来てくれた』
と語り掛けてくるものがありました。
 
 

旅の始まり 11/26

出発の朝。王様の古墳の真上。

11月下旬の出張のことをこれまでもつれづれにおぼえがきしていますが、
ようやく今回の出張のはじまりのことを書ける状態に
たどり着きました。

これまでここ何日かに渡っておぼえがきしてきた旅のことも
時系列ではないのですが
その並び・書き順に意味があったことと受け止めています。
 
**
 
今回の出張の旅の流れは
おととしの諏訪の森の奥の泉にはじまり、
去年のコノハナサクヤヒメを訪ねた富士山訪問から
今年の3月、7月と二度に渡るマナの泉でのご神事の流れ、
そして今年五月の神戸の和田神社のこと、
すべての流れのなかにはヒルコのエネルギーが宿っていたこと
すべて関わり合い繋がっています。
 
とくにこの流れが太古の太陽神ヒルコの復活の流れを汲んでいることに気づいたのは、ヒルコの本拠地・西宮神社でヒルコの「おこしや祭り」が行われているということを知ったこと、6月に現地でその祭りをつぶさにお伝えくださった西宮神社の産子の方が居られたことが、大きな気づきのきっかけに成っていることと思います。
 

 
今回の出張のはじまりは西宮神社から。
核心の場として呼ばれているのは淡路の沼島でしたが、
今年の春の神戸滞在では足の怪我のためそれも叶わず、
秋に成りようやく叶うことと成りました。
いや、
春の段階では、淡路島、としか感知していませんでしたが、
実際この秋に向かうことと成り、
淡路島ではなくその傍らの沼島に呼ばれていることが分かったのでした。
 
大切なことはいつも動いてみて初めて
その間際に明かされます。
今回の出張で呼ばれたこともそれだけ大切なことなのだとわかりました。
 

  
出張第一日目、
大切な旅の始まりはいつもまちがいなく雨です。

西宮神社境内
仮宮

不思議なことに、
今回の淡路島への出張の日程は『11/27』と降りてきていました。
そのとうりに旅程を組みましたら、
西宮神社の産子のかたより、
本殿の修復のためずっと仮宮に移されていたヒルコさんが、
11/28に、完成した新しい本殿に移されるのだ、とお知らせくださいました。
 
11/26に西の神社へとおもむき、仮宮にお参りさせていただくと、
そこにはヒルメさんがおまつりされていました。
 
11/28にヒルメさんとヒルコさんが統合されて本殿に移され
ヒルコ玉となることがわかりました。
ヒルコ玉というのは(さまざまなとらえ方がありますが、私が一番に感知していることとしては)星を造るエネルギーの玉のことです。
 
降りてきた日にち11/27、わたしたちは沼島に渡りました。
ヒルコさんを迎えにまいりました。
その当時はまだ詳細は何も明かされていませんでしたが
淡路島に行く、というだけで即答で7名の方々が集まりました。
今になって思えば、
かなり大きなエネルギーを動かしたことが分かります。
はじめからそうと知っていたら
そんなことはできなかったと思われます。

 直感で動ける方々とご一緒できましたこと、
ほんとうに幸いに思います。
 

石上神宮 11/30

今回の出張で訪れた場所はどこも呼ばれて訪れています。

今回の旅の最終日の予定を立てているとき、土地勘も何もない私に「石上神宮」と来ました。そのメッセージを受けると同時に旅の同行の方より『石上神宮に行きます』とのご連絡が。ダメ元でお願いしましたら車に同乗させて頂き連れて行って頂けることになりました。そのまますんなり奈良駅から帰る途中に石上神宮はありました。

思えば石上神宮の手水舎が夢に出てきたのはもう4、5年前のことでしょうか?その時もおぼえがきに書き記した記憶がありますが、今回、夢のままに実際の石上神宮の手水舎を目の当たりにするとそこには『布留社』と石に彫られてありました。

石上神宮の私の印象は、一言で言うとエネルギーにまとまりがなくバラバラな感じ。境内の杜は何故か荒れていて、何か鉄砲水か土砂崩れにでもさらわれた地表がそのまま放置されているかのような印象がありました。何故なんだろう。

そして境内の地面のしたで大きな水の神様がうごめいているのを感じました。『ここは水の神様のお社だね。』と口をついて私は言いました。

後で家に戻ってから石上神宮のホームページを見て驚きました。手水舎の真向かいに大きな池があり(現地では暗くて気づきませんでした)、そして本殿の後ろ側には一級河川の布留川が流れておりました。現地で感知したとおりにここの古くからのご祭神は間違いなく地元の龍蛇神、水の神様だと確信しました。

磯の神/イソノカミと言うくらいですから、かつては海洋民族が海から布留川を遡りこの地に矛を立てたのかも知れません。

社務所で暦を頂きましたが、何ともその内容が占い的なことばかり書かれていてこのような暦も初めて見ました。大抵は二十四節季に基づく農業のことが記載されているのですが。。やはり土地の土着のというよりは、外から入ってきた別の民族の打ち立てた神殿文化なのかも知れませんね。。古来の土着のものが地面の下に隠されて。。それでバラバラな印象を受けたのかも知れません。

七支刀と呼ばれる神剣が祭られているとも言いますが、それもまた百済からのものと言われています。

また石上神宮にもまつられているフツヌシノカミというのは、富士山の魔王天や、大甕神社に見られるように大抵封印した(土着の)ものの上に打ち立てられていることが多い印象です。

新しい地球での統合がうまくいくと良いです。それは石上神宮の荒れた杜の復活にも顕著に顕れてくることでしょう。そのような思いで境内を後にしました。

  

熱田神宮 剣の神様 11/29

アメノムラクモノツルギを
つくばの深く清涼な山奥の滝の傍の神社で授かったのは2021年。
その流れでここまで来たのかとも思います。

正直なところ、歴史の中でざまざまなことがあり、
現在熱田神宮には剣はないと感知していました。
それは今も変わりませんが。
 
今回の出張の中で、初めてここ熱田神宮を訪れる流れに成り
拝殿にてお参りさせていただくとやはりここには剣はありませんでした。本体も霊体も、です。
 
お参りを済ませて帰ろうとした矢先、
とても氣に成る空間と場所があることに氣づき、そちらの方へと立ち寄らせていただきました。
 
地元の方でしょうか、一人のご老人がその場所で礼拝されておりました。
そこは外からお参りするようなしつらえに成っておらず
だれもそこに礼拝される方はおりませんでしたが
やはり氣になりその場へちかづくと、
なんとそのタイミングで祈祷と巫女舞が始まりました。

ここにはいない別の所に隠されている剣の神様が
時を場所を定めて呼び覚まされて降臨される場面を
このときまのあたりにしました。
先のご老人はこのことを知ってらしたのでしょうか。
それもとも。。
 
双子のように舞う二人の巫女から
あたり一面にとても繊細な金粉のエネルギーが
溢れんばかりに眩しくふりまかれておりました。
 
私の手は自動的に次々と手印が始まり、
降ろされた剣の神様と会話をしていました。
その言葉ではないエネルギーの会話は長く続きました。

私のこころは『剣の神様居たんだ!』という喜びにあふれて。
 
ただただ素直にそういった金色の繊細な喜びにあふれたひと時でした。
 

お参りを済ませて参道を歩くと、桜の花が咲いていました。
何の種類の桜かわかりませんが、すべての符号がありました。

この日もまた、朝日のようなヒルコの夕日が黄金に輝くお顔を
雲の間からちらりと見せてくれました。