泉源をたずねて その5

ツクヨミが書けといってくる雰囲気なので
月のことかいてみますね。
 
ここ数日のおぼえがきは突然にしてスイッチが入ったように、
ほぼ自動書記のような状態で
大抵起き抜けにパソコンを開く間もなく
次々浮かぶ文章のメモを忘れないうちに取ってから
それをほぼそのままブログにアップさせてもらっています。
文脈や表記など分かりにくいと思われる箇所はなるべくあとから調えておりますが、
完璧ではないことご了承くださいね。
 

 
竹取物語の原文を読まれたことありますか?
この物語のラストシーンは富士山です。
 
この美しいラストシーンが省かれるようになったのは一体いつからなのでしょう。。
この物語にとって大切なシーンだと思うのですが。
 
今は昔
竹取の翁という者ありけり
野山にまじりて竹を取りつつ
よろずのことに使いけり
 
学生時代に暗唱させられた記憶がいまもそのまま残っています。
 
竹から生まれたかぐや姫は
翁と嫗に大切に育てられ美しく成長します。
 
年ごろになると求婚者が次々と現れますが
かぐや姫は無理難題を押し付けてすべて退けてしまいます。
ただ一人を除いて。
 
ただ一人というのは帝でした。
かぐや姫と帝は心通じ合わせ
約三年間の和歌のやり取り、文通を続けます。
 
かぐや姫はこう言います。
私が地上の者ならば
あなたのもとへ嫁ぎましょうが、
わたしはそうではないのです。と。
 
やがて月へと帰る時が来て
かぐや姫は帝へ最後の文と不老不死の薬を
使いの者に渡して送ります。
 
使いの者からそれを聞かされ
帝は受けとることを拒みます。
今さら私がそれを受け取って何に成るというのでしょう。と。
 
そして帝は使いの者にたずねます。
この国で一番高い山はどこにあるか、と。
 
使いの者は、
駿河にあります、と答えます。
 
そして帝は使いの者に頼んで
かぐや姫の文と不老不死の薬を
富士の山頂から焚き上げ天へとお返ししたのでした。
 
美しい富士の山頂から
一筋の煙がすうっと天へのぼって行きました。
 

 
記憶に頼って書いていますので
多少の記憶違いはご容赦頂きたいのですが、
ほぼこのような感じで原作のラストは展開していたと思います。
気になるかたはぜひ原文を当たってみてください。
 
ここで私が感じるのは、
かぐや姫との三年間の文通の間に
帝は覚醒していったのではないか、
覚醒というのは、みずからの出自と
この地上に自分が生まれた意味を憶(おも)いだしたのではないかということ。
 
かぐや姫は初見で帝の中に眠る種を見いだしており、彼のアストラル領域でもガイドをしていたのかもしれません。
 
このようなことは今でこそ
私自信も体験し、おぼえがきにこれまで綴ってきております。
現代ではひかやしの対象に成るのを避けて
隠されがちだっただけで、
本来特別なことではありません。
 
月にもたくさんのパラレルがあり
かぐや姫がどのパラレルからお越しになったかたかはわかりませんが、
少なくともロケットで物理的に行くのではない方法で月や宇宙に行けること、
古神道の本にも多く書かれており、
竹取物語の帝という存在は、
今で言うスターシードなのではないかと思わされます。
茶化しや冷やかしで現代は混沌としてしまって居りますが(それでも開く扉は開く)、
素直にクリアに
これら不可視の世界のリアルなできことが
竹取物語には描かれています。
 
わたしが歩いたサンティアゴ巡礼道をご縁に出会って
たくさんのお話と指針を示してくださった古神道の修道士さんから、
『記紀だけでなく竹取物語や万葉集も読み込んだ方がよい』と伝えられたのは
正統な日本史と謳う記紀が書き残したくなかった真のことが
それらには記されているからなのだと今では思っています。
 
世界最古の小説と言われる「竹取物語」に記された月の世界と富士山。
 
月も富士山も
今回の泉源をたずねる旅を
ずっと見守ってくださっています。
 

11月27日の満月

 
つづく
 
*
泉源をたずねて その1
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17745
 
泉源をたずねて その2
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17778
 
泉源をたずねて その3 
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17861
 
泉源をたずねて その4
http://majo.moo.jp/oboegaki/?p=17923
 
*
トヨタマヒメ富士日記に綴られていることと
合わせてご覧になってみてください。
この地球に生まれて、
私は、人生って面白いなあとつくづく思います*
 
『双子座の満月に、またあの方が富士山にやって来た 1128』
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12830483201.html

『KONOHANAさんを探して… プロローグ (1128のこと)』
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12830981484.html
 
『日、月、星 を祀る場所』 KONOHANAさんを探して その一
https://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-12830862731.html
 
 
 

磐座

昨年5月に訪れた磐座のことがまた立ち上がってきています。

 
土のシンギングボウルを顕現するにあたって背中を押された場所でもあり
土の弦楽器「わたつみ」さんの故郷です。
 
「わたつみ」さんは向津峰の磐座の大地のエネルギーと
諏訪の山の奥の母なる泉のエネルギーが合氣され、
産産しい誕生のエネルギーで成されています。
それは思えばどちらも縄文の、もしかしたらそれよりもっと古い
太古からのエネルギーの合氣でした。
宇宙的なものの顕現なので三次元的な時間軸では測れませんが。
 
こういった場所に呼ばれ、呼ばれたことで
じつはずうっともう昔からわたし自身にご縁のある場所であることに氣づき。。
地球に生きるということは憶(おも)いだすということなのかもしれない。
 
改めて昔見た舞台『ラ・マンチャの男』に出てくる台詞を想います。
 

 
『私はこれまでありのままの人生というものを嫌というほど見てきた。

……息をひきとる仲間を両の腕に抱いたこともある。
彼らはみな、うつろな目をして、
おれはなぜこうして死んでいくのかと私に聞いていたのではない。
いままでこんな人生なんのために生きてきたのかと私に聞いていたのだ。

ああ

人生自体がきちがいじみているとしたら、

では一体、本当の狂気とは何か?

本当の狂気とは?

夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。
現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。

だが、一番憎むべき狂気とは、
あるがままの人生にただ折り合いをつけてしまって
あるべき姿のために戦わないことだ。』

 

 
何のためにこの地球に生まれてきたのかを憶(おも)い出すことは
パンドラの箱に閉じ込められてしまった魂の救済そのものなのかもしれません。
そしてようやく、それを誰しも自らできる時代になったということです。
 
 

『金はすべて輝くとは限らない』

金はすべて輝くとは限らない、とは
J・R・R・トールキンの言葉ですが
「うすゞ」と「掌中うさぎ 薬玉」の制作において
つくづくリアルにそれを感じました。
物質的見解ですが意外とそれだけでもなかったのでおぼえがきに記してみます。
 
薬玉は王様の古墳のお山の天然の陶土そのままと
可塑性をあげるために慣れ親しんだ赤津の土を合わせて、練りあげた土でお作りしました。

天然の土は成分が一定ではないため
同じ土でも同じように焼き上がるとは限りません。
前回うまく焼き上がったからといって
今回もそうなるとは限りません。
そういう意味で
金を施したにも関わらず
必ずしも輝くものとなりせんでした。
 
稀に輝きを伴って窯から出たものは
ごくわずか。
型どりでいくつか作るイメージが来たのでその通りにしたのは
そういう意味だったのか、とわかりました。

いつくかのなかのひとつふたつだけ
輝く金のうさぎたちに精麻を寄り合わせた紐をつけて作品に仕上げました。
 
それがこれまでにネットや企画展に
出させてもらったものたちです。
 
クリアリングしてあるので
身に付けたりご使用に成ることで、
それぞれに合った環境でエネルギーを蓄えて行くタイプの作品たち。

今年になって
『まずは自分の分を作れ』とのメッセージいただいてからはそうしています。
私が使うと私の得意分野宇宙からのエネルギーがこれら作品に宿るのがよくわかります。
 
最近は掌中うさぎ薬玉を
ハートチャクラ胸の真ん中に来るようにして下げていますが
可視と不可視のバランス調整をしてくれているようで疲れません。
 
土の働きには宇宙的な無限を感じます。
 

「掌中うさぎ 薬玉」は金龍のエネルギー。
オーダーも承りますので気になるかたはお問い合わせください。

『金はすべて輝くとは限らない。さまよい歩く者が皆迷っているとは限らない。年老いても強い者は枯れない。深い根に霜は届かない。』
J・R・R・トールキン

 
 

ツクヨミ~ヤマトタケル

日本の古代史を知るにつけ
ついにホツマツタヱは無視できないと悟り、購入したのは数年前。

三段組でホツマツタヱの同じ個所に
古事記と日本書紀が併記してあって調べものには重宝します。
編纂大変だったろうなあ。。

 
わたしは特にホツマツタヱの中のヤマトタケル
(ホツマツタヱではヤマトタケと記載)の項の、
その膨大な記述量が気になったのですが、
そのなかでヤマトタケは、
自分はスサノオの分け御魂であると自覚があったようです。
古事記など読んでもそれを匂わすような
ヤマトタケルの人物描写が成されているように私には感じられます。
(古事記は結構事実を捻じ曲げて、というのでしょうか
どの時代もかなり意図的にわかりにくく描かれています。)

『うつわ 迷宮 兎 湧水』

今日の写真の二つの絵皿
『うつわ 迷宮 兎 湧水』と
『うつわ 迷宮 兎 渦玉 ひとしずく』の白兎たち、
10月1日まで点滴堂さんの企画展『兎迷宮・月読』に出展させていただいているのですが、
これらはヤマトタケルのエネルギー
(スサノオ~オオクニヌシ~ヤマトタケルの流れのエネルギー・・
オオクニヌシも兎にご縁ありますね。因幡の白兎。)
を感じながら作っていました。
 
海の神スサノオの分け御魂。
なぜか私もご縁あってヤマトタケルがお祭りされている場所を
はからずもあちこち訪れてみると、
湧水や滝、川の在る場所(とくに湧き水)に
ヤマトタケルのお社が多いと言うことがわかり、
水のエレメントからのキーワードは、竜、龍宮(后の弟橘姫)。
それと同時に
その場所には不動明王(火のエレメント)が同時に祭られていることも多くて、
そうなって来ると
*ヤマトタケル・風/何度もおぼえがきしていますが、
諏訪のつながりで視ると風の神様タケミナカタ~イエスの流れにヤマトタケルは在ります)、
*不動明王・火、
*弟橘姫・水、
同時にこの三つのエネルギーがセットで成されることがあるのでしょうか、と。
三つ集まることで動き出すひとつの理、システムです。
 

『うつわ 迷宮 兎 渦玉 ひとしずく』

 
ホツマツタヱでの三貴神は、
アマテラス(アマテル)
ツクヨミ
スサノオ
の三柱となっているようで、
ツクヨミはスサノオの叔父だとされています。
(三貴神に関して私はスサノオではなく
別の一柱の存在を感じるのですが、その話はまたの機会に)
 
興味深いなあと思うのは、
アマテラスを祭る大和朝廷側のヤマトタケの魂の転生を辿ると
ツクヨミ、つまり太陽ではなく月の側に辿り着くと言うこと。
ヤマトタケは景行天皇の子では無いんじゃないかな、とも個人的には感じています。
(ヤマトタケルは役職名ですが、
ヤマトタケはその役職についた個人と仮定して書いています。)
 
ポッドキャスト『航海の護符』でもお話しさせていただきましたが、
私が陶芸を通してなんとなく太陽のことをしていると思っていたら、
だんだん作るものが明らかになって行くにつれて
それは月だった、ということに気づいて、
何とも言えない心持ちになったのですが、
そんなところから、
アマテラスという衣装の中身は実はツクヨミだった、
ということを感知した実体験があります。
 
アマテラスそのものには、
スサノオやツクヨミのような、
エネルギーの活動を感じないのです。
誤解を恐れずに言ってしまえば
アマテラスは不在とでもいうのでしょうか。
 
で、
このシステムはどうなっているのかというと
アマテラスは実質ツクヨミが動かしていた、という、
宇宙の情報を読まれているかたに今年の六月にお会いして、
そうおっしゃっていたこと、なんだか納得しております。
詳細は省きますが、
自分が感知していたことは
やはりそうだったのだとの答え合わせがありました。
 
そして私もはっきりと
いまは月のことをしているのだという自覚のもと、
土を用いて顕れるもののお手伝いをしているわけで、
ツクヨミのエネルギーが来ますのもわかります。
(結局、内外共に闇のことをクリアしなければ本物の光は生まれてこない。
いつも光は闇からうまれてくるのだから。)
 
現状でアマテラスが女神で
ツクヨミが男神(平田篤胤系の古神道では
ツクヨミとスサノオは同一神ともいわれています)というのは、
それなりに事情があることで、
やがて鏡に映されたものが反転する時がやって来ます。
(面白いことに私の故郷のスペインでは、
太陽は男性、月は女性、なのですよね。
因んで書いてしまうと
日本海側のとある神社に訪れたときは
太陽は男神(ヒ・日、火)、
月は女神(ミ・水)と成るように配置されていて、
やはりこれが本来のもとの姿のようにわたしは感じます。
 
ただし、
パラレルのどの地点で視ているかによって
男神、女神の視え方も変わってくること、
陰陽は固定されたものではなく相対的なものであること、
合わせてここに明記しておきます。)
 
 
来年はこれまでと全く異なるエネルギーが来ると感知していますが、
それは鏡写しの反転のエネルギーなのかもしれません。
  
詳しく書くことできず
分かりにくいお伝えとなりましたが
雰囲気でつかみとって頂けたらと、
あえて世の現状と繋がり深いこととも思い、
今日のおぼえがき
させていただきました。
 

 
新作さまざま出展させていただいております。
 
◆点滴堂企画展
『兎迷宮・月読』
9月20日(水)~10月1日(日)
12:30-20:00 月・火曜定休
会場 東京都武蔵野市中町 1-10-3 2F
TEL 090-6796-5281
http://tentekido.info

◆点滴堂さんHPより◆
三鷹駅 北口 歩いて5分、
「点滴堂」はギャラリースペースのあるブックカフェ。
ちいさな店内にぎっしり詰まった書棚の古本はすべて販売してます。
作品の展示を楽しみつつ。
お気に入りの1冊を選びながら。
おいしい珈琲・紅茶をご賞味ください♪

 
 

勾玉という装置

うつわ『月読とヒルコの物語』

勾玉のすがたかたちをみれば、
かなり多くの日本人が『これは勾玉だ』と瞬時に認識できるのではないでしょうか。
それって当たり前のようですが、実に不思議なことです。
積極的な興味がなくとも
どこか心の深いところに、あのすがたかたちが転写されているようです。
 
勾玉が一体何なのか、ということは
古くから様々な説が言われてますが、
今朝私の懐におりてきたのは、
勾玉という装置についてのことでした。
 
勾玉はいわゆるスイッチのようなもので、
勾玉と認識した瞬間、自らの内から何か稼働するものがあるようです。
それはとても古い時代に閉ざされてしまったものかもしれません。
不可視のエネルギー分野に優れた縄文人のすることですから
スイッチとして勾玉を顕現したこと、
ありえないことではない。。と個人的には感じています。
 
わたしは、スイッチと認識しましたが、
ひとによっては「ゲートの鍵」と表現するかもしれません。
いずれも閉じられていたものを開く物種であるということ。
勾玉について、深く自分の心に訊ねてみるのもよいかもしれません。
 
単なる装身具ではありません。
というのも、勾玉は必ずヒスイあるいはそれに準する石から掘り出して作られます。
単なる装身具ならなぜ土器を作る縄文人が土で勾玉を作らなかったのでしょうか。
石を掘り出すよりもっと簡単に効率よく作れるのに。
土で勾玉を作らないということには深い理由があるはずです。
 
個人的には、勾玉は火にあててはいけない物種だと認識しています。
短絡的かもしれませんが、これは水のエレメントだからなのかもしれません。
水というワードを得れば、太古の日本から様々な仮説に繋がってゆきますが
その見地から言うとやはり個人的にはヒルコにも繋がりそうです。
 
勾玉がなにをモチーフにしているのかという物質的な答えではなく、
エネルギー的に何の役割を果たしているのか、という視点からでしたら
答えが得られそうな今朝の一時(いっとき)でした。
 
写真は『月読とヒルコの物語』。
太陽が火であるなら
月は水のエレメント。
月読の前にヒルコ(=勾玉)を置くと
月読が聖母マリアの風情のように柔らかく
慈愛の表情へと変わったように感じました。
 
この絵皿は手に持つとびりびりとエネルギー高い。
点滴堂さんのギャラリースペースにて10月1日まで
ぜひ直接ご覧いただけましたらと思います。
 
 
◆点滴堂企画展
『兎迷宮・月読』
9月20日(水)~10月1日(日)
12:30-20:00 月・火曜定休
会場 東京都武蔵野市中町 1-10-3 2F
TEL 090-6796-5281
http://tentekido.info

◆点滴堂さんHPより◆
三鷹駅 北口 歩いて5分、
「点滴堂」はギャラリースペースのあるブックカフェ。
ちいさな店内にぎっしり詰まった書棚の古本はすべて販売してます。
作品の展示を楽しみつつ。
お気に入りの1冊を選びながら。
おいしい珈琲・紅茶をご賞味ください♪