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だんだんこういう時代に成ってますます
自分は鏡として生まれてきたんだなと理解しています。
左利きに生まれたことは
多くの右利きの人たちには気づかないことを
たくさん気づかされ学ばされてきました。
その学びと気づきは今になって
生きていく上での魂の高いレベルでの宝物となっています。
左利きとして生まれたという私の状況と同じように、
なにかしらのそういったツールをもってこの世に生まれて、
自分や周りに学びを気付きをあたえている人たちは多くいると思います。
わたしの場合はそれが「左利き」というツールでした。
左利きであるというそのこと自体は
自分軸であれば何の不便も不自由もありませんが、
状況や環境や出会う人々によってさまざまな現象を見せられます。
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小学時代に、給食の時に無言で私の左手のスプーンを取り上げ
無理やりに右手に持ち替えさせた担任の先生。
学校のはさみが右利きのためにつかいずらいといったら
『わがままだ』とクラスメイトに言われたこと。
そう言われたことを母親に言ったら『あんたが悪い』と言われたこと。
後日はさみを忘れた友人が私に『はさみかして』というので
わたしのはさみ(左利き用)を貸したら
そのクラスメイトは大変気まずい顔をして
『ちょっとこれつかいづらい』といってすぐに返却されたこと。
ほんのこれだけのことでも、
右利きだったら気づかないような
さまざまな世の中の人間模様を知ることができます。
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巫女舞の方が、
肉体という器に実体のない魂を縛り付けておくために
着物の回転が決まっているのだというお話をしてくれたことがありました。
左まわりは解放。
右まわりは定着。
ですから亡くなったらもう肉体に魂を縛っておく必要なくなり
解放してやるので左前に着物を着せるのだとわかりました。
これはだいぶん前におぼえがきに書いたことがあるのですが、
これから次元上昇して必ずしも肉体をともなう必要のない世界も顕れてくるわけで、
(高次レベルでの多様性)
そうなってくると三次元的な着物の着方も、
亡くなった場合に限らず
魂を解放する左前の着方が必要になってくる場合もでてくるのかもしれないな、
と思いました。
このことをかつて書きましたときに、
『西洋では昔から女性を貶めようとして
女性の洋服は左前にさせられたのだ。
日本に西洋が入ってきたときにそれを強制されたのだ。
日本女性の人権を取り戻すためにも右前・右回転の着物を着るべきだ』
という意見の人があらわれました。
左前が貶めることになるという発想の理由がわかりませんでしたが、
様々な物の見方があるなあと思いつつも
『~すべき』という考え方にまず違和感を感じた私でした。
それならばわたしは、日本女性解放のために我慢して
着心地悪く違和感しかない右回転の着物を着なければならない、
「着るべき」ということになる。なんだかそんな世界はへんな気がする。
それと、
ラテン語文化圏の言語学と民俗学のご専門のスペイン人の先生から
8年間近くスペイン語を学んでいたことがあるので、
西洋の近代に続く民族文化や習慣、言語などの源はギリシャ発であること、
そしてギリシャの服の文化はギリシャ彫刻にみられるように、
四角く織った大きな布をピンでとめて着ていたので右前も左前もないこと、、
西洋から強制された女性の洋服が左前、というのは
もしあったとしてもかなり近代の話ではないかとわたしが指摘したら、
その人は、
『ただ○○さんという整体の人が言ってただけだから・・。
そのスペイン人の専門家の人の話も聞いてみたいです。』
との返信で、
わざわざ
~すべきという強い言葉で他人を縛ろうとする割には、
自分軸のないふわりとした意見のようでした。
でも「左利き」という鏡のツールを持つわたしからすれば
昨今のさまざまな自分軸とはかけ離れた強制的とも言えそうな事象を見ても
そういうことってこの世の中に案外多いかもしれません。
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ここ数年でご縁いただいて出逢う方々ってそういう意味でとても楽です。
先日ご縁いただいたあおぞら友里さんと着物の話になって、
わたしが左利きで回転が逆だというお話とともに
『それで左回転で着物着ると「逆だよ~」って言われる。』というと、
友里さんはすぐさま
ん!もう!という感じで真意を汲み取ってくださって、
友里さんは右利きでいらっしゃるけど
みんながそうするからとか・伝統とか・経験だとかにまったく縛られず、
もうすっかり時代が変わっていることを
はっきりと魂の深いところに受け止めて
肚を決めて自分軸で生きておられる方。
明晰で軽やかに今を生きている方々は
とても良く似ていると思います。
先日おぼえがきに書かせていただいた
シリウスの郷の姫巫女さんもそうですが
たったひとりになって自らの魂に訊ねながら
いつもアンテナを立てて高次の振動を選択する連続で
今を渡りながら固定されずに生きている方が周りに増えてきています。
そうやって波乗りのように高い振動を選んで自分軸で生きていくこと
ほんとうに、とても大切な時代になってきています。
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夜、なぜか海に呼ばれて。