梅雨

窓際書斎の切り絵。少しずつ進化しています*

 
ようやくいかにも
日本らしい梅雨が今年は戻って参りました*
数十年のあいだこの時を待っていました。
 
おかえりなさい*
 
 
カレンダーを見ると6月1日は世の中一般的に
『衣替え』といわれる夏服への切り替わりのとき。
 
ゆうに30年以上前、私がまだ学生時代の頃は
6月に入ると爽やかな初夏の熱量を感じる日があるのとともに、
必ずウールのセーターやジャケットが必要になる
ぶり返しのような寒い日がまだまだありました。
ですから6月いっぱいは、
衣類すべて夏服に衣替えせずに
ウールのセーターやジャケットを必ず1、2枚は
出しておくようにしていました。
身近でささやかな、
けれど寒さに弱い私にとっては大切な生活の知恵でした。
 
ここ数十年のあいだ異常気象が続き、

春の期間もとても短くなって1週間ほどしかないような
まるで南スペインのような気候でした。
 
(因みに私の故郷の南スペインの方でも、
乾季のはずの夏に土砂降りの雨が降ってオリーブ畑が水浸しになってしまったり
雪のない地方なのに冬に大雪が降り噴水が凍るような
やはり異常気象になっているここ数十年でした)
 
4、5月中から早くも夏日を迎えるようなここ数十年は、
春ものの服の出番もほとんどなく仕舞われっぱなしになっていました。
 
それが去年辺りから
しっかりと春の期間がやって来てくれるようになり、
6月という独自の季節感も再び感じられるようになって、
今年は、
懐かしくもちゃんと6月にセーターが必要となる
かつての習慣を思い出すような気候になってくれました。
この時期、夏の到来前の雷様と洗われるような冷氣。
懐かしくてうれしくて感謝の気持ちでいっぱいです*
これぞ日本の梅雨。
特別何をするというわけでもないのですが、
身近な衣食住の中で梅雨の過ごし方ができるのが楽しみな毎日です。
 
日本の6月が還ってきたことを慶んでいるのは
私だけではなく、
そして私の氣のせいではないと思わせてくれるのは、
山や庭の植物たちをみても今年は一目瞭然なところです。
遥か昔に感じたように、
6月の雨とちょっとした寒さの再来に触れて
久しぶりにこれほどのびのびと
植物たちがこの6月に沢山の実や種をつける様子、
葉や枝や蔓を伸ばす様子を
今年は顕著にそして豊かに見ることができて本当に幸せに感じます。
 

 
幼い頃の記憶。
夏の到来前の6月は
毎日のようにざあっと雨が降って雷様がやってきて
美しい稲妻が見られることにとてもワクワクしました。
あまりに強く雨が降る日には、
遊びに来ていた友人が家に帰れなくなるのではと、
もしかしたら今晩は自分の家に泊まっていくのかもしれないと
それもまたワクワクとさせられることでした。
(たいてい友人のお母さんが迎えに来て、
そういうことは一度もなかったのですが)
 
梅雨にまつわる数十年前までの記憶は
なんだかワクワクとさせられるものが多くて、
梅雨を楽しんでいたことばかりが思い出されます。
 
それが瑞々しく蘇るこの6月に改めましてお慶び申し上げます*
 

 
うちに来てからこの夏で41年目を迎える亀さんも
かつての日本の梅雨をよく知っているひとり。
この数十年の異常気象を経て
なにか一巡したように懐かしく戻ってきた
今年の日本らしい6月の梅雨の気候を
同じこの亀さんと一緒に迎えられることができて
いちいち嬉しく感じている今日この頃です。
 

名前を呼ぶといつもつぶらな目々を投げかけてくれます*

  
 
 

あまのいわとびらき

今日から工房の改装はじまりました。
 
諸々の理由から
工房の真ん中で
風と光の道を塞いていた
大きなどっしりとした重い家具を
父神と心ある友人神の手助けにより
二つに割り動かすと
工房の奥まで風と光が届き
その瞬間から
新たな氣が巡りだすのが分かりました。
 
まるで
あまのいわとびらきのようだ、と思いました。
 
カグツチを塞いでいた因縁
タケミナカタノミコトを封じていた因縁
すべてとけたいま
その恩恵がいま私の工房にも訪れています。
巡り巡る。
 
神戸から引き継いだものに重ねて、
地上の楽園が目に見える形で始まっています。