地球交響曲第九番 ~金星

昨晩も一連の作品の窯焚きの炉内温度の下がり待ちのため、
地元の古民家映画館に映画を観に行きました。
 

 
(とにかく炉内温度が下がらなければ作品が取り出せず、
作品が取り出せなければ次の工程ができないわけで、
どんなに締め切り前で切羽詰まっていても、
自然にゆだねて炉内の温度が冷めるまでは何もできない、
という空白の時間が陶芸の工程の中にはあるのです。
無理に冷ませば作品は割れます故、
自然に温度が下がるまでは人智では何もできませんのです。
陶芸のおかげで良い意味での「諦める」を覚えました*)
 

 
さて、昨日偶然見た映画は「地球交響曲第九番/ガイアシンフォニーvol.9」。
これは偶然なのか?
音開きがテーマのようでした。
 

 
「シンフォニー」で「9番」ということで
この映画の製作者はきっとすごくこれに繋げかったのでしょうね、
つまりベートーベンの第九に。
なのでこの映画のメインテーマは
小林研一郎さん指揮する第九に流れる不可視のモノ。
この映画に出てきたパズルのピースを拾ってゆくと、
金星、あるいは、金星人とでもいうのでしょうか、に、
繋がってしまいました。。
 
ベートーベン、
映画に出てくる温泉地バーデン
(私ここに何回も行ってます・・ちょっと吃驚しました)、
奈良の天河辨財天(この繋がりにも個人的に吃驚しました・・)、
それから北海道のアイヌのことも出てきましたが、
ちょっとこれは私的にはこの映画の流れの中においてピンとこなかったのですが。
正直、天河とアイヌのことは取り上げ方が中途半端な印象を受けました。
それだけ映画製作者の小沢さんへの思い入れと表現が深いともとれます。
 
 
そして、受け取ったパズルのピースに話を戻すと、
この映画の要となる指揮者の小林研一郎さんも
金星に繋がる人に視えました。。
映画の中で、ベートーベンの第九を歌い演奏する人たちの前で
小沢さんの奥さんが、
『宇宙に繋がる回路が開いてベートーベンが降臨する』とおっしゃっていて、
そういったことを信じられるような
小沢さんの霊性が垣間見られる映画ではありました。
ハッキリ言って宇宙的視野がないものは、
これからは存在が難しくなってゆくと私も思っています。。
 
今回この映画を観ていて、
ちょっと古い映画を思い出していました。
「愛と哀しみのボレロ」です。
https://eiga.com/movie/41767/
神の目線で終結していく、という意味で
また、実在の芸術家のパイプを通して地上に顕れるという意味でも、
ひとつの作品として「愛と哀しみのボレロ」は見事に
昇華されているものを感じます。
そして今回の映画を観て、
「あ、この感覚(うまく言葉で表現できませんが)、
もしかしてこの感じが、金星なのかもしれない、、」と思いました。
 
そういえばこの映画を観に来る道々、
たまたま写真に撮ったのは金星ではなかったか。


 
映画から視えてきたものと自分の身近な現実が重なり始めます・・・
 
 
今日は今日で急に「鞍馬の火祭」が気になって調べていたら
今年は火祭は中止になっていたのですね。。
ちなみにサナートクラマも金星と関わっていると言われています。
 
映画から話がそれますが、
鞍馬の火祭は由岐神社が中心と成りおこなわれるもので、
由岐神社の公式サイトを拝見して居たら、
http://www.yukijinjya.jp/about/index.html
ここにもまた隠された『追われた土着の民』を感じました。
お祭りに詳しい京都の友人のお導きで、
以前に「鞍馬の火祭」に実際行ったことがあるのですが、
この祭りの中心と成る神様が、
かつて京都の中心地御所に祭られていた由縁を深く思わされました。。
現在の御祭神名からも、隠された女神を感じますし
実際火祭りの夜のお神輿は女性が綱で引くのです。。
(私も貴重な体験として夜のお神輿引かせて頂きました。)
 
 
昨晩は映画を観てから、
これまでの様々な角度からの答え合わせというか
視えてくることがありました。
金星人、イエスもそうだといわれていますが・・
金星人のエネルギーの感じが
身に受けて分かったような氣がしました。
 
 
映画を観終わって外に出たらぽっかりまんまるお月様。
昨晩のこと。