おくすり

うたは振動数を上げた場との同化あるいは調和、会話
 
さらなる高音域は頭蓋骨の振動による懐かしいパラレル宇宙との交信
 

 

最後に海で泳いでから15年以上ぶりに
きょう、地元の海で泳ぎました。
15年ほど前、最後に泳いだ海は葉山の海でした。
 
その後、プールでは泳いでも
2014年あたりからは特に顕著に
自分の内側から「海で泳いではならない」という警告を受けていました。
理由は分かりませんが、私の気持ちも泳ぎたいとは長いこと成りませんでした。
 
水のなかで泳ぐのはもともと子供のころから大好きで。
本当に水が大好きで、
浴びるようにひねった水道の蛇口からがぶがぶと水を飲むのも
まるで泳ぐのと同じように感じられて大好きでした。
小学生のころは江東区に住んでいて、
プールのある夢の島体育館まで
子供の足で家から歩いて約1時間くらいかかったでしょうか、
夏休みになると毎日のようにひとりで工場地帯の中を歩いて
夢の島体育館のプールへ泳ぎに行っていました。
学校のプールではなく
なんだかあの夢の島のプールに開放感を感じていたのですよね。
たった一人でぷかぷか自由に水に浮かんでいつまでもたゆたうこと、
思いっきり水の底にふかく潜って水底に沿って泳ぐこと、
当時は狭苦しいレーンや規則もなく自由に泳げたので
水の中ではこのふたつのことがとても好きでした。
 
当時、家から夢の島まで通うのにはバスでも行けたのですが、
毎日バス代を親からもらって
そのバス代を節約して歩いていくと、
プールの帰りに夢の島の大きな盆地型の草原の広場にはいつも
自転車をひいてアイスキャンディ屋さんが来ているので
そこでアイスを買うことができたのでした。
 
炎天下を歩いて夢の島まで行き、
ひとりで水に浮かんでもぐってゆらゆらと過ごして
夕方に盆地の草原でぼんやりアイスキャンディを食べて
また歩いて家まで帰ってくる。
そんな夏休みを
きょう、家から近い地元の海に行く途中
歩きながら懐かしく思い出していました。
 
「海で泳いではならない」という私の内側からの警告が
解除されたのは、去年くらいでしょうか。
『あれ、もしかして泳いでいいの?』という感覚がありましたが
なんとなく海に入っても泳ぐことはありませんでした。
 
今年になってより具体的に「泳ぐ」という印がつぎつぎに顕れて、
ああほんとうにもう泳いでもいいんだ、と感じていましたが、
かなりのダメ押しで
「ほんとうにもう何もかも途中で投げ出して海に行きなさい!」
と強く心に打ちつけるようなメッセージを今朝受けましたので
成り行きに任せで海に行きました。
 
ごくたまにプールには行くので
水着は実はいつでも出せるところに置いていましたが、
15年ほど前のわたしはこういうものを着ていたんだという、
あまりにケミカルで窮屈な素材に意気消沈して、
水中眼鏡とタオルだけ持って、
いつものような麻やシルクの素材の動きやすい服装で海に行き、
そのまま泳ぎました。
 
なんとここちよい。
今日の海は昆布味が濃い目にでていて(笑)
口にほんのり味わう味も、やっぱり当然プールの水とは全然違う。
水中眼鏡で見ると、
自分の腕には陽光が、海水に透き通ってゆらゆらと揺らめいて
映っているのが見えました。
 
クラムボンのようにただただかぷかぷ浮かんで
波と一緒にたゆたって幸せでした。
 
海はあらゆるものごとのおくすりです。
きょう、思うままに海で泳げたことで
やっとわたしの全身の血潮に還り来る海と
リアルに同化できたように思いました。