つれづれ

昭和の時代、映らないブラウン管のテレビを
手でバンッ!ってたたくと映る、あの感じ。
好きです。
 
良き時代でした。
 

 
2年前に買ったプリンターが壊れまして。
インク読み取りが印刷中に突然認識しなくなって
マゼンタ色が無いことになっている。物理的にはあるのに。
しかも黒インクのみの印刷したいのに
マゼンタが無いことになってるから印刷できないと来た。
なにこれ。
本質的じゃなさすぎる世界の産物。
 
 
こういうことは数年前にバイクでもありました。
10年位前に買ったスクーターなのですが、
コンピュータが入っているので、
キーを回すとバイクの各要所に取り付けたセンサーが
何か異常があったら見つけるようになってると。
異常があれば手元の赤ランプがつくんだと。
バイク屋さんは、最先端の搭載!みたいにお話ししてくれたけど、
それを聞いて私が曇り顔になったから、あれ?って感じだった。
そういうのやだな。
ただそのバイクは当時その店で販売していたスクーターのなかで唯一、
排気ガス排出ゼロのエンジンシステムを乗っけていて
それまで私が乗っていたバイクはエンジンのところに黒いタールみたいなのが
べったりドロドロだったから、そういうのが出ないということで、
コンピュータは気に入らないけどそれを買ったのでした。
 
そのバイクのフォーサイクルエンジンは調子よくて
本当に排ガスも出ておらずしばらくは乗れていたのですが、
案の定、
走行中にどこにもトラブルがないのに突然赤ランプが点灯し、
バイク屋さんに診てもらったら、
バイクの動力には何も問題ないけど肝心のコンピュータ自体が壊れて、
コンピュータの修理代が
そのバイク購入金額の半分ほどかかるといわれました。
コンピュータ無くてもバイクは動くのに本末転倒。
 

 
そういう商法にはもう乗りたくないなあと思っていたので、
今回のプリンタの故障にも納得いかず、
調べた修理費用は、
修理内容にかかわらず一律そのプリンタを購入したのと同金額でした。
なにこれ。
いつのまにそんな世の中になってたの?
 
 
そんな世界には住みたくないので
むかーし、それこそ20年以上前に初めて購入した
ノートパソコンとプリンタを押入れの奥から引っ張り出しました。
姿かたちや仕様がとても気に入って購入したものだったので
バージョンが合わないという理由で使えなくなっても
独自には稼働するので捨てられなかったのですよね。
 
パソコンの方は昔のmacなので、
システムまで自分でかなりカスタマイズして気に入っていました。
ネットには使用できないけど、
グラフィックにはいまもたまに確認で使っています。
 
そして特筆すべきはそのmacで使っていたプリンタ。
当時かなり頑張って手に入れた、
いまでも名機との誉れ高いALPUS MD-5500。
 
がっちゃんごがっちゃんごと思い切り機械音を立てながら
インクリボンでそれはそれは美しい仕上がりの印刷をしてくれるのです。
伝説の家庭用プリンタとして、いまでもファンが多いのも
実際使っていた私はそうでしょう、そうでしょう、と思います。
 
今回その名機をひっぱりだすにあたって
色々調べてみたら、いまでもファンが多く!
やはり!!
ALPUSではすでに販売が終わっているのに
ファンの手でインクリボンも復活させて
独自の会社を立ち上げられているのを発見*
プリンタ本体も修理もしてもらえるとのこと。
 
本物のものづくりってこれですよ。
機械も愛されるべきなんです。
長く愛されるものをつくったALPUS素晴らしい。
 
今日は、
ちょっと(かなり)苦戦しつつも
最終的にはちょっと手でバンッと叩いてみたりもして・笑
そしたら意識取り戻して稼働しましたよ!
さっそく9月の個展のDMの宛名を印刷いたしました*
 
ちょっとびっくりするくらい古いパソコンと古いプリンタですが、
つくりは頑丈だし、なんか今の機械よりずっと味があって、
さきほど意識を取り戻してくれてからは
より軽やかにさくさく動いてくれるので
20年以上経ってもちゃんと使えて
ここに来てますますいとおしくなる私の機械たちでした*


 
 
 

愛に訊くこと

ヴィレム・エングル氏インタビュー
https://rumble.com/v1h0ysv-324-wake-up-world-interview-with-willem-engle.html
インタビュアー我那覇真子さん。日本語字幕付き。
 
 
いまオランダで起きている農業の問題、気になっていました。
農はすべての事象に致命的と言ってい良い形で繋がっていますから、
いまオランダで起きていることからの視点で語られたこのインタビューは
日本、および世界の各国でいま起きていることに直結しています。
すべてつながっている。
 
『安全は愛がなければ達成できない。』
そうインタビューの中で出てくる言葉が印象的です。
 

 
私がスペインにすんでいたとき、
水の結晶の美しい写真集を出した方と少しの期間コンタクトしていたことがありました。
水に美しい言葉を話しかけると美しい水の結晶が撮影出来ると言うことでしたが、
実際は、例えば、『きれいだね』と水に語りかけるひとつの言葉について
400枚ほどの結晶写真を撮り、その400枚の結晶は様々な形をしていて、
その中から、綺麗に撮れた写真を選び出して
“『きれいだね』と語りかけたときに撮れた結晶”として写真集に載せました。
ですからこの写真集は、彼が「そうだったらいいな」という物語フィクションの写真集で、
ご自身も『自分は科学者ではないから科学的根拠については発言はしません』と言うスタンスをとられていました。
彼と同じようにその美しい世界を信じたいと思う方々との共感も得て、その写真集はヒットしました。
フィクションの創作世界ですから、もちろん何の問題もありません。
 
けれどもこれと同じことが
あたかもノンフィクションであるかのごとくに語られたらどうなるのでしょう。
世界の権威ある有名な機関や国の政府が『こうしたい』と言う理想のデータ、つまりほとんど多くはそうではないのに
たった一例だけ理想に合うデータが採集できたら、それを主軸に置いて事を進めていく。
どうなるのでしょう。
それは窒素や二酸化炭素、今の流行病、遡ればもっとずっと以前から起きているデータ犯罪であると、このインタビューの中では語られています。
この場合のデータは情報ではなく分断と支配である、と。
 
目の前の事象は安全のために愛をもって成されているのでしょうか?
安全は愛がなければ達成できないとインタビューのなかで語られているのが印象的でした。
いま世界が向かっている『こうだったらいいな』は、上述の写真集とは違ってノンフィクションです。何に共感、同調するか、少しでもおかしいと思ったら立ち止まり向きを変えること大切です。
自分の本心からの感覚、愛に訊く感覚、
こういう今だからこそ鈍らせたり目をつぶったりせずに。