原初の光シリーズ

常設販売で作品を置いていただいております、
長野の「喜劇駅前食堂」さん*
 
小海線の八千穂駅から徒歩1分とかからない場所に、
かつての呉服問屋の建物をそのまま
民芸と工芸作家の作品がご覧いただけるお店として運営されています。
 
※ややこしいのですが、店名は
ライターさんであるこのお店の番頭さんの遊び心かと*
「食堂」ではありませんのでご注意くださいませ*
 
冬の間は雪に閉ざされる場所ゆえに、
今季も今月末までの営業となりますので
お近くにお越しの際には、今年最後の機会ですので
是非お立ち寄りください*
店内たくさんの作品濃厚で素晴らしい空間と成っています。
 
詳しい営業日時は事前にご確認いただいてから
お越しいただくのが確実です*
喜劇駅前食堂
tel.090-8110-0316(番頭 中村さま)
 
今季はMAJOからは、
宮沢賢治のビジョンからセオリツヒメに繋がって生まれ出た
龍のラスター&金彩の小皿たち「原初の光」のシリーズを中心に
常設販売していただいております*

 
◇喜劇駅前食堂 & gallery喜劇駅前理髪店
11:00~17:00
金・土・日のみ営業
長野県南佐久郡佐久穂町穂積1422
tel.090-8110-0316
臨時休店ありますので
お越しの際にはお電話でご確認下さい*
11月下旬~3月末まで雪に閉ざされるため冬眠いたします*
 
 
 

変容

いまはあらゆる面での過渡期で、
私もそうですが
私の周りの方々も激動の時代を生きて活きておられます。
それでも同じ先を見ている方々とは
益々ご縁が深まり
最も重要なことは
言葉でお伝えせずとも
すべてが瞬時に伝わるような
レベルアップがすでに更新済みとなっていて。
懐かしくも新しい世界が
すでにあちらこちらに顕現してきて
そういった場にご縁深い人々がひきよせられ
楽園を構築しているのを
ことあるごとに目の当たりにします。
それが頻繁になってきました。
 

 
昨晩は、
中村加奈子さんと宇佐見仁さんが主宰される
香風舎の特別な企画『煌 星 音 軀 命』に伺っておりました。
11月3日から8日に渡る毎日毎日がとても興味深い内容で、
昨日会場でいただいたフライヤーに在りましたことば
「人の存在は宇宙そのもの
わたしたちの中にある、
星々のひかり、
響きとであう六日間」
は、私にとってまさにこころに響く文言でした。
 
昨日は、豊英秋先生による(この日初めてお会いしたのですが
親しみこめて先生と呼ばせていただきますが)
こえとうたのワークがあり、
それはそれは貴重な体験をさせていただきました。
 
おそわりながら皆でうたいましたのは「東遊」。
今ではあまりうたわれることのない古代歌謡だそうで
その言葉あらわれ一つ一つ。
おと(こえ)の出し方。
手で舞うように動くひれのゆらめき
顔の明るみ
うたはすべてであり
そのすべては地上に楽園のエネルギーを顕現することを
体験してしまいました。
 
うた(おと・声)にされることばには、
研究し尽くしても意味がない(意味不明)とされる
歌詞のようなものがあって、
いまでも学者さんの中で喧々諤々されるそうなのですが、
これら意味不明のおと(歌詞)は、
じっさいにおと(声)にだしてうたってみると、
そして豊先生のなんともしなやかであたたかくそれでいて
すっと一本の光のような筋の通ったお伝えにより、
意味のないことばなのではなく
これは、宇宙の言葉ではないか、と、
心が反応するのが分かりました。
いまでいうライトランゲージというものですが、
これは本当に、
昔の人こそ普通に感知し発音しうたっていたのでしょう。
昨日の体感からわたしはそう考えるのが普通に思えました。
 
まずはおりてきたそのままの音ありきで、
それをだいぶん後の時代になって
文字というものができたときに、
表記する都合上、
たとえば、エとオの間のような音などは「エ」と、
乱暴に、あるいはしかたなく、まとめられてしまい、
本来根源から来ていた音は失われてしまったのでしょう。
 
また、意味が付随されている音(歌詞)もじゅうぶんにありますが、
それらをうたうおとひとつひとつに
感情を乗せずに、ただたんたんと
エネルギーの振動だけになってあらわれるようなうたいかた、
それはまるで、
風そのものだったり
波そのもののうたのように感じられました。
 
特に今のような陶芸の顕現をするようになってから、
日常の中でふときく音楽、
メロディーや声による感情の表現やメッセ-ジ性のある歌詞などの
人の意思が働いている歌や音楽が、聴けなくなってしまいました。
けれどそのなかで唯一雅楽だけは
日常のなかでも聴くことができる理由は
まさにここにあると思います。
 
たいせつなおとやうたひとつひとつが
豊英秋先生の純粋な感性で真っ直ぐよみがえっていくのを
昨日は幸せなことに目の当たりにした思いでした。
 
私はスペイン在住時、
カトリック教会の聖歌隊で歌っていたことがあるのですが
そのうたは、音律や教会の建築構造で
地上から天にのぼる仕組みになっているのですが、
きのうの日本古来のうたは
地上そのものがそのまま天となる響きを持っていました。
これは今の時代とても大切なことだと感じました。
 
それから「ととのう」って東の国の方言なのですね。
ととのう、ということだまは、
私もよくつかわせていただくのですが
まさかこちらの方言だとは知らずにいました。
やはり土地のことばには
根源に繋がる力があること(それこそことだま)を思うのでした。
 
東遊。
うた遊び。
昨日のあの響きが背骨に染み入っていて
このうえなく心地よい地上の楽園の振動をつづけています。
ほんとうに豊かな遊びがむかしはあったのだなあと思います。
わたしがうたいたいうたは、
わたしがいつもやまやうみでうたううたは
きっと昨日の体感があったから、
よりいっそう変わっていく予感がします。
 
ひとりひとりが中心となり
水紋のように広がり重なる振動の世界。 
昨日一日、あの場にいられたこと、
感謝の気持ちでいっぱいです。
 

一部はうたのお稽古。
二部は平安装束による東遊のうたと演奏という贅沢な構成でした。

 
 
香風舎『煌』11月8日まで
会場に展示されているエネルギー世界に満ちた
石塚雅子さんの絵画も
この宇宙船のような劇場空間の住人・・必見です。
https://www.kofusha.jp/pages/661187/page_201609281751

フライヤーもとても素敵です*
上記リンク先で詳細ご覧いただけます。11日8日まで。