小皿のこと

昨日から、うちに来て42年目になる亀さんが
餌を食べ始めたのでいよいよ春だなぁと感じています。
庭の梅の花もまだ満開の余韻を残しながら
風に花びらを散らせ始めました。

*

今回出展させていただいている小皿たちのことを
少し書いてみようと思います。
 
ずっと長いことお付き合いいただいているお客様がたは
ご存じのことと思いますが、
5、6年前頃より私の作品の表現形態がある程度段階を踏みつつも
それまでと全く別のものへと変わったとき
ふと心に浮かんだことがありました。
その当時のブログおぼえがきにも書きましたので
もしかしたら覚えていらっしゃるかたもおられるかもしれません。
それは、
宝石のような作品を作ろう、と
言うものでした。
 
最初は心に浮かんだその言葉に
自分でもちょっとビックリしてしまって、
宝石って?・・と戸惑いがありましたが、宝石という以外、
心に浮かんだものは他に例えようがありませんでした。
 
宝石というものに対する人それぞれのイメージも
それぞれに異なることかと思いますが
その時の私の心に浮かぶ宝石というのは、
本質的であり
唯一の宝物となるような
特別な何か高次的なエネルギーをまとったイメージがありました。
 
制作活動の初期から
面相筆を用いて作品に純金彩を施しており、
それより少し遅れて純銀彩も必要に応じて施すようになりました。
さらにスペインの窯元で出会ったラスター釉も
すでに数十年前から作品に取り入れており、
技術的にも、原料も、
心が教えてくれた宝石のような作品作りを行う用意が
もうだいぶん前から調っていたのだと今でこそ思いますが、
その当時は
高価な原料を思うがままに惜しげなく使用することに
様々な意味において躊躇や葛藤がありました。
それまでの常識的なことや経験値など様々なブロックや不安が
自分の中にあって、長いこと心にブレーキをかけていたのだと思います。
 
自分で自分をさえぎって心が求めていることのブロックから
もう自由になりたいと、
心の奥底の声が本当のことをやりたいと、
とうとう浮かび上がってきたのが、
この、宝石のような作品を作りたい、という言葉になってあらわれたのだと思います。
 
そして宝石のような作品を本当に作る方向へとシフトチェンジした中から、
この小皿のシリーズが生まれてきました。
 
私の作品の中でも
今ではコンスタントに生まれてくるこの小皿のシリーズは、
ちょうど三年前の2月に行われた
宮沢賢治のテーマの作品展『天氣輪の柱』のために作られたのが最初でした。
 
ありがたいことにそれ以降、
小皿たちは様々な方々にお迎えされて、
その後も折々にまた新しい作品が生まれてきてメンバーが入れ替わり、
またお迎え下さって・・新しい循環が生みだされているのを感じています。
可視不可視ともに必要なものを必要な方にこの絵皿というかたちで
おとどけできているのかな、と感じています。
 
小皿たちは、食器としても使用できるように作っています。
金も銀も750℃以上で焼成し焼き付けを行っていますので、
食器用洗剤と柔らかいスポンジで手洗いで洗っても頂けます。
おつまみを絵皿の風景にちょこんと加えて
ワインと共に楽しんでますと言うかたもおられます。
それから
お守りのように布袋に入れて持ち歩いているかたもおられます。
自然光のなかで陽光に照らしてラスターと金銀の輝きを楽しんだり、
川面に浸して水の揺らめきとともにたのしまれたり。。
自然の中に連れ出すとエネルギー充電されたように
うつわが活き活きとするのです。
また今回の出展すべての小皿の高台に2つの穴が開いていますので、
丈夫な紐を通して壁掛け飾りにもなります。
部屋の空気が変わったとよく言われます。
 
それぞれ自分らしくお楽しみいただけましたら嬉しく思います*
 
 
追記。
私の筒をとおして生まれてくるうつわたちはすべて
地上と宇宙のすべての自然に繋がって生まれてきています。
・・・と、書けといまアルクトゥルスの方から言われました。(笑)
 
冬眠から亀がもうすっかり覚めたのは目を見ればわかります。
今日ははっきりと視線が合っている。
頭蓋骨を響かせる音で歌いかけたら
動きを止めてじっと聴いてくれていました。
それから餌をあげました。
頭蓋骨を響かせるやり方は
よく海でうたうときなど外宇宙とのコンタクトに有効だと感じますが、
ふと、
うちの亀さんもしかしてアルクトゥルスから来てる?
 

 
ネット展覧会
宮沢賢治の視ていたむこう』第五日目更新いたしました。
http://majo.moo.jp/shopping/expo/kenji_no_miteita_mukou/20230222kenji
 
開催中~3月3日22時まで

本日更新の作品より『氣根』